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2020.09.02

第1回 2019年8月8日開催

「写真/光をうけとる」トークセッションーもうひとつの写真に触れる

  • ゲスト:野口里佳
  • 聞き手:木村朗子

写真家の木村朗子さんを聞き手に、ゲスト作家を迎え、作品としての写真についてお話伺うトークセッションシリーズ。2019年からスパイラルで開催されている講座の内容をレポートします。
第1回目のゲストは写真家の野口里佳さん。独自の視点で切り取られる作品は国内外で高く評価され、現代美術の展覧会にも多数参加されています。作品を撮り始めた大学時代から、2019年に開催されたリボーン・アートフェイスティバルでの最新作まで、丁寧にご紹介いただきました。写真というメディアに対する考えや、作品づくりへの取り組み方など、野口さんの作品を読み解くヒントの詰まったトークとなりました。

木村:私が野口さんの作品を最初に拝見したのは、ガーディアン・ガーデンという銀座にあるギャラリーの公募展で、《創造の記録》という作品がグランプリを取られた時でした。それ以来、25年くらいの間、私は野口さんの作品に触れることを通して、人生をすごく豊かにしてもらってきました。

野口:《創造の記録》で賞を頂いたのは1995年だったと思うので、それを木村さんが見ていたというのを今知ってびっくりしました。今回このトークのお話をいただいた時に、木村さんが現代美術としての写真作品に焦点を当てた講座を考えていると伺って、自分にとって「美術」との出会いはいつ頃だったのかを考えました。作品をつくり始めたのは90年代初頭で、その頃はセゾン美術館や、ここスパイラルにもよく展覧会を見に来ていました。現代美術との最初の出会いの場のひとつであるスパイラルで、今日お話しができることをとても嬉しく思います。

写真は大学時代に始めたので、木村さんのように子どもの頃からカメラに触れていたとか、好きだったとかは全くありませんでした。大学受験でたまたま写真学科にだけ受かったというのが写真を始めたきっかけです。最初は「学校でやらなければいけないこと」というスタンスで写真を撮っていました。19歳頃に写真で何かできそうな気がすると思い始めて、20歳の時に撮ったのが、今お見せしている消防署の写真です。自宅から最寄り駅までバスで行き、そこから電車に乗って大学に通っていたのですが、そのバスの中からいつも消防署が見えて、そこに訓練でロープを渡っている人がいて。私にとってはとても不思議な風景なのに、誰も何も言わないこともとても不思議で、ある日、写真を撮らせてもらおう、と思い立って消防署を訪ねました。そんなに簡単に中には入れてはもらえないだろうと思いながら、「写真を撮らせてください」と言ってみると、「もう訓練は終わったけれど、これから訓練を見せましょう」とすごく歓迎してくれて、いろいろと説明を受けながら、ひと通り写真を撮らせてもらいました。この時に、私にしか撮れない何かに出会えた気がしたのと、写真を撮ることで扉が開いたというか、写真を始めたことで新しい世界と出会っていく手応えのようなものを感じました。カメラを持っていなかったら、消防署の中に入ってみることはなかったわけなので。

この後、《創造の記録》という工事現場のシリーズを撮り、その次に《潜る人》というダイバーのシリーズを始めました。
4年くらい工事現場を撮っていたので、この先に行こうと考えて、自分の中で「冬の旅」と名付けて、京葉線に乗って一駅ずつ降りて海まで歩くということを始めました。そんなある日、海に行く途中にあった造船所で真冬の海に入っていこうとする人に出会って、《潜る人》は、その出会いから始まった作品です。「こんなに寒いのになんで海に入っていくのだろう?」と疑問に思って、ダイバーを追いかけて、そこからダイバーについての勉強を始め、まぁ勉強といってもダイバーを探しにダイビングスポットに通っていただけですが、自分では潜れないのにダイビングのことについてどんどん詳しくなっていきました(笑)。青春18切符を使って伊豆に通っていたんですが、まず最寄り駅まで行き、そこからダイビングスポットまで頑張って歩いていく。自分では頑張っているつもりなのに、なかなか作品になっていかない。そこから、自分がやりたいことはどういうことなのかなと改めて考えて、結局は自分自身で潜ってみることにしました。ちょうどそのころ、《潜る人》のシリーズで展覧会の開催が決まっていて、案内状もできているのに作品は3点しかないという状態で、もう後がないと思って、慌てていたんです。時間もないのでとりあえずダイビングのライセンスを取って、ダイビングの先生にたくさん重りをつけてもらって、沈めてもらって撮ったというのがこの写真です。そして、この時にダイビングの練習をしていたプールの底を撮影したのがこの写真です。この写真をプリントした時に、「ダイバーはどこにいくのだろう?」と思ったあの日から、どこかにたどり着いたような気持ちになりました。それで、このプリントをつくったあと、ダイビングのシリーズを撮ることをやめました。

