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空気の日記

カニエ・ナハ

  • 4月23日(木)

    夜中の3時ごろ起き出して散歩にでる、マンションのエレベーターが1階でひらくとふいに、懐かしいにおいがかすかに鼻先をかすめて、えっと、これは、あの、しろい、あの花のにおいのほそい糸を、たぐるように誰もいないまちを、2、3分あるいていくと、ビルとビルとにはさまれた、ほそながい、ちいさな公園の入り口の、黄色い「円」の字型のバーのかたわらの足もとの右がわのところ、闇のなか街灯に照らされて、白く浮かび上がっている、ジャスミンの花が、

    セブンイレブンのにおいのしないセブンイレブンで、外国人の店員さんに、紙パックの牛乳1本買うのにバックヤードからわざわざ出てきてもらうの申しわけないな、ごめんなさい、とおもいながら、透明のアクリル板とマスクとで二重に隔てられていて、アクリル板が灯りを反射して顔がてらてらと光っていてよく見えない、いつもよりもより隔てられてしまった気がする、どこの国から来て、どうしてこのまちで深夜にコンビニで働いてますか、ひるまはなにしてますか、きいてみたい、きっかけがない、てか日本語とっても上手ですね、おつりがないようにぴったりわたす、ありがとうございます、ごめんなさい、

    おめでとうございます、今日お誕生日だった森山直太朗さんの5、6年前の曲に「コンビニの趙さん」があり、昔から愛聴している。2、3年前スパイラルで詩の朗読というかパフォーマンスのイベントを、(直太朗さんの協同制作者で、詩人の)御徒町凧さんがされたときに、打ち上げにもぐりこんで、どのアルバムもだけどとりわけ「レア・トラックス」というアルバムが、その歌詞たちである詩たちがいかに素晴らしく、わたしが感銘を影響を受けたかということをお酒のいきおいも手つだって熱っぽく、わたしは御徒町さんに語ったのだった、目の前のひとのシャツのボタンが取れかかっていて気になる、ほぼただそのことだけをうたった「取れそうなボタン」とか、いつものカフェの隅っこで店員さんが食べてるまかないが気になって食べたくなってしかたないことをうたった「まかないが食べたい」とかの素晴らしさについて。昔、一時期「直ちゃん倶楽部」に入っていて、コンサートにも通っていたのだった、その日はじめて会った、要するにただのファンであるわたしに気さくに話しかけてくれた御徒町さんやさしかったなあ、うれしかったなあ、

    昨日の朝ドラで、直太朗さん演じる音楽教師が、主人公が内密にと云った、国際作曲コンクールで受賞したことを、またたくまにもらしてしまう、もらさないと話がすすまないので、誰かがこの役目をになわねばならなかった、しかたなかった、つまりは取れそうなボタンだった、そんなことをおもっているあいだもずっとその物語が流れるテレビ画面には右90度に倒されたL字型にニュースの文字が流れ続けていて気になる。朝の7時半から、あるいは夜の23時からやってるBSでの放送で見ればそのL字型はないのだけど、家の前におおきな樹木がある、雨がふるとその樹木の葉っぱが垂れこめて、葉っぱの角度が変わり、それがBSのパラボラアンテナに影響して、画面にあたかも葉っぱそのもののように、モザイク模様が現れる。風が吹くと、葉っぱが揺れ、画面のモザイク模様も揺れる。ときどき、ベランダにでて去年の夏から置きっぱなしの虫とり網をふりまわして、葉っぱをふり落とすと、画面のなかのモザイクも落っこちてきて、

    いまこの文章を打っているPCから顔を上げると、いくつかの山が見える。それはサント=ヴィクトワール山で、家にあるいくつかの図録からかき集めて、それらの頁をひらいてある、コートールドのサント=ヴィクトワール山、デトロイトのサント=ヴィクトワール山、チューリヒのサント=ヴィクトワール山……。いまとある仕事の勉強のため先日から読んでいる、建築家としての立原道造について詳細に研究されて書かれた種田元晴著『立原道造の夢みた建築』(鹿島出版会、2016年)をひもといていくうちに、中盤の第三章にて、道造の描いた、浅間山を背景にしたある建築図がどうやらセザンヌのサント=ヴィクトワール山をもとにしているらしい、という記述に出会った、おなじころ、別のとある仕事の勉強のために読んでいた『新潮』2020年5月号、『文學界』2020年3月号に、それぞれに掲載されている山下澄人さんのそれぞれの短篇小説に、どちらもセザンヌが出てくる、きっとそのこと自体セザンヌへの、サント=ヴィクトワール山の連作へのオマージュなのかもしれない。私も寄稿している『ユリイカ』2020年3月号青葉市子特集にも山下さんが寄稿されているけど、そこにはセザンヌのことは出てこなかった、そこではセザンヌではなく「あおばさん」が出てきて、山ではなく海がでてくる。とにかく、それで家の中のサント=ヴィクトワール山をかき集めてみた、サント=ヴィクトワール山を描くセザンヌの筆触は、ちょうど雨の日の私の家のBSを映すテレビ画面に現れるモザイク模様に似ていて、

    「あ!これいいね」
    と、先月7つになり今月小2になったもののまだ授業のはじまらない女の子が覗きこんできていう。
    「どこがいい?」
    「ぐしょうとちゅうしょうがまざってるところ」
    「ほかには?」
    「ここの、ふでのタッチ」
    「あとは?」
    「このブルー」
    それからこれ見せて、といって、机の下にもぐりこんで私の足もとでサント=ヴィクトワール山ののってる画集の頁をくっていて、

    べつの仕事でメールのやりとりをしている、中原中也記念館のS原さんの前の職場が立原道造記念館で、要件のついでに道造について最近おもったり考えたりしたことを私が報告すると(ながい追伸!)、いまはなき道造記念館のまだ残っているホームページにて道造の墨画ならびにその画賛が見られるとのことで、URLを送ってくれて、その道造の墨画にはおおきなランプと、その下にちいさな椅子がある、そのよこの余白の空間に道造による墨字が浮かんでいて、

    願ひは……
    あたたかい
        洋燈の下に
    しづかな本が
        よめるやうに!

    「さむくない?」と足もとでまだ画集をめくりつづけている女の子に声をかけると、「だいじょうぶ!」と答えて、それからサント=ヴィクトワール山に戻って行って、

    東京・深川
  • 5月16日(土)

    「5月16日/しばたさん えびすリキッドルーム/・ハーヴィン・アンダーソン@ラットホール/・白髪一雄@ファーガスマカフリー/・河鐘賢(ハ・ジョンヒョン)@BLUM&POE/・塩見允枝子+植松琢磨@ユミコチバアソシエイツ/・松崎友哉、長沼基樹、大野陽生@ハギワラプロジェクツ」と書かれている、原文は手書き文字、去年の手帳である。表参道でラットホールギャラリーとファーガスマカフリーの展示みて、てくてく歩いて原宿へ、駅前のBLUM&POEに寄って、JRの竹下口から山手線に乗って新宿へ、新宿駅から都庁方面へ新宿中央公園を抜けて、てくてく歩いてって公園前のユミコチバアソシエイツで展示みて、塩見允枝子さんの作品集買って、そこから初台のほうへあと5分くらい歩いてハギワラプロジェクツへ。ハギワラさんとすこしお話しして、わたしのつぎの打ち合わせの時間がせまっててあわててとびだして、オペラシティを小走りでかけぬけてって初台駅で電車に乗った。

    オペラシティを小走りでかけていく。2020年2月28日のこと。打ち合わせが14時から渋谷で、それまでに谷中と初台の展示を見たい。もうあとがない。スカイザバスハウスが開廊するのが12時、スカイザバスハウスから初台まで駅までの徒歩を含めて50分くらい。逆算していく。まず11時50分に根津駅に着くようにして(なので、11時20分くらいに家を出て)、根津駅ホームからスカイザバスハウスまで徒歩、というか小走りで10分、スカイザバスハウスに10分、スカイザバスハウスからオペラシティまで徒歩(小走り)と電車とあわせて50分、となると、初台での滞在時間がおよそ35分間、ICCの青柳菜摘さんの展示(数回目、見納め)15分、企画展(「開かれた可能性―ノンリニアな未来の想像と創造」)15分、初台駅ホームからICCへの移動に往復計5分。初台駅から渋谷の打ち合わせ場所まで20分。これで待ち合わせ5分前に着く。オペラシティアートギャラリーの白髪一雄展は、後日。おそらくまもなく臨時休館になるけど、まだあと会期残り3週間あるから、きっと再開されるはず、と考えつつ、オペラシティアートギャラリーのエントランスを横目に見つつ、駅へと急ぐ、予定の電車の発車時刻まであとおよそ1分半。

    …と、だいたいいつもこんな感じで時間があるとき隙間を埋め尽くすように、分刻みで駆けまわっていたので、いまあらゆる展示が閉まっていて正直ほっとしている自分もいて、その癖して、結局そのまま再開されることなく会期が早期終了となってしまった白髪一雄展の図録をポチる、開会3日で閉まってしまったままの近美のピーター・ドイグ展の図録をポチる、まだ展示が始まらない現美のオラファー・エリアソン展の図録をポチる、…まではまだ良いとして、勢いあまって、過去に訪れた展示の、そのとき完売になっていたか、重たかったか、もち合わせがなかったかで買いそびれててずっと気になっていた図録たちまで、さかのぼってポチりはじめる。2010年Bunkamuraザ・ミュージアムのタマラ・ド・レンピッカをポチる、2011年ブリヂストン美のアンフォルメルをポチる、2012年新美のセザンヌをポチる、2013年都美のターナーをポチる、2014年西洋美のホドラーをポチる、…などなど。

