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2020.06.26

第1回 2018年7月8日 開催

ケンチクトークセッション「都市のパブリックをつくるキーワード」前編

  • ゲスト:乾久美子
  • ファシリテーター:川勝真一

建築家が公共的な建築に取り組むとき、どんなことを考え、何を理想としているのでしょう。2018年からスパイラルが主催する連続講座では、建築リサーチャーの川勝真一さんをファシリテーターに、実際に各地の公共建築の設計に取り組んでいる建築家をお招きし、実践を通した思考にふれるとともに、これからの都市に求められる公共空間を考える上でのキーワードを探っていきました。
第1回目は2018年7月8日に乾久美子さんをゲストに開催。研究室の学生と共に取り組んだ全国のリサーチプロジェクト「小さな風景からの学び」や、当時取り組んでいた宮崎県の「延岡駅周辺整備プロジェクト」など、多くの事例を介して、「パブリック」を考えるヒントを投げかけてくださった講座の模様を前編・後編にてお伝えします。

川勝:本日のゲストの乾さんと私には共通点があるんですよ。ひとつは2人とも関西出身ということ、そしてもうひとつは、乾さんが建築を志されたきっかけです。

乾:子どもの頃から図面をみるのが好きだったという点ですかね?そうですか、川勝さんもでしたか。きっかけは、両親が毎週買っていた『週刊新潮』の最後に登場する、「マイプライバシー」という1軒の家のプランと竣工写真をセットで紹介するページです。これがものすごく好きで、プランや平面図を見る楽しみを覚えたんです。両親が建てた家は、なぜか部屋の数と家族の人数が合っていなくて……末っ子の私は自分の部屋がなく、姉の部屋に居候するという、非常に辛い人生を味わっておりました(笑)。中学生になり、私にも自由にレイアウトしたり飾り付けができたりする個室が欲しいと親に主張して。平面図の描き方がわかっていたので、敷地を測ってこれならこういう建て替えができるとか、四畳の納戸は、こう改装して私の部屋にするべきだとか提案していました。そうした中で、「建築」というより、「設計」が楽しいと思ったのがきっかけです。

川勝:以前、どこかでそのお話を聞いて、一方的にシンパシーを覚えたというだけなんですが、建築に興味を持つきっかけというのはいろいろあって面白いですね。
さて、今日のトークセッションのテーマは、「都市のパブリックをつくるキーワード」。昨今、これまでうまく活用されてこなかった道路などの場所も含め、それらを「公共空間」としてどう活用していくかという話が増えています。そういう時に「公共空間」とか「パブリックスペース」という言葉は、生活の質を上げるよいものという前提で語られています。基本的にそれは間違っていないと思いますが、都市における「パブリック」「公共性」はどういうものなのか、もう少し掘り下げて考えたいというのがあります。もうひとつは、(講座の会場である)スパイラルそのものが民間施設でありながら、公共的な要素を持った文化的な場として都市の中に存在しているということから、都市のど真ん中に公共的な場所がある、その条件はどうあるべきか、これまでどうだったのか、これからどうあるべきかということを、皆さんとも一緒に議論していきたいと思っています。