こういうことをしていくうちに、私にとって写真は「その先のどこかに行くためのもの」だと、だんだん思い始めて、ダイバーが行こうとしたその先、見たことのない「宇宙」に行くにはどうしたらいいのか?ということを考え始めました。そこで、《潜る人》の後に、《フジヤマ》というシリーズに取り組みました。これは、キヤノンが主催する「写真新世紀」という公募展で賞を頂いて、その副賞でP3 art and environmentでの個展決まった時に、いよいよやらねばならぬと思い立ち、富士山に登って制作した作品です。

木村:冒険の物語を聞いているようで、すごく楽しいです。
これ(人が走っている後ろ姿が写っている作品)も富士山の写真ですか?

野口:そうですね、富士山の「砂走り」という、登るのは大変だけれど、走って降りられる御殿場のルートです。(作品に写っている)この方は駆け下りるだけでなく、走って登っているはずです。驚異的ですよね。

木村:ずっと運動会のゴールに向かって走っている写真だと思っていました。

野口:確かに運動会のような写真ですね。
富士山が開山している期間は毎週末、富士山に登ろうというルールを決めて、土曜日に登り始めて山小屋で宿泊し、日曜日に下山するということをしていました。クタクタになって下山しているのに、その横をフワーっと走っていく人がいて、もう意味がわからないという、その後ろ姿です。

木村:富士山を何往復もされていたということですね。

野口:そうですね。この年はたしか6回登って、2回は台風で途中挫折しました。だから合計で4往復ですね。一人で登っているので、他の登山者の人たちから、どういう事情があるのだろう?みたいに思われていました(笑)。途中で出会った家族の人たちと一緒に登ったり、知らない人が荷物を持ってくれたり、今思い出すと、その時々でいろいろな出会いがありました。

木村:平日は学校に行っていましたか?

野口:いえ、その時はもう学校はやめていました。だからアルバイトをしながら週末は富士山。写真の仕事もしていたので、当時はとにかく忙しくて、でも週末だけは富士山のために空けるというということを一生懸命やっていました。

野口:これは《飛ぶ夢を見た》という、自分でつくったロケットを打ち上げている作品です。その前に種子島宇宙センターを撮り始めたのですが、始めた理由を考えると、やっぱり富士山にたどり着くのかなと思います。
自分で手に届く宇宙に行くのにはどうしたらいいのだろう?というところから始まって、実際にロケットを打ち上げているところに行ってみようと、種子島に通い始めました。ロケットは愛知県でつくられ、船で種子島まで運ばれ、港で水揚げをして、トラックで宇宙センターに辿り着きます。ロケットが着くタイミングで種子島に行って、港でロケットの到着を待ち構えてみたり、港から宇宙センターにロケットを運ぶトラックを撮影したり。そのうちに宇宙開発に関わっている方たちとも知り合ったりして、ただ知り合っただけなのですが、自分としてはどんどん宇宙に近づいている気持ちになっていました。
だけど実際の打ち上げはやっぱりすごい。もちろん近寄れないので遠くから眺めているだけなのですが、圧倒されて、逆に「こういうことをしたかったのではない」と思い始めました。しばらくして、ある時、種子島で知り合った女性から北海道の摩周湖で宇宙フェスティバルがあるから行かないか?と誘ってもらったんですね。私の場合はそういう人との出会いや、言葉との出会いによっていろいろなところに行く、連れていってもらう、そこから作品が出来ていくということがよくあります。この時は「摩周宇宙フェスティバル」という言葉も大きかった。摩周湖の上をロケットが飛んで行く姿が思い浮かんで、そのフェステバルで手作りロケットをつくるワークショップに参加して、自作のロケットを打ち上げて撮影したのがこの作品です。

2002年ころ原美術館から個展のお話をいただきました。私は展覧会という機会を与えていただいて、そこに向けて新たな作品をつくっていくということが多いのですが、当時担当の学芸員の方から、「《潜る人》を発表してほしい」と言われて、その頃の私は前に進むことばかりを考えていたので、過去の作品を見せるの?という感じでした。でも見せるのであれば、その作品に対して今自分ができることって何だろうと考えた時に、もう一回海に潜ってみようと。そこで撮影したのが、《星の色》というシリーズです。
沖縄の与那国島に海底遺跡があって、これはいつか自分の目で見てみたいと以前から思っていたので、この機会にと海に潜って撮影しました。そこは難しいダイビングポイントで、ダイビングのキャリアはタンクの数で測るのですが、まわりの人たちは100本くらい潜っていて、私は6本しか潜ってないという……一緒に潜る人たちに手取り足取りお世話になって、何とか撮影したという作品です。

木村:「宇宙」という言葉が先ほどからお話に出てきますが、宇宙に惹かれているのには何か理由はありますか?