    いまフアン・グリスの、何点かの図版のページを机の横にて開かれている(手もとにある図録だと、・ノルトライン=ヴェストファーレン展に1点 ・デトロイト美展に1点 ・フィリップス・コレクション展に1点 ・コルビュジエのピュリスム展に8点 ・アーティゾンの開館記念展に1点)、かれはキュビスムにおいてピカソ、ブラックに続く「3人目の画家」と呼ばれていた、とのこと、3人目でもじゅうぶんに名誉なことであるが、しかし「3人目」ということばの廻りに漂うそこはかとない哀愁があり、また比較的若くして亡くなってしまった(1927年5月11日に、40歳で)こともあり、それはさておき作品において、ピカソのブラックのキュビスム絵画のおおむねくすんだ沈んだ色彩にたいして、フアン・グリスのキュビスム絵画は明朗なあざやかな色彩で、また木目のテクスチャの描き方など繊細に具象で、分断されたレタリングやら壜やら楽器やらはどこか愛らしく、全体としての抽象とそれら具象のディテールとのバランスが絶妙に素晴らしく、先ずぱっと見に目に心地よく、かつよく見るとキュビスムらしい実験も試みられていつつ、目を彷徨させられつつ悦ばせられつつ、ピカソのブラックの「やったるで」感が希薄であるぶん、ある種の余裕や優雅さが感じられる、「3人目」ならではの強みが魅力があるとおもう。しかし、

       いつまでつづくのフアン・グリス
       心労でふえてしまうよ白髪一雄
       されどパンデミックはタマラ・ド・レンピッカ
       ひととの距離をジョージア・オキーフ
       まちにはだれもオラファー・エリアソン

    夜、恵比寿リキッドルームで柴田聡子inFIREのライブをみる。たくさんのひと、すごい熱気。昼間、表参道へ行く前に銀座線銀座駅でいったん降りて、駅前の和菓子屋あけぼの(芹沢銈介がパッケージをデザインしている)で買った、トートのなかの「銀座メロン」(今回のツアーアルバムの中の一曲「東京メロンウィーク」にちなんで)がつぶれないか心配。こみあった電車のなかでも心配していた、ずっと心配している。この日のライブはあとでライブアルバムになって、あれはスパイラルでクリスマスのころに柴田さんがトーク&ライブをした(いま、手帳で確認すると2019年12月6日20時~)、そのすこしまえにリリースされたのだった(いま、Spotifyで確認すると2019年10月23日)。

    「じぶんがそこに居たライブのライブ盤を聴いてると、映画『魔女の宅急便』のいちばんおしまいのあたりで、キキにデッキブラシを貸したおじさんみたいなきもちになります。」
    「やめてよバーサ。までも目に浮かびます。」

    カラーテレビの中の白黒テレビで大群衆が大歓声を上げている。……

       いつまでつづくのこのキキは
       やめてよバーサ
       あのデッキブラシはワシがかしたんだぞ
       かしましいニュースがウルスラ
       やめてよバーサ
       いつまでつづくのこのジジは
       かしましいニュースがトンボ
       あのデッキブラシはワシがかしたんだぞ
       やめてよバーサ

    「 落ち込むこともあるけれど
      私、この町が好きです 」

    こもってるあいだに今年のたんぽぽが綿毛になって飛んでってしまった。

    いつも行くばら苑のばらが刈られてしまった。

    ふじの花が落っこちてしまった。

    てっせんが枯れてしまった。

    あじさいが色づきはじめてしまった。

    くちなしが薫りはじめてしまった。

    *ジブリ映画『魔女の宅急便』より引用・参照箇所あり

    東京・深川
  • 6月8日(月)

    マリー・ローランサンの2014年三鷹市民ギャラリーでの展覧会の図録が、家の図書室のどこかに埋もれてしまっていて、もう何年も行方不明である。表紙が鏡のような銀で、とても目立つのだけど。この鏡の銀は、ローランサンの絵画に特徴的なフレームにちなんでいるとおもわれる、ことを思い出したのは昨秋、横浜美術館でみたオランジュリー美術館コレクション展で、ひさしぶりにローランサンの絵画を何点か見たときで、鏡であるフレームは、しかし経年により一部腐食していて、絵画自体はそれほど褪色等しているように見えない、相変わらず、良い意味で夢のように淡くくすんだ優美さと夢のように淡くくすんだ哀しみとを湛えた鏡のようだ、しかし、その夢のフレームのほうの鏡は現実の時間に着実に浸食されている鏡で、その前にローランサンの絵画を見て記憶に残っているのは、2016年東京都美術館のポンピドゥー・センター傑作選展で、ここに1点出ていた。1906年から1977年まで、おのおのの年に描かれたポンピドゥー・センター所蔵の絵画1年につき一点ずつが展示される、というコンセプトも、それをうまく会場構成に落としこんだ田根剛さん等による特異な会場デザインも印象的だったが、ローランサンは1940年の絵画として出ていた。五年後、1945年には絵画がなく、ブランクとして真っ黒な壁が、図録では真っ黒なページがある。そのことを、最近のニュースでおもいだしていた。ローランサンの鏡のフレームは、図録では省かれている(その代替であるかのように、三鷹のローランサン展の図録では表紙が鏡になっているわけだが)。ところで、その三鷹のローランサン展に行った正確な日付を私はおもいだすことができるのだが、それは2014年10月31日で、その日はローランサンの誕生日であって、しかもあなた(とわたしは記す。なぜなら6年前のわたしなどもはや〈あなた〉であるからだ)が行ける距離にてローランサン展が開かれていたのだから、あなたはそこを訪れたのだった(ちなみにローランサンの忌日は6月8日)。しかし、あなたには不思議だったことに、その展覧会場は、その日がローランサンの131回目の誕生日であるにもかかわらず、観客はほぼ、あなた一人しかいなくて、こんなに空いている美術館は何かがおかしい、と、あなたは訝しんでいる、つまり、誤って何かの拍子にフレームから鏡の中に迷い込んでしまったのではないか、などと。ローランサンの夢の鏡のフレームに、いくつにも分光された、あなたばかりが映っていて。そう、意外にも、再開となったら殺到するのではとおもっていたのだが、東京ステーションギャラリーも東京都現代美術館もガラガラで(このふたつが、あなたの家から最寄のふたつの大き目の美術館だ、自転車で行ける)、密というのであれば、スーパーとかコンビニとか公園のほうがよっぽど密なのであった。この2、3か月のあいだ、絵画というものの、実物を見ずに(あなたが所有している、家の壁に架けてある何点かは別として)、複製された図版ばかり延べ何千点だかと見てきて、当然あなたの絵画を見る視点なり視線なりはリブートされているとおもうのだけど、やはりマチエールそれからサイズ、そしてフレームということに、まずあらためて、あなたの意識はゆく。〈目の触覚〉〈視線の触覚〉とでもいうべきものが存在し、実物の絵画を走査する視線が、それを擦過し、感知する。視線の触覚にざらざらとした触感が残る。それがなんだというわけではないが。翌日、目覚めると、あなたの右目は充血していた。それは今日も未だ残っている。同様に映画館にも早速にあなたは駆けつけてしまったわけだが、ジム・ジャームッシュ「デッド・ドント・ダイ」初日、あなたの見た回の観客はあなたを含めて5名ほどで、ソーシャル・ディスタンスは保たれているであろうわけだが、左4、5席空けたとなりの席のおじさんがマスクのうちがわでとはいえ咳ばらいをすると劇場にそこはかとない緊張がはしり、あ、アダム、あぶない!すぐそこにゾンビが!やがて右後ろのおじさんのいびきが聴こえだすと、あれは眠っているんじゃない…、じきにゾンビとして目覚めようとしている!…などといった、スクリーンの中のホラーとは別種の現実のホラーが劇場内に二重写しになっており、それはそれで新種の3-D映画として面白がれなくもないわけだが、それにしても映画館とはかくもノイズの多い場所であったのだった、そういえば!とあなたは気づく。そういえば昨秋も、あなたは映画館のノイズのために、同じ映画を3回も見るハメに陥ってしまったのだった。一度目はあなたの体調がすぐれず途中寝てしまい、二度目はあなたのうしろの席のおばさんがポップコーンを食べる音が二時間強の間止むことなくあなたは(神経質なあなたは)全く映画に集中できず、の旨を終わったあと劇場係員の人にあなたは(神経質なあなたは)伝えるとおなじ映画をもう一度見られるチケットは心優しげな係員のひとにあなたは貰って、そして三度目にしてあなたはようやくその映画をちゃんと見ることができたのだった…、それでそんなこともすっかりあなたは忘れていて、こんど2ヵ月振りだかに映画館で映画をあなたは見て、映画館ってやっぱりいいよね!ってあなたはおもえるものと期待していそいそと映画館に駆けこんだのだけど、蓋をあけてみればそんなことは全くなく、映画館ってノイズが多い!ってあなたはおもって、人それぞれだもんね、しかたないよね!って、あなたは。映画館で、むかし、いまはもうない浅草の汚ったない映画館で、リバイバル上映の「寅次郎 あじさいの恋」を見たことがあったのね、昼間からお酒片手に…のおじさんたちが、なんと、オープニングのテーマ曲がはじまると、大合唱するのね、それから、寅さんが失敗すると「だめだよ、寅さん!」とかスクリーンの寅さんに向かってつっこみを入れて、等々みんなやりたいほうだいだったけど、めちゃくちゃ楽しかったんだ。むかしは映画をみるのって、みんなああいうかんじだったのかな。ああいうのだったらうるさくっても全然いいんだけどね。それからあとね、いろいろおもいだしたからついでに云わせてね、タランティーノの「デス・プルーフ」って映画(2007年くらい?)、公開初日(9月のあたまくらい?)に新宿武蔵野館で見たんだけど、あれ、エンドマークが出た瞬間拍手喝采が起こったんだよね、まあ、映画の中の悪役がさ、数年前のハーヴェイ・ワインスタインみたいになったってわけ(そういえばあの方、服役中なのにコロナにかかっちゃったらしいけど、無事なんだろうか、そもそも、あのひとのこの数年置かれてる状況ってもう全然無事じゃないよね!)あとはね、恵比寿ガーデンシネマが2010年だかに一度休館になったでしょ、その閉館前一番最後の回にリバイバル上映の「スモーク」見たんだけど(これも毎年クリスマスがくるたびに、もう十回は見た映画なんだ。クリスマス映画といえば「スモーク」だよね!)、そのときも終わった瞬間拍手喝采がおこったんだよね、あれは映画そのものっていうより、劇場へ向けての拍手だったとおもう。あの回も満員だったな、満員の映画館に万雷の拍手…、それらは映画館ならではの良い思い出として、あなたに残っていて、それらを思い出すとやはり映画館っていいな、映画館を守らなくては!とかあなたはおもうのだけど、しかし、おおかたは先日のジャームッシュのゾンビ映画の際のあなたのごとく、となりのおじさんのいびきがうるさいだの、うしろのおばさんのポップコーンがうるさいだの、そんなんばかりなのである。また、ひさしぶりに割引なしの正規料金1900円を支払ってあなたは見たわけだけど(レイトショー上映がないので!)、「自分への投資」込み、ということにでもしなければ、とても採算がとれないな(Netflixが月々1200円だもんね)、などとあなたはおもったのだった。それでジャームッシュの新しい映画の話のつづきで、クロエ・セヴィニーをあなたは久しぶりに見て、そうだあの、むかし、ほら、ヴィンセント・ギャロの映画でクロエ・セヴィニーがでてくる、あの映画めちゃくちゃ好きだったんだけど、あのギャロの乗ってる車のフロントグラスの窓の汚れ!あの汚れが!あの汚れなんだよ!それで、あの映画のエンディング近くで、タイトルにある〈ブラウン・バニー〉が出てくる、いや出てこない?ん…?出てくるヴァージョンのエンディングもあったけれど、公開されたものでは出てこないものになったんだったっけ?そういう話を当時、映画雑誌(いまはなき「日本版プレミア」とかだったかな?)で読んだのだったとおもう、〈ブラウン・バニー〉が出てきたか、出てこなかったか、あいまいにあなたはなっていて、でもその映像を頭の中で再生できるから、出てきたのかもしれない、それとも雑誌の記事で読んであたまのなかでつくりあげられた映像がいまあたまの中で再生されているのかもしれない、あなたの。ジャームッシュの新作のゾンビ映画では、墓場から、雑草のようにゾンビがニョキニョキ生えてきちゃってさ(向こうの席で、またおじさんの咳!)、「足並みそろうと全滅しちゃうので。」っていう、こないだ見た、石川佳奈さんのオンライン個展のタイトルと、その内容のことを思いだして、ずっと考えていたのだった、あなたは。