乾:今日は、ふたつの話題を提供したいと思います。ひとつは「小さな風景からの学び」という、以前に勤めていた東京藝術大学の研究室と私の事務所とで取り組んだリサーチについて。もうひとつは、2011年から関わっている宮崎県延岡市の「延岡駅周辺整備プロジェクト」です。
いま、川勝さんから「公共空間をパブリックスペースとして使う」というお話がありましたが、こうした動きは当たり前のことではありませんでした。日本の公共空間は自由自在に何かに使うことはまかりならぬというか、例えば道路は基本的に警察が厳しくコントロールしていて、ヨーロッパのように歩道がカフェの一部になるなどというようなことはほとんど考えられなかったのです。最近では、許可は必要ですがそうした厳しさが緩和されてきています。道路を中心とした公共空間を、何か違うものとして使い直そうという機運が高まっているのですね。そうした状況を整理するために4象限の表をつくってきました。
「公共空間」の整理として、縦軸は「管理する主体の軸」。軸の極が、地方公共団体や国、県といった税金を使って何かをやっている立場の「公共」で、もう一方の極として「民間団体」や「個人」にしました。横軸は「所有の軸」で、縦軸と同じく、一方の極に「公共」があって、もう一方に「民間」と「個人」にしています。
公園や道路などの公共の施設とは「公共」によって所有され、「公共」によって管理運営されています。その一方で、例えば住宅や店舗は、スパイラルもそうですが、「民間」によって所有され、「民間」によって管理運営されています。しかし、少しブレイクダウンすると、この管理主体の軸には様々な中間的な存在があります。公益法人であったり、最近出てきた「まち会社」であったり、NPO法人であったり。公共施設だとしても、指定管理者制度という民間が公共施設を管理運営するケースも増えています。
身近な存在である住民同士がつくる自治会も、ある種の公共性を持った中間的な存在として考えられるかなと思います。企業も、ある種の公共性を担っていると考えると、中間的な存在だと思います。次に所有の軸では、当然、私有地、住宅はこの極にあり、道路や公園などは公共の所有しているものとして存在しています。所有の軸のほうでも中間的なものがあって、私道や集合住宅の廊下、共用庭、あるいは路地など、様々です。今、「入会地」という言葉は正式には使われませんが、明治以前には入会地という共用の場所が存在していました。
現在、公立の学校は自治体の教育委員会が主に管理しているわけですが、お父さんが集まってボランティアをしていたり、近くに住んでいるおじいちゃんたちが登下校の見守り活動をやっていたり、公共のものとして所有されているけれど、学校の運営に参加している人たちにとっては、学校をちょっとだけ自分のものだと思って活動に参加しているんじゃないかなという事例もあります。そんな中間的な存在があるということが今、一番面白いと思っています。
4象限だと、都市において面白くなるゾーンは、ここ(第1象限:公共が所有していて、民間・個人が管理しているゾーン周辺)かなと思います。要するに、公共が所有しているものを民間によって管理・運営をしていくことに何か可能性があると思っています。ここ(第3象限:民間・個人が所有していて、公共が管理しているゾーン)は多分存在しないので、あんまり考えなくて良いと思っています。
次に、「共有・コモンズ」ということについてお話します。民間でも公共でもなく、ある主体が複数人集まって、財を共有すること、あるいは所有しているものを「コモンズ」と呼ぶことが多いと思います。歴史的には、里山とか、漁場、井戸、河川などは「コモン」「共有資源(コモンリソース)」としてその地域の人間全員によって所有され、全員でそれを管理運営していました。明治維新以降、西洋的な法学の概念が日本に入って、「共有」をなくす方向で進んできたので、日本では基本的に公共か私有か、どっちかにしなさいと切り分けています。しかし、この二分化された世界が、社会としてギスギスしたものになってきて、今一度「コモン」の可能性を全員が探り始めている。最近面白いなと思っているのは、多くの人の意識においてコモンリソースの中に、都市空間や建築が入ってきているということです。特に都市部においては、漁場や河川などのコモンリソースがあまり存在しないので、皆と共有するものの対象に、都市空間と建築空間が含まれるんだろうと思います。

乾:「小さな風景からの学び」というリサーチは、このコモンリソースとしての都市空間と建築空間に関するものです。リサーチ内容は『小さな風景からの学び さまざまなサービスの表情』(TOTO出版,2014)にまとめていますが、日本全国の公共スペースで起こっている様々な活動を、半年ほどかけて巡って写真を撮りまくりました。1万8000ほどの事例を集め、各事例に対して20枚以上の写真を撮るので、大変な量なんですが、それを分類していき、世の中にはどういう公共空間、パブリックスペースの有り様があるのか調べました。
例えば高知県のある漁業組合の建物で、1階部分にピロティーがあり、そこに漁師さんたちが集うであろう椅子がたくさん並べられている。朝、漁をして帰ってきて、昼間にほっと一息をつきながらここで網の手入れをする、とても気持ちのよさそうなスペースなのです。市役所のように市が所有・管理している公共施設ではなく、漁業組合が所有し、漁師さんたちが管理している。しかし、我々のように大学の人間がふらっとやってきても、「まぁおいでおいで」なんて言われて一緒に座ってもいいという、おおらかさみたいなものがあって素晴らしい。こういう面白い空間をたくさん取材してきました。

川勝:この椅子は全部、海に向いてるんですか?