野口:当時、日本的なものとか世界的なものとか、そんなところでは測れない壮大な作品をつくりたいという夢がありました。それと同時に、自分で地球の自転が感じられるような人間になりたいという妄想もあり、そういうものが交差して宇宙に惹かれていったのだと思います。

その後、原美術館の展覧会が始まってすぐにドイツのベルリンに引っ越しました。12年ほど住んでいたのですが、そこで最初につくった作品が《マラブ》という鳥を撮影したシリーズです。これはピンホールカメラで撮影しています。ピンホールカメラをインターネットで買って、いつか使ってみようとずっと持っていました。マラブという鳥は、アフリカのコウノトリと呼ばれていて、頭にフワフワと毛が生えていて、喉元はビヨーンと伸びていて、顔にちょっとシミがあったりして、全然きれいな鳥ではない。私のおじいちゃんに似ています(笑)。最初にマラブに会ったのは動物園で、誰も注目していないけれど、なぜかそこにいるという存在でした。全然動かないので、もしかするとピンホールカメラで撮れるかもと思い撮り始めました。
この頃、展覧会で様々な国に行く機会が増えて、私自身は活動の場が増え、いろいろなものを見ているような気持ちになっていました。さいたま市にある私の実家には父方の祖父母も住んでいたのですが、父方のおじいさんは、すごく出不精で、もうどこにも行きたくないような人だったのですね。いつもお庭を見てボーっとしている。だから、おじいさんの人生ってなんだろうな?といつも実家に帰ると思っていたのですが、ある日おじいさんが「今日はうちのスズメが来ている」って言うんです。おじいさんにはうちのスズメとよそのスズメがあって、その違いが見えるのかと、すごく衝撃を受けました。私が見えていないものが、おじいさんには見えているのだなと。私もそういうことができるようになりたい、と思っていたこともあり、一年間このマラブという鳥を撮り続けようと決め、動物園の年間パスを買って毎日動物園に通いました。だからこのシリーズは背景をよく見ると、だんだん季節が変わっていきます。一年撮り終えて、さあどうしようかと思った時に、今度は自然の中にいるマラブに会いに行こうと思い、アフリカにマラブを探す旅に出ました。

次にご紹介するのは《太陽》というシリーズです。今回の「写真/光をうけとる」という講座タイトルは、すごく良いなと思っていて、《太陽》は、私自身がそういうことに挑戦したシリーズです。
マラブを撮りにピンホールカメラを持ってアフリカに行ったのですが、アフリカのマラブは速い!ベルリンの動物園にいたマラブは、羽を切られて飛べないようになっていて、気候も寒いので動かなかったことに気がつきました。アフリカのマラブはすごくアクティブで、もう全然ピンホールカメラで撮れないんですよ。

木村:それはアフリカに行って知ったこと?

野口:そうです。1ヶ月ほどマラブを探すつもりだったのに、2日目にはもう会えました(笑)。東アフリカにはマラブがたくさんいて、人を怖がらない。町の中にもいるし、人間との距離も近い。地元の人は誰も気に留めないから人の近くにいるのですが、下心のある私がソローっと近づくと、マラブは察して逃げるんです。だから全然ピンホールカメラで撮れなくて、最後は結局カメラを変えて撮りました。
そんな風にマラブを追っかけているうちに、ピンホールカメラの中にたくさん太陽が写り込むようになっていました。それと同時に、大日本インキさんから「色についての本の展覧会に参加をしてくれませんか?」というお話をいただきました。色って何だろうと考え始めたら、全部太陽光の反射で見えているものなのだよなと。じゃあ太陽を撮ってみよう!と、ピンホールカメラで太陽を撮り始めました。
太陽を撮り始めたら忙しいんです。太陽はいちど昇ると沈むまでずっといるから、ずっとシャッターチャンスなので。窓の外にもいるし、雨の日もぼんやり見えたりして、そんなことをしているうちに、白い紙を写真に撮れば太陽の色が写るのでは?と思い、公園に行って紙を使って撮影をしたりしました。

木村:鏡なのかなと思っていたのですが、紙なのですね。

野口:そうなんです。ただの白い紙です。

野口:最後に、私が今参加をしている「リボーンアート・フェスティバル2019」についてお話ししたいと思います。リボーンアート・フェスティバルは今回で2回目になる、宮城県石巻市で行われている芸術祭です。石巻市のいくつかの地域と、それから網地島が会場になっていて、私は鮎川という牡鹿半島の先端にある集落で作品を展示しています。ここはかつて新聞屋さんだったところです。

木村:ここも実際に津波がきた場所なのですか?