    石川佳奈さんの先日のオンライン個展「足並みそろうと全滅しちゃうので。」は(タイトルはある雑草学者の言葉から、とのこと)、当初5月に北千住BUoYのギャラリーで展示する予定だったのを急遽オンライン展示に再編成したとのこと。3つの映像作品で構成されている。1つ目の映像では、東京とか銀座とか北千住とか、東京の各所で、足もとで誰にも顧みられることなくひっそりと道端のアスファルトの隙間とかから生えている雑草が、人の手(石川さんの手だろうか)でむしられる。その様子を雑草の目の高さ(つまり人間にとっては超ローアングル)でとらえる、そのあまりにもささやかな行為には(当然)無関心に、周囲を行き交うひとたちの〈足並み〉が映し出される。それがロケーションを変え執拗にリフレインされる。絵画のマチエールを感知する目の触覚の存在をあらためて感じたことをさっき書いたが、石川さんの作品を見ていて感受したのは、ごくかすかな痛覚のうずき、それから幻のようにかすかな嗅覚の震え。

    先日あなたは、夜中にあなたの街をでたらめに散歩をしているとき、角を折れるとふいに、廃墟のような古い木造の家が解体されている途中の現場に出くわす。突然鼻を刺すするどい匂いに刹那、恐怖のようなものを感じる。植物が伐られるときの匂い、あれは痛みが匂いとなって発されているのだとどこかで読んだ記憶があるけど、あれに似ている。また一つあなたの街から雑草である建築がむしられてしまっている。それで石川さんの作品で雑草がむしられるとき(それはむしられているのであって、伐られているのではないのだが)痛みの匂いを発しているように、嗅覚がそれをモニターごしに嗅ぎ取ろうとしていたのだとわかった。

    むしる手とむしられる雑草とが交錯する一瞬に、植物は人間であり、人間は植物である、と錯覚する。それを錯覚するあなたもまた、束の間、その二者に同一化している、あなたもまたむしる人間とむしられる雑草とが一体になったものとなりそれを感知する視線の触覚があなたであり、幻覚する嗅覚があなたである。また、石川さんの、むしるまでにいくぶん、ときにさんざん、逡巡しているようにみえる、その長いような短いような奇妙なアイドリングの時間に、雑草とコミュニケーションを(あるいはディスコミュニケーションを)交わしている異形の空間が立ち上がっている、ように見える。これは、昨年一月にスパイラルのエントランスで展示されていた、石川さんの前の個展「触りながら触られる」に通じているように、あなたは感じた。ここでは手と雑草の関係が、「触りながら触られる」の人a(女性)と人b(男性)の関係と相似であるように、ふりかえってあなたは感じている。

    それにしても、むしられるとき雑草がもっとも雑草として立ち上がりわたしに迫りくる!と、眠りしなにこの雑草と手の映像のことを回想していたときふと巨大な雑草にあるいは巨大な手に覆われるイメージにあなたは襲撃される。

    2つ目の映像では部屋に持ちかえられた雑草がミキサーで分解されて濾されて紙になる。それは外の川べりの広場へともちだされ、草のうえに放置され、じきに風にさらわれて空へ放たれて川へと落下する。そのとき、どこまでが植物でどこからが紙なのか、あるいはどこからが植物である紙で、どこからが風なのか空なのか、どこからが紙でも風でも空でもある植物でどこからが紙でも風でも空でも植物でもある川なのか、わからなくなるような心持が、あなたはした。そしてそれらとあなた(たち)との境界はどこなのか。紙に問われる(映像)。いずれにせよもはやほとんど川である雑草は東京を脱出する。

    3つ目の映像で、公園に生えているなんでもない雑草をむしっていいものかどうか確認をとろうと役所に電話を石川さんがしている、電話にでた女の人が確認するために電話を保留にする、その保留音のチープなレット・イット・ビーのBGMが流れている間、石川さんがむしった雑草から紙をつくる子どもたちとのワークショップのダイジェスト的な映像が流れる。あらゆる子どもたちを見るときわたしたちは自分たちのなかの子どもたちをそこに二重写しに見ている、という視点がある(ならば、あらゆるものはジョンかポールかジョージかリンゴかに分類することができる、というレトリックも成り立つ。)同様に、あらゆる雑草を見るときわたしたちは自分たちのなかの雑草をそこに二重写しに見ていて、あらゆる雑草がむしられるときわたしたちのどこかがむしられている、そしてあるいは、雑草は巧みに企んで石川さんと子どもたちの手をかりて変身し脱出しようとしているのかもしれない、とあなたはレット・イット・ビーを聴きながら、石川さんと共に役所の女の人を待っている間、ぼんやりと考えている。

    あなたの家の中に雑草のように日々、本が増えていって今日、今、あなたが見たいマリー・ローランサンの画集が雑草に埋もれて見つからない。ローランサンが亡くなったときアポリネールからの手紙を胸に抱いて埋葬されたのだった。アポリネールはそのずいぶん前にスペイン風邪で亡くなったのだった。アポリネールがスペイン風邪で亡くなったとき枕元にはローランサンが描いた彼の肖像画が架かっていたのだった。美術史がかつてあまりにも男だらけだったので、ローランサンの画集は大変貴重なのだが、男どもの雑草に埋もれてマリーの画集がみつからない。そういえば、レット・イット・ビーの歌詞にはマリーがでてくる。ポールの若くして亡くなったお母さんの名前であり聖母でもあるのだったっけ。ジョンもまた、お母さんを早くに亡くしたのだったっけ。そして、じぶんが亡くなる日アニー・リーボヴィッツのカメラの前で胎児のようにしてヨーコさんに抱きしめられてそれから数時間後に亡くなったのだったっけ。ジョンが亡くなった日にパール・ハーバーが奇襲されてたくさんの男たちがそれぞれのマリーをおもいながらあるいは叫びながら亡くなっていったのだったっけ。息ができない…、ママ…って。あなたは。奇襲のように雑草がむしられて、感覚がいつまでもざわざわとささくれだっている静電気で微動している、いまは電源の落ちているまっくろいモニター

    東京・深川
  • 7月1日(水)

    こういう忙しい日に限ってこういうことは起るもので、机の下から出てこない。きょうおやすみするんだー。熱を測る。37.0℃。37.5℃あれば強制的に帰される。ちょうしわるいんだー。机の下から出てこない。ああ。机の下から出てこない。出てこない。あきらめて電話をかける。お大事にしてくださいね。じゃ、せんろつくろっかー。すこし線路をつくる。もっとおっきいのー。増設する。これ、のったよねー。またのろっかー。あれはいつだったか。このひと月のどこかのことだ。すこしゆるみはじめたころ。ひさしぶりに電車にのった。まず自転車にのって東京駅まで行って丸善で本を買って。東京駅から電車に乗って、山手線のあたらしい駅を見に行ったのだった。これー。あたらしい駅のあたらしい自動販売機で桃のジュースを買う。いちばん高いやつだった。180円もする。背の低いペットボトルにもかかわらず。べつのときのこと。これはつい先日のことだ。べつの駅で、おなじ180円の桃のジュースを買う。福島の桃の濃厚なジュース。でもそれを水色の電車の窓のところに置き忘れてしまう。まだ開けてもいなかったのに。あれは、赤羽から王子のあいだ。王子から都電に乗って鬼子母神前まで。

    都電の王子駅は正式には王子駅前駅という。駅前駅って。そこから早稲田方面へ向かうとまもなく、飛鳥山をのぼる。都電の線路が自動車と同じ道路の上を走っていて、前を行く自動車といっしょに信号待ちをしたりしている。車と車とにはさまれて。車電車車って。鬼子母神前でいっかい降りてギャラリーに寄る。こんなポスターばかりの展示久しぶりにみました。そういえば、昔タロウナスさんで、トム・クルーズの映画のポスターだけが貼られた展示ありましたよね、あれはびっくりしたけど、あれは作家は、えっと…。眞島さん。そんなことを話して、それからもういちど都電に乗って、早稲田まで出て、駅を降りてすぐのところにあるギョーザ屋さんでギョーザを食べて、それから地下鉄の早稲田駅のほうに向かって、駅前に公園があった。そこですこし遊ばせて、それから東西線に乗って、帰ってきたのだった。