乾:海に向いていますね。その後ろに防潮堤があって、そこから先は海の世界です。防波堤の後ろにちょっとしたスペースがあるんですけど、ここはここで面白くて。漁師さんの奥さんたちが、ほっと午後のひとときを過ごすもうひとつのパブリックスペースになっているんですよ。とてもいいなと。これも完全に公共の場所ですよね。基本的に海岸線は国が所有し、国が管理しているわけですが、そこに大胆に屋根をかけるということが行われていて。完全に私有化しているわけではないけれども、自由な使い方がされているのが素晴らしいなと思います。
こういうのって東京だとすぐに怒られてしまいそうですよね。もちろん私有化じゃないかって怒ることもできるんですが、まぁ暑かったら誰でもこうしたいよねって多くの人に共感され得る行為があって、法的には許されないが、何か許される。感情的に許せるかどうか、共感できるかどうかということは、公共空間のコモンズ的な使い直しには非常に重要な要素だということが、こうした事例からわかります。
河川もその中に何かをするっていうことは、ほとんど御法度と言えるくらいです。今回の大洪水(西日本豪雨)でわかるように、氾濫に対してどう防御するか、あるいは氾濫が起こったときにどう戻していくのかということが非常に重要なので、河川を勝手に使い倒して、河川の幅を変えたりなんてことは管理側からすればやっちゃいけないことだと。しかし、よく見ると河川には私的な橋が架かっているケースが散見されます。
例えば、京都の高瀬川。あるいは静岡県三島市の源兵衛川は用水路なんですが、ここにも勝手に架けた橋がたくさん存在していて、素晴らしいんですよね。歴史的な土地利用の名残だからこそ存在しているわけですが、こうしたものは、渡りたくなるような魅力をたたえているものが多くて、現行の基準の中でこうしたものを新しくつくることは難しくなりましたが、できたものに関しては許してしまう存在になっている。そこが非常にスリリングというか、面白いと思います。あるいは漁場とか海岸線とか、先ほどの例もそうですが、私的に占有して使われている公共空間は、大切にその場所を使っているので、空間として魅力的な場所がとても多いように思います。
次は一時的にやってきて、ある場所を占有化していく事例です。目黒川沿いは、桜が綺麗な時に人がわらわらといっぱいやってきてお花見をするわけですが、近所から集まったおばさんたちが、大変なごやかに川沿いを細かく占有して、楽しいおしゃべりスポットにつくり替えています。公共空間をパブリックスペースとして使い直す時に、個人からスタートできる面白い事例かなと思います。岐阜県の郡上八幡は、河川沿いが公共の場所でありながら、わりと自由に多くの人がそれを使い直している、非常に面白い事例です。
それから、「路地的なもの」です。広島県尾道市の古いエリアには、建築基準法的に2項とか3項道路といわれる「道路とみなす道路」、近代の都市計画でつくられた道路ではなく、歴史的に生み出されてきた路地みたいな、結果として公共のスペースになっている道路が多く存在しています。こうした路地は、占有化の宝庫です。例えば、勝手に自宅の前を玄関ポーチとして使い直してしまっていて、面白い事例だなと思います。
あるいは同じ尾道で見つけた線路の擁壁では、擁壁のちょっとした角度で生まれる立体的な空白のスポットが占有化の舞台になっています。地域の人がゴミ捨て場として使っているのです。敷地の境界線は擁壁で、この空白はJRの土地の上に浮いている部分だと思うんですよね。しかしJRは普段この空白を使う必要もないので、住人がゴミ置場として使ったところで怒られない。こうした空白を見つけて自分たちのスペースとして獲得している面白い事例かなと思います。また高知の有名な朝市は、もはや公的なものではありますが、一時的に道路を全員で占有化していますね。あるいはお祭りになると、公道が突然、車のためのスペースではなくなり、お祭りの場所に変換されていくっていうのも面白いことだなと思います。
しかし、公道にお店のものが出っ放しというのは、実はよくある。お咎めというか、取り締まることはできるものも、放置されている事例は相当多いですように思います。でも、それに甘んじて単に場所を占有化していると、やっぱり近所の人たちに嫌われる。公共空間を自分のものとして使い直す時には、きっちり使うことが重要だと思っています。例えば、この酒屋さん(商品を路面まで並べている)のように、かなり几帳面に成立させることで、みんなにしっかりと使っていると思わせるような、ある種の説得性があります。汚かったら周りの人たちから苦情がくるかもしれないけど、酒屋さんのこの事例は、周りのみんなが許しているんですよね。
あるいは、沖縄の商店街では、お店の商品と食べるスペースが道の半分以上占めていて、通路を狭めている。きれいとは言えないけれど、もう全員でやっているからしょうがないかっていう事例で、いいなって思います。こういうアジア的な解釈によって公共空間を脱法的に使い直していくっていうのは、警察は嫌がると思いますけれども、私はとても素晴らしい人の動きだと思います。
公園もですね、面白くない公園っていうのはいろいろなことを禁止していく。ボール投げするな、何々するな、張り紙だらけ。いい公園になるとおおらかにいろいろな活動を許容している気がします。最近はパークマネジメントという考え方が一般的になってきて、日本でのその先駆けとして、例えば東京都世田谷区に「羽根木プレーパーク」というものがあります。これはただの公園だったものを、近隣の住民がもっと面白くしたいということで区役所にかけあい、自分たちで公園をつくり替えていった。ここでは何をやってもいい。張り紙がないし、煮炊きしてもいい、構造物をつくってもいい。特別なゾーンを公園内につくることに成功している事例です。もちろん必ずパークマネージャーという大人が常駐しています。こういう事例は最近、増えてきています。東京都渋谷区にある「しぶやはるのおがわプレーパーク」も、NPO団体にパークマネジメントを依頼して、何をやってもいい特別なゾーンをつくっています。これは意識的に公共のスペースを全員で共有し直す事例かなと思います。