野口:高台になっているので、ここまでは水はこなかったみたいですが、このすぐ下にある建物には水が入ったそうです。

木村:展示は野口さんも一緒に作業されたのですか?

野口:そうですね。もちろん業者さんに入ってもらっていますが、屋外に大きなビルボードをつくったので、久しぶりにペンキを塗ったり、いろいろと力仕事をしました。今回はすべて鮎川でつくった作品を発表したのですが、鮎川は石巻市の一番端っこなので、まだ大きな工事をたくさんしていて、工事現場の中に集落があるような感じなんですね。津波によって下水が分断されて、それもまだ整備されていません。だから集落の中のいくつかの場所に穴が開いていて、3時間おきに下水の汲み取りをしている人たちがいるんです。地道な作業なのですが、工事現場の中にも汲み取りの穴があって、それらの穴を回っているバキュームカーがいて、その汲み取りの様子を撮影した映像作品をつくりました。
 
木村:虫の作品もありましたよね。

野口:そうですね。鮎川には虫がたくさんいて、私は行くたびにいろいろなものに刺されていたんです。撮影のために長靴を履いて、厚着をして、いろいろな虫除けスプレーをして挑んでいたのですが、だんだん虫から逃げていることに対して「こんなことではいけない」と思い始めて、最終的には虫を撮影した作品をつくりました。
鮎川は霧がよく出る場所なので、霧が出て光が射すとすごく幻想的なんです。だから最初は、山の中に阿弥陀様がいるような、もともとの鮎川の美しさを感じられるような作品がつくれたら良いなと思っていたんです。でも、鮎川に通っていろいろな人と話しているうちに、みんなかつての鮎川と未来の鮎川については話すけれど、今の鮎川の話が全く出てこない。現在というものがポカンと置き去りにされているような気がしたんですね。だから今は工事現場の中に町があるような状況だけれど、その中にも美しいことや面白ことがあるはずだし、そういうものを見つけたい、と思いながら制作をしました。
鮎川の汲み取り用の穴はもともとは12個あったそうなのですが、道路が繋がることで減っていって、今は4個になっています。そしてそれが今年末(2019年)で全部繋がる予定だそうです。そのことを石巻市出身の展覧会スタッフに話したら、「野口さん、ラストチャンスですね!」と言われて。「えっ、ラストチャンス?」と最初は笑ってしまったのですが、それってすごくいいなと思ったんです。こんなにたくさんバキュームカーを見ることって普通はないわけで、作品には2トン車から8トン車までいろいろなバキュームカーが出てきます。町の中にいつもバキュームカーがいるというのも、それは(全て整備されると)なくなってしまう風景で、今だけの風景なのですよね。面白いと言ってしまうと不謹慎かもしれませんが、けれど「今」生きていることを肯定していくことが、私のやるべきことなのだろうと思いながら撮影をしていました。

私がなぜ写真をやっているのか、そして写真のどんなところに惹かれるのかを考えてみると、やっぱり「今」とすごく密接に結びついているからなんだと思うんです。ときどき昔の写真を見ると「うらやましい」とか、「これは私が撮りたかった」とか、「江戸時代に行ったら主題がいっぱいあるな」とか思うんですが、それは撮れない。「今」しか撮れない。「今」と付き合う。でも結局のところそれが私にとっての写真の魅力なんだろうな、というのが今回展覧会を通して考えたことです。

木村:ちょっと涙が……これから新しく見てみたい写真はありますか?