    山手線のあたらしい駅から、となりの品川駅へ。東京駅で駅弁を買おうとおもったのだけど、閉まっていたのだった。それで品川駅へ出てみたら開いていて。とんかつ弁当か何か買って。ふたりでわける。常磐線に乗って、ボックス席で、がらがらの車両で、いま買った駅弁を食べたのだった。

    さっきのギョーザ屋さんのあたりで左に折れると川にでる。神田川で、ここに芭蕉庵がある。たしか東京で三つある。そのうちの一つ。もう一つは家の近くにある。芭蕉庵のところの急な勾配にある神社をぬけると永青文庫がある。ここで2年ほど前に良寛の展示を見た。あれはフィンランドから帰ってまもないころ。フィンランドのラハティでおじゃました、地元の著名な詩人レアリッサ・キヴィカリさんのお家で、愛読しているという、良寛の本を見せてもらったのだった。英訳された良寛の和歌を、レアリッサさんは読んでくれて、とても好きなのだといった。その和歌がどんな和歌だったか忘れてしまったが、水が出てくる。川についての歌だったとおもう。

    レアリッサさんに、別れ際、プレゼントをもらう。いろいろなものが入っている。レアリッサさんの絵、手紙、たくさんの蝶々を象った紙、それからムーミンのマグカップ。縁がすこし欠けている。わたしたち詩人っていうのは、このマグカップとおなじで、どこか欠けているものなのよ。

    芭蕉庵から川沿いに江戸川橋駅のほうへすこし歩くと、椿山荘にでる。毎年ここの庭園でホタルを見ている。こどものとき、ホタルなんて見たことなかった。おとなになってから、30を過ぎてからは、毎年ホタルを見ている。今年はひさしぶりにホタルを見ていない。椿山荘の庭園は閉まっていて、電車に乗ることさえホタルのころにはままならなかった。

    あのホタルが見られる郊外の田園が、ドラマの中で出てきた。一時期、毎年行っていたが、もう何年も行っていない。もしかしてあそこかな、とおもって調べてみたら、そうだった。それでひさしぶりにそこを訪れてみたい気もしたが、電車乗ることがはばかられるし、都外に出ることは禁じられていたのだった。それでホタルも、ロケ地めぐりも、あきらめた。

    テレビドラマなどというものを、もう長い間(記憶しているかぎり、20年以上)見たことがなかったのだけど、この間、久しぶりに見てみたら、けっこうおもしろくてつぎつぎに見てしまう。今年はホタルも見られないし。ホタルの代わりに家でドラマを見ている。ドラマなどもホタルとおなじで、いろいろなひとたちが入れ代わり立ち代わり、明滅している。それをぼーっと眺めている。

    新作のドラマが止まっているので、代わりに近年流行ったドラマの再放送をやっているので、とりわけおもしろいやつばかりが流れていたのかもしれない。「凪のお暇」を見て「中学聖日記」を見た。どちらにも女優のY・Yが出てくる。Y・Yは私の前の詩集にも出てくる(わたしが勝手に書いたのである)。たぶんわたしはY・Yのファンなのだとおもう。どちらもY・Yは主役ではないのだが、主役ではない、Y・Yが演じている人物の人生のほうが気になる。黒木華や有村架純よりも。もっとY・Yが演じている人物にフォーカスしてくれたらいいのにとおもう。それから、WOWOWのリモート制作ドラマで、大泉洋とY・Yの2人のドラマ「2020年 五月の恋」も見る。大泉洋が別れた元妻であるY・Yにまちがい電話をかける。そこから毎晩のように大泉洋とY・Yは電話で話すようになる。

    ときどき、電話のぐあいで、相手の声はわたしに聞こえているのだけど、わたしがいくら話しかけても、わたしの声は相手に聞こえない。ちゃんと聞こえてるよ。返事もしている。だけど届いていない。しんだらこんなかんじかな。いつもそうおもって、しばらくのあいだ、そんな臨死体験を、予行演習として、しばらくつづけている。もしもし、もしもし。うん、うん、だいじょうぶ、きこえてる。こっちは、きこえてるよ。そのまま、はなしていて。ちゃんと、きこえてるから。

    いくつかのリモート制作ドラマや短篇映画を見たが、もともとドラマや映画をみるとき、わたしたちは俳優と俳優が演じている人物を二重写しに見ている。リモート制作ドラマでは、俳優たちは自宅に居たり、自撮りをしたりしていたりする。いつも以上に、演じている人物と俳優そのものとの境界があいまいに感じられる。

    昔、ルイ・マル監督の遺作で「42丁目のワーニャ」という映画があって、それはチェーホフのワーニャ伯父さんの舞台の練習風景を撮った映画で、ワーニャ伯父さんを演じる俳優たちは衣装ではなく、普段の稽古の恰好をしている。しかし、通し稽古で、ワーニャ伯父さんの人物たちを演じている俳優たちをずっと見ているうちに、俳優たちと演じている人物のどちらを見ているのかわからなくなってきて、映画を見ているのか演劇を見ているのかわからなくなってきた。

    こないだ、待ちに待ちまくって、公開初日に勇んで見に行ったグレタ・ガーウィグの新しい映画では、グレタの前作でも主演を演じていたシアーシャ・ローナンが演じていて、その前作「レディ・バード」はグレタの自伝的な作品とされていて、そのグレタの自伝的な主人公を演じたシアーシャが、今回も、グレタが愛読してきた「若草物語」で、自分を重ねてきたであろうジョーを演じている。「レディ・バード」では、わたしたちは、シアーシャ・ローナンを見ながら、シアーシャが演じる人物(レディ・バード)を見ながら、そのモデルとなっているグレタ・ガーウィグを見ている。「若草物語」では、シアーシャ・ローナンを見ながら、シアーシャが演じているジョーを見ながら、「グレタの中のジョー」を見ている。かくも、あまりにも複雑な映画なので、わたしは一度ではとても見切れた気がせず、今日は7月1日で映画サービスデーなので、もう一度見に行きたかったのだが、今日はとてもそんな時間はなかったのだった。

    複雑な映画といえば、ビー・ガン監督の「ロングデイズ・ジャーニー」をこないだ見た。公開されてわりに早い時期に映画館がすべて閉まってしまったので見逃していたのだが、舞浜の映画館でやっていて、見ることができた。ディズニーランドのやっていない舞浜駅は閑散としていて、イクスピアリにも人はまばらだった。逆にこっちのが夢みたいだな、とおもった。「ロングデイズ・ジャーニー」のわたしの見た回はほかに3人の客がいて、ソーシャル・ディスタンスはまず保たれているとみてよさそうであった。2時間強の映画の後半1時間が3D映画になる。映画の中で主人公が映画館に入る。主人公が映画館でメガネをかけたら、そのとき観客もいっしょにメガネをかけてください。とあらかじめ云われている。しかし、映画がはじまるとすぐに彼は居眠りをしてしまう。彼は、わたしは夢をみている。3D独特のハリボテのような遠近感は、夢の遠近感に似ている。似ていない。夢をおもいだしたときの記憶の遠近感に似ている。似ていない。フェリーニの映画を思い出すとき、3D映画の遠近感でよみがえるのだが、フェリーニの映画は3D映画ではなかったはず。さっき見ていた映画のことを、じゃなかった、夢のことをいま、おもいだそうとしているのだが、どうしても思い出すことができない。いつもどおり、呼吸がくるしくて目がさめた。目がさめてすぐに、日記のつづきを書かなくちゃとおもって、いまこれを書いている。夢のなかで、いくつかの丘を越えた気がする。

    日記を書いているうちに、日記を書いているのか何を書いているのか、わからなくなってしまう。日々、記憶は増えていき、同じ電車に乗っても、いくつもの駅で降りたり乗り換えたりするので、そのたびに混線してしまう。2020年7月1日にもどると、線路は完成した。私は今日しめきりの原稿にふたたび取りかかるものの、またすぐに呼ばれしまいなかなか集中できない。テレビみる?プーさんみるかー。それで幸い、「くまのプーさん」とペンで書いているDVDがDVDの山のいちばん上にあって、プレイヤーに入れると、「くまのプーさん」と「ティガー・ザ・ムービー」の2本が入っている。ティガーの話、見てみる?うん。それでティガーの話を再生する。あ、プーさんだ!あ、ティガーだ!よし、これで1時間ちょっとの間は原稿に集中できる。ありがとうプー。ありがとうティガー。ありがとうクリストファー・ロビン。ありがとう100エーカーの森の仲間たち。

    「くまのプーさん」のラストでは、もうじき学校に行くことになるクリストファー・ロビンが「大人になると何もしないってことができなくなるんだ」と淋しそうに言う。何もしないことができない。これから原稿を夕方までに送信して、雨が上がったなら散歩にもつれていって、それから部屋を片付けながら夕飯のしたく、その間に、19時からのオンラインミーティングの準備もしなければいけない、そのあと24時までに日記も書かなくては。請求書の請求も来ている。あのメールもまだ返せていない。明日までに印刷所にお金を振り込んでおかないと。忘れないように。何もしないことなどできない。

    いまふりかえると、ステイホームの時期にはもうすこし時間があった。なにもしないこともできたのかもしれなかった。それでもずっとなにかをしてしまった。ドラマもたくさん見てしまった。もったいないことをしてしまった。気が付くと、床いちめんに、チョコクリスピーがばらまかれていて、はんぶんくらいは、すでに踏まれて粉々になっている。飛び跳ねた、ティガーが踏んづけたのだとおもう。チョコクリスピーの海をかきわけて、いくつもの電車が走りつづけている。わたしはつぎの電車に間にあいたくて、シアーシャのように駆けだした。

    東京・深川
  • 7月24日(金)