乾:共有という例で言うと、沖縄には「共同店」という概念があります。似たものとして生協ってあるじゃないですか。生協は賛同者全員で出資して、仕入れて、みんなでまた買いましょうという仕組みですが、今は巨大な組織になって店を共有するという概念がほとんどなくなってしまっています。沖縄だと、地域の人たちで共有してお店を持つっていうことが小さなスケールで存在しています。都市の公共空間とは違うのかもしれないのですが、「共有」とか「コモンズ」を語る上では、こういうものも非常に面白い事例かと思います。
最後に、自分のプライベートなスペースを公共的に使ってもらいたいという事例が多くなってきています。例えば、家でカフェをやりたいとか、家開きしたいとか、家を子どもたちにご飯を提供するような場所にしたいとか。また、地方に行くと自分の家のちょっとした土間的な場所が、近所の人たちの寄り合いスペースになっていることが多くあります。「共有」とか「都市のパブリックスペース」を考える時に、単に公共の場所を何かにすることを考えるだけでは足りないんだと思わせる事例になります。
「小さな風景からの学び」では、こうした事例を様々に調べてきました。元々は、良い空間とは何かを事例から学ぶためにリサーチをしていたのですが、結果として現代におけるプライベートでもなく、パブリックでもなく、その間にある様々な次元の「共有空間」、あるいは「公共空間の共有化」みたいなものを調べることになったと思っています。

※本テキストは2018年7月8日に開催されたスパイラルスコレーの講座「ケンチクトークセッション『都市のパブリックをつくるキーワード』」の内容を、ウェブ用に一部編集・改変の上、掲載しています。

「都市のパブリックをつくるキーワード」後編はこちら


スパイラル開館30周年を記念し、2015年4月にスタートしましたエデュケーションプログラム。本プログラムでは、アーティストや研究者など経験豊かなプロフェッショナルを講師として迎え、様々なニーズに合わせた講座をスパイラルの9Fにて実施しています。

Spiral Schole

PROFILE

  • 建築家
    乾久美子

    1969年大阪府生まれ。92年東京芸術大学美術学部建築科卒業、96年イエール大学大学院建築学部修了。96~2000年青木淳建築計画事務所勤務。00年乾久美子建築設計事務所設立。00~01年東京芸術大学美術学部建築科助手、11年東京芸術大学美術学部建築科准教授、16年横浜国立大学大学院Y-GSA教授。08年新建築賞(アパートメントI)、10年グッドデザイン金賞、11年JIA新人賞、12年BCS賞(日比谷花壇日比谷公園店)、12年第13回ベネチア・ビエンナーレ国際建築展「金獅子賞」、15年日本建築学会作品選奨(Kyoai Commons)、17年日本建築学会作品選奨(七ヶ浜中学校)。

  • RADディレクター/建築リサーチャー
    川勝真一

    1983年兵庫県生まれ。RAD(Research for Architectural Domain)ディレクター、オフセット共同代表。京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。同大学院工芸科学研究科博士後期課程単位取得退学。建築に関する展覧会のキュレーションや出版、市民参加型の改修ワークショップの企画運営、レクチャーイベントの実施、行政への都市利用提案などの実践を通じ、 建築と社会の関わり方、そして建築家の役割についてのリサーチをおこなっている。現在、大阪市立大学、京都精華大学、摂南大学非常勤講師。

  • 空気の日記
  • エマらじお
  • わたし自炊はじめました
  • 交換日記 凪
  • utakata
  • Spiral Schole
  • 妄想ヴォイスシアター
  • アトリエおよばれ
CREDIT