野口:やっぱり見たことがない写真が見たいし、自分がこれからどんなものをつくっていけるのかなと楽しみにしています。

木村:私もリボーン・アートフェスティバルにお邪魔したのですが、本当に素晴らしい、皆さんに行っていただきたいフェスティバルだと思います。

野口:遠いので気軽には進められないのですが、ぜひ。

木村:その気軽にたどり着けないところが、すごく行く意味のある場所だなとも思っています。震災から8年。運営の若い女性は被災した時に小学校2年生だったと言っていて。今はもう立派な女性になられているので、その8年という時間の経過を感じました。被災地に行くのは勇気がいるし、自分がお邪魔していいのかと考えていたのですが、現地に行って、現地の方と会話をしたり、今の現地の様子を自分の目で見るということがすごくよかったなと思いました。
野口さんの作品も本当によかったです。私が感じたことは、先ほど野口さんのお話にもありましたが、「今」のことと向き合っているということ、鮎川という土地とそこに住む人々にきちんと心を向けている作品で、そこが本当に野口さんらしいとっても素敵なところだと思いました。

野口:ありがとうございます。

木村:とてもたくさんの作品を振り返って見せていただき、非常に貴重な機会になりました。写真という技法のどんなところに惹かれているのかということに対して、「今」とすごく密接に関わっているところだとお話しいただきましたが、そのお話と今回見せていただいた鮎川の作品が本当に微塵もずれていなくて、最新作への理解が深められたなと思いました。
写真は四角くて、その場に行ってシャッターを押すという行為がないと生まれないのですが、そういった制限があると同時に、その先の世界がすごく豊かで、自由だと思っています。同じ写真も見るたびに印象が変わったり、自分が歳や経験を重ねていくことでまた新しい見え方が生まれたりします。制限があることと、その先の自由さの両方が私にとってすごく魅力的です。今自分が生きているということも同じで、肉体という制限を持ちながらも、その先はすごく自由で豊かで、写真の魅力と自分が肉体を持って生きているということが私の中ではイコールだと思っています。写真がどれだけ自由になれるのかと、自分がどれだけ自由になれるのか、を競争しているような気持ちもあります。そんな中で私は野口さんの作品を見るたびに、「こんなに自由で豊かになれるんだ」と感じて、いつも生きることを応援してもらっています。さっき江戸時代に行って写真を撮りたいとおっしゃっていましたが、野口さんならきっと江戸時代に行ける気がする(笑)。

野口:そうですね(笑)。

木村:タイムマシンに乗れる気がするし、これから野口さんがどこまで果てしなく自由に、作品づくりを続けてくださるのか楽しみだなと今日改めて思いました。

野口:ありがとうございます。いい作品をつくっていきたいです。今日は本当にありがとうございました。

※本テキストは2019年8月8日にスパイラルにて開催された講座「『写真/光をうけとる』トークセッションーもうひとつの写真に触れる」の内容を、ウェブ用に一部編集・改変の上、掲載しています。


スパイラル開館30周年を記念し、2015年4月にスタートしましたエデュケーションプログラム。本プログラムでは、アーティストや研究者など経験豊かなプロフェッショナルを講師として迎え、様々なニーズに合わせた講座をスパイラルの9Fにて実施しています。

Spiral Schole

PROFILE

  • 写真家
    野口里佳

    1971年生まれ。さいたま市出身。那覇市在住。1994年日本大学芸術学部写真学科卒業。大学在学中より写真作品の制作を始め、以来国内外で展覧会を中心に活動。微視と巨視を行き来するような独自の視点、人間の謎に触れるような対象の選択、その透明な色彩と詩情豊かな表現力は国内外から高い評価を受け、写真の世界だけにとどまらず現代美術の国際展にも数多く参加している。主な個展に「予感 」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、香川、2001)、「飛ぶ夢を見た」(原美術館、東京、2004)、「光は未来に届く」(IZU PHOTO MUSEUM、静岡、2011−2012)など。グループ展に「55th Carnegie International: Life on Mars」(ピッツバーグ、アメリカ、2008)、第21回シドニービエンナーレ: SUPERPOSITION: Art of Equilibrium and Engagement」(2018)などがある。 著書に『鳥を見る』(2001 P3 art and environment)、『この星』(2004 原美術館/アイコンギャラリー)、『太陽』(2009  IZU PHOTO MUSEUM )、『夜の星へ』(2016 IZU PHOTO MUSEUM )など。国立近代美術館(東京)、国立国際美術館(大阪)、グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、ポンピドゥー・センター(パリ)などに作品が収蔵されている。

  • 写真家
    木村朗子

    1971年生まれ。小学生のときに父のカメラを使い撮影を始める。大学を卒業後、会社勤務のかたわら写真による作品の制作を開始する。最近の展覧会に『うちなる光 -stillness-』evam eva yamanashi(山梨)、『 i 』book obscura(東京)など。

  • 空気の日記
  • エマらじお
  • わたし自炊はじめました
  • 交換日記 凪
  • utakata
  • Spiral Schole
  • 妄想ヴォイスシアター
  • アトリエおよばれ
  • TEXTILE JAPAN FOR SPINNER
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CREDIT