    たまにそうなるのだけど、この数日間、ひたすらに眠くて眠たくてしかたがない。そもそも、普段から頭痛薬を手ばなすことができず、バファリンかイヴを毎日最低6錠は飲んでいる。しかもこう雨がつづくと痛みがなおさらひどく、頭痛薬を飲むと痛みはおさまるがぼーっとしてしまう。眠い。眠たい。コーヒーでバファリンを流し込む。まだ眠い。眠たい。眠たいんだ。こないだからグレタ・ガーウィグ関連の映画を順に見なおしている中で、グレタが俳優として出演してる、20th Century Womenを何年かぶりに見て、うとうとしながら見て、ホームパーティの食卓で、グレタがひとり、テーブルにつっぷして眠っている。アネット・ベニングがグレタのとなりの席の息子に命じてグレタを起こさせると、不機嫌なグレタは、いまmenstruatingだから眠たいの、という。アネットが、そんなことみんなの前でいうもんじゃない、とたしなめると、そういう考えは時代遅れよと(ここで描かれているのは1979年で)、みんなもっと口に出していうべきと、menstruation、あなたも云って、と、となりの15歳の少年に口にさせる、mens…truation……、そんなおびえたように云わないで、もっと普通に、menstruation、あなたも、と向いの席の黒人の青年にも云わせる、mens…truation、目が泳いでる、ちゃんとこっち見て云って、menstruation、はす向かいのおじさんにも、menstruation?、語尾を上げないで、menstruation、じゃ、みんな一緒に、menstruation、menstruation、わたしも、語学の勉強のように口にする、menstruation、menstruation、そのあと、エル・ファニングが自分の14歳の初体験について語りはじめる。それをいまにも机につっぷしそうになりながら聴くともなく聴いている。眠い。眠たい。眠たくて。頭痛薬を飲み込んですこしすると、錠剤が溶けていくように、視界がつかのま、白濁する。耳鳴りと雨音とが溶け合って、骨まですこし溶けていくような気がする。meditationしてるようなきもちになる。
    何日か前、コルトレーンの命日で、思い立ってコルトレーンの吹くMy Favorite Thingsを、1960年の同名のアルバムに入っている最初の録音のものから、new portのライブ盤、half noteのライブ盤、village vanguardのライブ盤、日本の厚生年金会館でのライブ盤、最後のolatunjiでのライブ盤…と順に聴いていってみる。meditationしてるようなきもちになる。
    それにしてもそうだ、京都いきたいなあ!
    20時に全国の120箇所でいっせいに花火が打ち上げられるという。今日はもともとオリンピックが始まる予定だった日とのこと。先日NHK BSプレミアムでやってた「建築王国物語」という番組で、オリンピックに向けて新しく建てられたいくつかの建築について、会期に間に合わせるために、職人たちが、いかに智恵を絞り、力を合わせて、未知の建築物の施工に取り組んだかについて描かれていて、選手だけでなく、こういったひとたちにとっても、どんなに残念なことだろう、とおもった。
    出来上がった新しい、誰もいない競技場の、建築家や職人が力を結集させて造った屋根を、花火がシルエットにして浮かび上がらせていた。
    花火の音かとおもったそれはタップダンスの靴音で、生のライブを見たのは一体いつぶりだったろう?そのタップダンスの、靴音はもとより、振動が伝わってくる、鼓膜がふるえる、皮膚がふるえる、その内側の臓器たちがふるえる。演者の息づかいや、それを見まもる観客の呼吸など(10名ほどの少人数に抑えられているのだが)、全身で感じる。みんな生きてここにいる。これがライブだったなあ、などと圧倒されてぼんやりしたあたまでおもう。タップダンサーの米澤一平さんとコンテンポラリーダンサーの水村里奈さんの二人によるライブで、米澤さんが四谷三丁目の綜合藝術茶房喫茶茶会記というお店で数年にわたって、もう六十回以上継続されているプロジェクトで、毎回いろいろなジャンルのゲスト一人とコラボレーション公演をしている。その、しばし中断していた、久し振りに再開された回だった。水村さんの手の足の指先が微動している。線香花火みたいに。その細かい動きの震動が空気を細かくふるわせている。しばらくダンス作品なども映像でしか見られなかったので、生のライブだと自分で見たいところにフォーカスできること、しかし、米澤さんと水村さんが離れた場所でおのおの踊っていると、両方を同時に見ることはできない。また、そもそも坐った席の位置によって全然見え方が違う。すべてを見切ることができない。しかもこれらはたった一度しか起こらない。ぜんぜん見切ることができない。そのもどかしさがライブなのだった。途中、撮り下ろしの映像作品も上映される。米澤さんがインタビューをして水村さんが答えている。その答えの声だけをトリミングしてつなげた音声が詩の朗読のようで、それを聴きながら、映像のなかで、街中を踊りながら歩く水村さんを見ている。それを撮影しているのは米澤さんで、はんたいに水村さんが撮影した、タップダンサーの視点を想像して撮影したという映像作品も流れる。まちにあふれるさまざまなモノの音や声が聴こえてくる。
    その翌週だったか、米澤さんと中目黒の居酒屋の、角の窓辺の席に居て、すぐそこを目黒川が流れていて、全開にした窓からはいってくる川風が心地よい。来月の公演に向けていろいろな話をする。席は満席で、中目黒の名物だというレモンサワーを、米澤さんと幾杯も飲みかわしながら、わたしの終電の時間まで打ち合わせというかお喋りというかをしていたのだった。途中、雨が降ってきて、雨のにおいが、なつかしい夏のあの感じがした。窓をはんぶんほど閉じる。もうだいぶ前、去年の12月か今年の1月くらいだったか、この話をいただいたあと、とりいそぎ公演のタイトルを、インスピレーションで、と云われて、とっさに、手元にあったアンリ・ミショーの詩集から、その中の一篇のタイトルから引いて、「寝台の中のスポーツマン」としたのだった。
    そのときにはまだオリンピックが中止になるなんて話はまったく出てなくて、しかしこうなってしまうと、このタイトルをミショーから引っぱってきた当初とはまた全然違った響き方をしてしまうのだった。
    ひさしぶりに居酒屋などに行って、名物のレモンサワーがおいしく、米澤さんの話がおもしろく、ついつい飲み過ぎてしまう。
    雨が頭痛薬を溶かしてあたまの窓ガラスを白い水滴が流れていく。
    眠たいのになかなか眠れず、眠ってもじきに目が覚めてしまい、しかしなかなか目覚めることができない。
    いつも見ているNHKの手話の番組で、耳の聴こえないひとは寝言のかわりに寝手話をする、という話がでてきて、そういえば私も寝手話をしているひとを見たことがあったし、私自身も寝手話をしたことがあったのだった。
    手話を読み取るとき、また手話をつかわないひとに対しても、口のかたちを読みとっているひとが多いので、こうみんながマスクをしていては、みんな不便しているだろうなとおもった。
    それで、いま調べて見たら、やはり口もとを読み取れるように、透明マスクというものがすでに考案されているのだった。
    いっそ、みんな透明マスクにすればいいのにね。
    不透明である普通のマスクで、顔の半分が隠されてしまっていては、表情が読み取れなくて、ほとんどのひとたちがみなそういう状態でまちにいることは、それは自覚できている以上にどこか悪夢じみていて、ひとの表情というものが、すくなくともその半分が、世界に欠落している。
    送られてきたハガキの文面の半分以上が、雨か何かで流れてしまい、欠落している、その欠けてしまった部分の文面をああでもない、こうでもないと、何十枚も記したものが並べられている、installationで、その作品のもとになった、文面が半分欠落したハガキのコピーが展覧会のDMにもなっている、藤村豪さんの個展「誰かの主題歌を歌うときに」(KANA KAWANISHI GARELLY)を見た。金曜日に行って、一週間会期が延長されたので、翌週の最終日の土曜日にもう一回訪れた。奥の映像作品《同じ質問を繰り返す/同じことを繰り返し思い出す(どうして離婚したの?)》では、友人が離婚した理由を、6年間にもわたって断続的に、なんども質問し、なんども語り直してもらう。入口の映像作品《左手が左手を作る(左のための再演)》では、左手の指が短く生まれてきた、息子さんの左手を、自分の利き手でない左手で、手さぐりで、粘土で再現しようとする(藤村さん自身は、「再演」という言葉をつかっている)。つくる手とつくられる手とが重なり、対話をしているように見える。それは距離を埋めようとしているようにも、他者とのあいだにどうしようもなく欠けているもの、あるいは欠けてしまうものを、治癒し、あるいはべつのもので補おうとするこころみのようにも見える。すくなくとも、それをぼんやりと見ているわたしのこころのやわらかいところに、触れてくるものがある。やがて、ふいに息子さんが帰ってきて、「色ぬったほうがいいよ」というようなことを藤村さんに云う。
    それら映像自体はオートリピートでくりかえされるのだけど、はじめに見にいったときにはギャラリーの河西さんと見て、つぎに行ったときには藤村さんと河西さんと河西さんが抱っこしている河西さんの息子さんと見たのだった。おなじ映像ですら、おなじように見ることは二度とできないのだった。
    いま、ここまで書いて、藤村さんの個展についても米澤さんと水村さんのライブについても、全然うまくも、じゅうぶんにも、語れていないもどかしさがあるのだけど、藤村さんの作品のように、また別のとき、別の機会に、何度でも語り直せばいいじゃないか、やり直せばいいじゃないか、「再演」すれば、というふうに、励まされてもいるのだった。
    そうおもいつくと、すこし安心して、わたしは今日のいっせいの花火を見ることができなかったので、寝台によこたわって、寝手話のように、花火の手話を、いくつも打ちあげてみる。
    記憶の暗やみを、手話の花火が、これまでのわたしの花火にまつわるさまざまのことを照らしている。手が覚えてもいる。
    ね、なにいろの花火がすき?
    わたしは白い花火がすきなんだ。
    いまおっこちた線香花火を逆向きに再生させることも、わたしの、わたしたちの手はできる。
    できるんだよ

    東京・深川
  • 8月16日(日)

    八月十六日 角影(つのかげ)の裏の山畑にて
     敗戦の日、胸が一杯になってただむしゃくしゃ日本のやり方が
     悲しかったけれど、今日はそのほとばしるような激した感情が潮を
     引いたように静まりたまらなくやるせなく寂しい心で一杯になった。
     深々とした大地のふところにいだかれ遠くアルプスの前山をのぞみ
     ジージーという蝉の声をきく。久しく遠ざかっていたスケッチをしつつ
     (『いわさきちひろ 若き日の日記「草穂」』松本由理子編より)

    奥付を見ると「二〇〇二年九月六日 第一刷発行」とあり、この本が刊行されたときに記念に開催されたはずの、練馬のいわさきちひろ美術館での企画展のとき、美術館の売店でこれを買ったのだったか、とにかくもう十八年も前の話で、そのころに買って、夢中で読んだ本で、一九四五年八月十六日から九月六日までを記した手帳が、全頁、原寸大で収録されている。殴り書きのような文字に、スケッチもたくさんある。二〇一五年の八月には、この手帳(を収録したこの本)をかたわらに置きながら、私は毎日詩篇を書き殴っていた、あと二冊、講談社文芸文庫の石原吉郎の詩文集と、岩波文庫の原民喜全詩集。あるとき、まんをじして、広島をおとずれたちひろだったが、原爆資料館の近くまで訪れたものの、こみあげるものがあまりにもあったためか、ついにそこに足を踏み入れることができなかったのだった。いま、この日記の文章をうっているパソコンから目をあげると、文庫本の山の中に、講談社文庫の『ちひろ・平和への願い』の背表紙が目に入り、ひっぱりだすと、表紙の桃色が裏表紙のそれにくらべて、だいぶ色あせている。奥付を見ると「1995年6月15日第1刷発行/2001年11月26日第5刷発行」とあり、『草穂』の本とおなじころに買ったのだったとおもう。ぱらぱらとめくると、さっき、わたしがうろ覚えで記した、ちひろの広島を巡るエピソードについて記されたくだりはすぐに見つかって、「ちひろは広島へ取材旅行に出かけますが、中心地の平和公園の近くに泊まったとき、「この床の下にも子どもたちの骨があるのよね」と言い、一睡もできませんでした。広島の町を歩きながら、一足ごとに死んでいった子どもたちのことを思い浮かべひどくかき乱され、予定されていた原爆資料館や原爆病院は訪れずに帰ってきてしまいます。これらのエピソードからは、ちひろの感受性の強さと、悲惨な光景に本能的に目を伏せてしまう性質がうかがえます。どこまでも酷い現実を凝視し、地獄絵を再現して反戦を訴えることがちひろにはできませんでした。」(講談社文庫『ちひろ・平和への願い』広松由希子による解説文より)。同じ文庫本から、目にとまったところをいくつか引いてみる。

     戦争の悲惨さというのは
     子どもたちの手記を読めば
     十分すぎるほどわかります。
     私の役割は
     どんなに可愛い子どもたちが
     その場におかれていたかを
     伝えることです。
          ちひろ・一九六七年

    戦時期に青春を送り(「草穂」を記した1945年が26歳)、はやすぎる晩年(1974年に55歳で亡くなっている)をむかえたちひろは、ベトナム戦時下の子どもたちに思いを馳せながら、その終結を見ることなく亡くなっている。

     戦場にいかなくても戦火のなかで子どもたちが
     どうしているのか、どうなってしまうのかよく
     わかるのです。子どもは、そのあどけない瞳や
     くちびるやその心までが、世界じゅうみんなお
     んなじだからなんです。
                 ちひろ・一九七三年

    「「ベトナムの本を続けてやるのも、私はあせって、いましなければベトナムの人は、あの子どもたちはみんないなくなっちゃうんじゃないかと思って……」。ちひろは一九七二年にベトナムを舞台にした『母さんはおるす』(グェン・ティ作)を、また翌年、詩画集のような絵本『戦火のなかの子どもたち』を発表します。
     一九六四年から、一九七五年のアメリカ軍撤退まで続いたベトナム戦争では、百万人以上ものベトナムの人々が犠牲となりましたが、そのうちのおよそ半数が子どもだったといわれています。核兵器以外のあらゆる兵器が使用され、野山を汚染した枯葉剤などは、母親の体を通して、戦争を知らない胎児をも冒しました。
     日本にある米軍基地から、子どもたちの頭上に爆撃機が飛び立ってゆく現実に、ちひろは怒りを禁じえませんでした。体調が悪く、入院で制作が中断されることもありましたが、「私のできる唯一のやり方だから」と、はやる気持ちで筆をすすめていました。『戦火のなかの子どもたち』を描き上げて一年後、ベトナム戦争の終結を知ることなく、ちひろは他界しました。」(講談社文庫『ちひろ・平和への願い』広松由希子による解説文より)

    あれは、ちょうどグレタ・ガーウィグの若草物語が公開されたのと同じくらいで、つづけて見て、そのコントラストに眩暈がしそうだったのを覚えている。Netflixで、スパイク・リー監督の新作『Da 5 Bloods』は、折りしも、Black Lives Matterの只中に公開されて熱狂をもって(アメリカで)迎えられた、5人の黒人の、元ベトナム戦争従軍兵が、当時は十代とかだったろうか、それから四十年以上を経て、みな初老から老齢といっていい年齢になっている、このメンバーの一人が、当時ベトナムに金塊を埋めておいたという、それをいま、まんをじして取戻しにいくのだという、それで当時ベトナムにて戦を共にした5人が再集結して、かつての戦場へと向かう、といった筋で、一見コミカルな感じで物語は始まるのだが、現地に到着すると、「闇の奥」に向かうにつれて(当然、コッポラ「地獄の黙示録」へのオマージュもある)、かつての現場のさまざまのトラウマの記憶がフラッシュバックし、彼らの心身は不調をきたし、変調しだし、じりじりと追い詰められていく。

    とうとう一人が、四十年以上の長きにもわたって埋められつづけ誰かに踏まれるのを待ちつづけていた地雷を唐突に踏みつけ、下半身が木端微塵になる。のこされた半身の、傷口というにはあまりにも大きすぎる傷口から、だはだばと血があふれ流れる。それをカメラが真上からとらえていて、いま死にゆくひとの眼を、私たちは目のあたりにしてしまう。

    いわさきちひろの描く絵のなかの子どもたちの、とりわけ初期のものがそうなのだけど、子どもたちの肌がとても茶色い、あるいは黒い。日焼けをしているのだろうか。そういえば、昔は夏に真っ黒に日焼けをしている子どもをよく見かけたが、いまはそんなに見かけない気がする。

    しかしあまりにも日差しが強く、日中屋外にいることは危険といわれていて、NHKなどを見ていると、Lの字を右90度に倒した緊急の報せを告げる文字情報がずっと出つづけていて、熱中症への注意喚起と新型コロナウィルスの情報が交互に流れてくるのだった。それで外で遊ぶこともままならないので、つい1週間前にも行ったばかりなのにまた、最寄の駅から地下鉄で3駅で行けて、しかも駅直結で、避暑しつつ、買い物もの食事もできれば水族館ほか遊ぶスペースも充実している、スカイツリータウンに行くのだが、いま、観光客が激減しているため、おそらくはその収益減を補うための策なのだとおもう、都民はスカイツリーの展望台チケットがいまだけ半額とのことで、このスカイツリータウンには、2013年だかに開業して以来、これまで何十回も訪れているのだけど、ここへ来てはじめて、展望台へのぼってみることにしたのだ。

    遠くのほうはかすんでいて、見えるものといえば、川と川とにはさまれて、ひたすらにビルや家々の屋根ばかりなのだが、75年前の今ごろにはここが一面焼け野原だったとおもうと、いやそう思う前からなのだが、眩暈がするのだった。

    去年みたあるアニメ映画では、はんたいに、あまりにも長きにわたって雨が降り続き、いま見えている景色の半分ほどが水浸しになってしまったのだった。

    サステイナブルがいま一つキーワードになっているが、どんなにサステインしたとて、やがて、いずれは人類は滅びてしまうのだった。

    それは、それだけが確かなことなのだと、いいうるのかもしれなかった。

    人類のはるか未来の子どもたちを守れない。

    この圧倒的な無力感とどう対峙していけばよいのか。

    ああ。死が、絶滅が、不可避であるわたしたちは、わたしは、なぜ、どうして生きるのか?

    といった、中学生か高校生かがかんがえるようなことを、そのダブルスコアでもトリプルスコアでもある年齢でかんがえているわたしなどは真っ先に滅びるべきなのかもしれなかった。

    そんなことを考えているうちにいよいよ眩暈がひどくなり、頭痛薬をサイダーで流し込みつつそうそうに地上へ下りて、押上駅で半蔵門線にとびのって、17時までの展示にまにあうように、江戸川橋へ向かったのだった。今週はあまり展示が見られなかった。

    先週はわりに見られたのだった。

    先週の日曜日にはスパイラルで桶田夫妻のコレクション展とエヴェリナ・スコヴロンスカの展示を見て、ユトレヒトまで炎天下、日傘を差しながら住宅街を10分くらい歩いていって長島有里枝の新しい写真をめくって(ミヤギさんが店番をしていらした)、GYREでヒストポリス展、新しくなった原宿駅からJRに乗って新宿、駅前のタワーレコードで予約しておいた7インチのレコードを買って、地下鉄で日比谷、新しくできたスペースCADAN有楽町でグループ展、日本橋三越で川内理香子の個展、一旦家に戻って自転車を20分くらいこいで無人島ギャラリーへ、臼井良平展。そういえば数か月前は、いっさいの展示が閉まっていたのだが、すっかり通常モードに戻っていて、ただギャラリーに入るときにマスクをつけたり、手を消毒したり、ときどき検温をされたり、事前予約が必要なところがあったりすることくらいが、異なっているのだった。

    その、先週の日曜日にスパイラルで見た、エヴェリナ・スコヴロンスカの展示で、ステイトメントで、古代ギリシャの詩人サッポーについて書かれていたのだった。いま、わたしは、はじめギリシャの女性詩人と書いて、いやだな、とおもって、女性の文字を消して、詩人としたのだが、詩人にしろ、アーティストにしろ会社員にしろ職人にしろ作業員にしろなににしろ、属性に、というか、人類に、性別というものがあるというのはほんとうにうっとうしく、わずらわしく、神様(と、信仰というものの全くないわたしが、アイロニーの限りを込めていま記してみる、something)の設計ミスとしか、近年ますますおもえなくなっているのであった。

    それはさておき。

    そのはるか昔のギリシャの詩人である、サッポーの、約1万篇の詩篇で、完全なかたちで残っているのは2篇のみで、あとは欠落していたり消失していたりするとのことであった。エヴェリナさんは、その欠落ないし消失こそを創作の契機として、抽象化されたグラフィカルな身体の断片の描写と、サッポーの詩のことばの断片とを、響きあわせて、継ぎ合せて、新しい作品を生成されているのだった。

    今週の、つまり今日のほうの日曜日に、スカイツリーから下りて向かった、江戸川橋WAITING ROOMでの飯山由貴さんの展示で、前回の彼女のWAITING ROOMでの展示は2014年で、まだWAITING ROOMが恵比寿にあったころで、そこで見たことを思い出したのだった。そのときの記憶だけをとりだすと、せいぜい去年かおととしのことのようにおもえるが、もう六年も前のことなのだった。およそ30分間の映像作品を見ながら、そのことを思い出しながら、映像の中の島やら神話やらの時間と自分自身の時間とかがごちゃまぜになって、時間が、時間というものが、時計の文字盤が、たとえば半分に切られた、半球のミニトマトででもあるかのように、あまりにも赤く、半球で、不確かなのであった。島に生息している、たくさんの猫が映像で流れて、猫の時間ということの不思議についても考えたのだった。

    そんなことを考えながら夜、ひさしぶりにポテトサラダをつくったのだった。

    いもの皮むきにかんして、わたしはにんじんの皮をむくのには皮むき器をつかうけれど、じゃがいもには皮むき器をつかったことがなかったのだけど、あたらしいことにも挑戦してみようとふとおもい、皮むき器をつかって皮をむいて、しかしやはりじゃがいもの凹凸の凹のところに皮がのこってしまう、でもそれはもうそのままでいいや、という境地に、いつしか達していたのだった。よくもわるくもいいかげんに、なってきたのだった。

    鍋に皮をむいた、あるいはむききれていない、じゃがいもらを入れて、そこに水をひたひたにいれて、火にかける。塩と、しょうしょうの砂糖をつまんで入れる。つぎに、たまごを冷蔵庫から出して、水を入れたもうひとつの鍋に入れて火にかける。強火。前回ゆでたまごをつくったとき失敗した。今度は成功させたい。

    きゅうりをほそい輪切りに刻む。ボウルに入れて塩をふりかけておく。しばらく放置する。

    楕円形のハム3枚を、いまパックの上で段状になっているものを、まっすぐにそろえなおして、まず縦に二等分する。それから横にして、幅7mmほどの長方形に切っていく。

    たまごのお湯がぐつぐつしだしたので、キッチンタイマーを8分でセットする。

    (ここで、主菜のお魚を煮はじめるが、これはあくまで夕食の支度全般ではなく、ポテトサラダについての描写であるので、割愛する。その他の副菜やみそ汁についても。)

    ミニトマトをパックから6個とりだし、へたをとって半分に切る。12個の半球のミニトマトが現れる。

    ボウルに水を張って、そこに保冷剤を入れる。

    キッチンタイマーが鳴る。

    保冷剤を入れてよく冷やした水をはったボウルにたまごをぶっこむ。
    流水にあてたまま、卵をむく。今回は、きもちいいほどきれいに剥ける!

    卵切り器でたまごを刻み、さらに刻んだ卵を90度回転させてもう一度卵切り器で刻む。

    じゃがいものほう、ゆで上がり、水をよく切って、おなじく水を切ったさっきの輪切りにしたきゅうりのボウルに放り込む。

    じゃがいもをフォークの柄でつぶしていく。刻んでおいたハムと、ゆで卵を、入れる。

    マヨネーズとこしょうを少々かけて、全体を木べらでかきまぜる。それぞれの素材感や食感がのこるように、かきまぜすぎないように、適度に、粗く。

    円形のうつわに盛って、丘状に盛ったポテトサラダのまわりに時計のように、12の、半分に切られて半球のミニトマトを、文字盤の数字替わりのように並べる。

    食事のあと、今日かばんに入れていた、3冊の本、いつものように、今日が誕生日か命日のどちらかである人物らにまつわる、今日は3冊ばかりの、本をとりだして、つづきをすこしずつ読む。

    1冊目、木田元『反哲学入門』(新潮文庫)。大病をした木田さんが、病み上がり、自宅療養しているところを、お見舞いに編集者が幾度かたずねてくるうちに、哲学にくわしくないビギナーの読者に語りかけるように、インタビューの形式で、何回か収録したものを、連載としましょう、ということになったという、この本のなりたちについてのまえがきを読む。欧米の哲学について本当に理解することは日本ではそもそも不可能なのではという疑問を木田さんは呈されていて、それに対しての、タイトルにも掲げられている「反哲学」であるが、それがやわらかい、口述で解かれていく、という姿勢ないし形式じたいが、そもそも「反哲学」的なのだとおもう。

    2冊目、大庭みな子『津田梅子』(小学館P+D BOOKS)。みな子が津田塾に入った年に、津田塾のある小平市の、鷹の台駅の、尞の近くで春、満開の桜の木の下で、さまざまに去来するもの思いにとらわれながら、満開の桜を眺めていると、塾の昔の卒業生らしい、妖精のような不思議な老女にふいに声をかけられる。彼女はみな子に、唐突に、「あなた、津田先生って、カエルの卵の研究をしていらしたのよ、アメリカの大学で」と声をかける。たしかに、実際、梅子はアメリカ留学時代に生物学を先攻し、カエルの卵に関する論文を一八九四年英国の「マイクロスコピカル・サイエンス」誌にモーガン教授と共同で発表、そのモーガン教授は一九三三年に、ノーベル賞を受賞したのだった。「彼は後年梅子について、その才能と人柄を称賛し、「あの優秀な頭脳は――教育者として立つために、生物学ときっぱり縁を切ったわけだ」と語った。」の一文で、この章はしめられる。あの妖精のような老女はなんだったのだろう?

    3冊目。『文藝別冊 ビル・エヴァンス〈増補決定版〉没後40年』(河出書房新社)。1970年に、ジャズ批評家の児山紀芳氏が、ニューヨークで、エヴァンスの自宅で、ロングインタビューを収録することに成功する。クラブか何かのお店であったとき、初対面にもかかわらず、今度自宅でゆっくりインタビューさせて欲しいというオファーに対し、「部屋にはいろんものがあってゴチャゴチャしているから…」と一度は断られたものの、あとで思い直したのか、エヴァンスみずからわざわざ電話をかけてきてくれて、「この前のインタビューのことだけど、よかったらどうぞ」と快諾をしてくれ、実現したのだった。エヴァンスの部屋は、話とはちがってひじょうに整理されていて、古いピアノと、二匹のシャム猫がいる。メラニーとリタという。デビューにいたるまでのこと、スコット・ラファロの死、インタビュー当時試みはじめていたエレクトリック・ピアノのこと…など、私たちが知りたいことを、半世紀前の児山氏が、半世紀前のエヴァンスからするすると引出し、語らせてくれる。昼ごろの日差しはやわらかく、ほとんど人付き合いをしないというエヴァンスも、自宅のリビングで、コーヒーを片手に、遠い日本からの来客を相手に、リラックスしているように見える。エヴァンスの眼鏡の片方にはメラニーというシャム猫が、もう片方にはリタというシャム猫が映っている。頼んだわけでもないのに、私たちの愛してやまない、「ワルツ・フォー・デビー」を弾いてくれ、さらには、これまでライブで演奏したことがないという、「ピース・ピース」らしき曲の旋律をつま弾いてくれる。セカンド・アルバムに入っているこの曲は、「自分の求めているサウンドをつかんだ最初のものだった」と語ってくれる。かつて、禅や日本の墨彩画に傾倒したことなども語ってくれる。そういえば、エヴァンスも参加しているマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』の、エヴァンスによるライナーノートにも、ジャズ演奏を墨彩画にたとえた箇所があったはず。かつて、わざわざ出版社へ行ったり、図書館に通ったりして、禅に関する書物を探したのだった。現在までに、というのはつまり1970年、いまから半世紀前までに、少なくとも、禅の書物を四冊発見して、その頃、墨彩画についての知識も得た。「そして、この単純な墨一色の絵の手法に、私は、ジャズの純粋な即興演奏の精神と相通じるものがあることを知ったのです。」ライブのときには、あらかじめセットリストを決めたりせず、その日の会場、観客の雰囲気に応じて曲目を、演奏しながら決めていく。演奏をはじめる際にも、ベーシストやドラマーと、「つぎはこの曲にしよう」などと、言葉で示しあわせたりしない。そんなことを語っている、エヴァンスの足元で、二匹のシャム猫がじゃれあっている。

    東京・深川
  • 9月7日(月)

    昨夜奈良から東京に帰ってきて、18:26 分京都発のぞみで 20:38 に東京について、八重洲北口からすたこら、東西線日本橋へ、日本橋からあと、えっと、ふた駅なんだうちの駅、日本橋のとなりりの茅場町までは一分、茅場町からとなりの門前仲町までは2分、この2分の間に川を渡る、渡るっていうか地下鉄では潜ってるのかな、潜る、潜って渡る、潜って渡ってる、

    昨日までの三日間、毎日四、五時間山里を歩いた、歩きまわった、二、三日目は宿でじっとして原稿を書いていてもよかったのだけど、天気もよかったし、せっかく来たから歩きまわった、景色もよかった、ZOOM にメールにラインに…と、画面を見る時間が今年あっとうてきにふえた、目がつかれている、緑がやさしかった、直線でない稜線が、なにもない空が、それらを、目が求めていて、

    二日目は山の上の高原をめざして歩いていた、山の途中で来週のオンライン大会の接続チェックをかねたミーティングの時間になってしまって、私だけ屋外で、背景が大自然になってしまって、笑われちゃった、四元さんがつぎのようなことを云った、「空、すごいね。これじゃ空のほうが気になっちゃって、話が入ってこないよね。」こないですよね、

    みんなの空だけを背景にうつして、空の背景だけをうつして、なにも語らずに、ただ黙って空だけをうつしあって、眺めあって、眺めあわなくてもよくて、そんな ZOOM 会議が、いつかしてみたい、してみたいな、

    二日目の夜、べつの ZOOM ミーティングで、ZOOM で手話で打ち合わせってはじめてしたんだけど、画面からはみでちゃって、もどかしいね。やっぱり直に会いたいねってなって、明後日って、つまり今日、正確にはこの今日のことを書いてるのは、明日なんだけど、会いに行ったよ、そのことはたぶんまたあとで書くね、

    三日目の、つまり昨日の朝、三日間ではじめて雨が降って、雨が降ってなかったら朝から出かけてしまうところだったのだけど、雨に足止めされて、足踏みをさせてもらって、ありがとう、雨、ありがたいなあ、雨雲でてっぺんが見えない、山を眺めながら、民宿の雨の窓辺で、先週の金曜日にリリースされた、ダーティ・プロジェクターズの新譜を聴いてんだ、『スーパー・ジョアン』っていう、ジョアン・ジルベルトにマージュしてるみたい、去年、窓から三崎の海が見わたせる海辺の民宿で、ジョアンを聴いてたことをおもいだして、そのすこし前に亡くなったのだった、あのジョアンの『声とギター』ってアルバム、帯に「これより良いものは沈黙しかない」ってある、座右の銘にしてるよ、何百回も聴いたんだ、電車でも山でも海辺でも、人生のサウンドトラックだね、ジョアンが好きだっていう青葉市子さんの、こないだのユリイカの特集に寄稿したとき、ジョアンと市子さんについて書いたとおもう、タイトルが、声とギターとお漬物、そうだ先週は市子さんの新曲もでたよ、そっちも聴いたよ、そっちに変えるね、

    声とギターとお漬物、声とギターとお漬物、それらがあれば、だいたい生きていきるよね、生きていけるよね、ここの民宿のごはん、なかなかおいしいんだ、ご飯とみそ汁とお漬物、焼き魚に、この村で取れた野菜、窓の外にそびえてる、お山をみながら、お漬物かじる、お味噌汁すする、ずずず、

    日記、ちっともすすまないね、これは何年何日の日記だったっけ?2020 年 9 月 7 日か、9 月 7 日の日記なんだけど、9 月 6 日の朝食について書いてた、しかも今日は 9 月 8 日の朝で、しめきりは 9 月 7 日の 24 時なんだけどね、その時間は横浜から家へ帰る最終電車の中に居たんだ、夕飯もまだ食べてなくて、夕方から日比谷、移動して 21 時から横浜で、ミーティングがあってね、オンラインじゃないやつが、両方とも長引いちゃってさ、昨日は、えっと、日記的にいうと、今日は、朝から超いそがしかったんだよ、お、これでやっと今日の話に入れるね、やっと今日の日記らしくなってきたぞ、やったね、みなさん、お待たせしました、やっとここから、今日の日記ですよ、今日の日記のはじまりはじまり、だよ、

    映画みたいにさ、ここでやっと、まんをじして、ってかんじで、タイトルでも出そうか、

    2020 年 9 月 7 日。
    大林監督の映画だとさ、ここからサブタイトルみたいのがいくつも出るんだよ、ほら、長岡花火大会の映画とか、サブタイトル大すぎて、どれがほんとのタイトルかわからなくなっちゃう、今度の「海辺の映画館」も、タイトルが出たあと、えっと、「映像純文学の試み」だっけ、っていうサブタイトル?がバーンと出て、わたし、おもわず吹き出しちゃったんだけど、みんなは笑ってなかったな、あの映画、さいごのほう、劇場のあちこちですすり泣く声が聴こえたよ、一週目に見に行ったんだけど、ほぼ満員だったな、日比谷シャンテ、今週でシャンテでは終わっちゃうのかな、もう一回見にいっときたいな、いけるかな、

    それでね、この日記もさ、たとえばさ、「独白的純日記の試み」みたいなサブタイトル?みたいなのをかかげて見てもいい、独白って、わたし誰に話かけてるんだろうね、きっとあなたに話しかけてるんだろうね、あとは依頼主の松田さんかな、松田さんの顔もちらついてる、なにせしめきり過ぎてるからね、松田さんごめなさい、

    いまの連、読み直したら、さいごのところ、ごめんなさい、っていわなくちゃいけないところ、ごめなさい、になってて、わたし、あやまるのへただね、へたね、へた、

    独白的純日記にもどる、

    そういえば昔、吉田喜重の映画に「告白的女優論」ってあったよね、映画のなのに「論」って、かっけーとか、それを見たのまだ二十代前半とかだからね、しびれちゃって、でも内容はあんまり覚えてなくて、例によって岡田茉莉子が出てたよね、岡田茉莉子とあとふたりの女優が、森のなかを歩いてる映像が思い浮かぶんだけど、そんなシーンあったのかな、まあその映画のことはどうでもいい、「告白的女優論」みたいな感じでさ、これは「告白的日記論」でもいいな、さっきは「独白的純日記」っていったんだけどね、日記論を日記でやろうとしてるってわけ、ミイラとりがミイラになる、みたいにならないといいね、

    昨日の夜、奈良から東京に帰ってきて、18:26 分京都発のぞみで、20:38 に東京について、八重洲北口からすたこらさっさと、東西線日本橋へ、日本橋からあと、えっと、ふた駅なのね、うちのもより駅は、日本橋のとなりりの茅場町までは一分、茅場町からとなりの門前仲町までは2分、この2分の間に川を渡る、渡るっていうか地下鉄では潜ってるんだとおもう、潜って渡って、ひさしぶりに帰ってきた、荷物いっぱいかかえて、

    半沢直樹が、撮影が遅れて、放送予定のえっと第 8 話だっけ、が来週に延期になって、そのかわり急遽、出演者が出てきて1時間の生放送をする、いそいだらそれに間に合うかな、いそぐね、改札を出たのが 55 分、家についたら 9 時 3 分だった、半沢はじまってた、どうやら冒頭のいいところ見逃しちゃったみたい、いちおう録画しといたんだけど、生放送だから、番組の設定がかわったのかな、録画が無効になってた、ついでに録画したあれこれちゃんと録れてるかチェックしたら、「名建築で昼食を」が録れてなかった、あれだ、うちのベランダの前の木が繁茂しすぎて、パラボラアンテナが受信する、電波を阻害していて、「名建築で昼食を」は BS の番組で、どのチャンネルだったか忘れちゃったけど、一話から毎週たのしみにしてるのに、ちくしょう、こないだ近所のホームセンターで買ってきた枝きりバサミで、あとでチョキチョキしてやるんだ、とかおもってたら、昨夜ポストに、当マンションの住人各位、九月某日ベランダ側の植物の伐採工事を行います、みたいなチラシ、お知らせが入ってた、

    葉っぱを切り落とすたび、モザイク状になった BS 画面から、葉っぱが落下するように、モザイクが剝落していく、枝切りバサミはふつうのハサミと全然使いかってがちがって、力の入れ方、筋肉の使い方がちがう、重たい、枝も枝でなかなかに太く、抵抗してくる、見れば見るほどよい枝ぶりで、その完璧なプロポーションを、わたしが壊そうとしているのだというそくめんがあるようにおもえてくる、これはこれで名建築じゃないかと、この木のかたわらで、わたしも昼食を食べているじゃないかって、

    しかし今夜(昨日の夜、つまり 9 月 6 日の夜)しめきりの原稿があるのだけど、向こうで、つまり奈良で、あと新幹線でも、ある程度進めていたのだけど、21 時 3 分ごろ家に帰ってきて、疲れすぎてて飲めなかった、さっき京都駅で買った、抹茶のビールを開けて、ちびちび飲みながら、半沢直樹の生放送をぼんやり見てて、気づいたら寝ちゃってて、ここからやっと今日の話になるんだけど、2 時半くらいにがば、と起きて、「しめきり!」とおもって、しめきりの原稿にあらためてとりかかったってわけ、「カニエくん、きみは原稿書かないとおしまいだよ。お・し・ま・い・DEATH!!!」って、香川照之の大和田のモノマネ一人でしながら、夜中2時半に、「ナハ、あなたがいるってわかってあたし、やる気まん・まん・よ!」って、片岡愛之助の黒崎のモノマネ一人でしながら、それをうける堺雅人の半沢の苦い顔のモノマネ一人でしながら、午前2時半に、5時ごろいったん書き終わって(お・し・ま・い・DEATH!)、落ちて、七時ころ起きて、あれこれしたくして送りだして、あっといまに九時過ぎ、約1時間推敲して、これ、ある彫刻家に宛てた、彫刻にまつわる文章で、こんどでる彫刻家の作品集に載る文章なんだけど、短い文章を削って、かたちを整えていく、文章をつくりこんでいくのもすこし彫刻に似てるね、でもこの作家さんは石彫、石を扱ってるんだけど、一度彫ったところは元に戻らないからね、そこが文章とは全然ちがう、やっぱり全然ちがうなあ、

    10 時過ぎに原稿を送付、つづけて英訳してくれる人に原稿を送付、念のためラインもしておく、これでやっとひと息、朝食たべよう、あ、そのまえに洗濯機まわさないと、旅先で洗濯できなくて、三日分の洗濯物がたまってて、洗濯機まわしながら、あー、あいかわらず部屋もちらかってて、洗濯機まわして、それから先週でた、一十三十一さんの新しいレコードまわして、

    代々木上原のレコード専門店、Adult Oriented Records の開店 2 周年の記念盤で、主に AOR 系シティポップ系のレコードを扱ってるんだけど、この一十三十一さんの新譜は B 面に松田聖子「秘密の花園」が入ってて、松本隆作詞、呉田軽穂(ユーミンの別名ね)作曲のカバーでこれがめちゃくちゃ良くて、発売日から三日間で 100回くらい聴いて、これはやばいとおもって、先週どこかでもう一回代々木上原寄って、もう一枚買っておいた、レコードって聴きすぎるとすりきれちゃうのがいいよね、

    それでそのレコード屋でついでに、呉田軽穂のつながりで、ユーミンの AOR 系を代表するアルバム2枚だとおもうんだけど、「パールピアス」と「昨晩お会いしましょう」を買って、どっちも 500 円とか 600 円だったかな、めちゃ安いよね、どっちも CD で、近年はサブスクで、何百回も聴いてきたアルバムなんだけどね、ところでユーミンは荒井時代っていうひとは、このへんのアルバムもちゃんと聴いてるのかな?「パールピアス」 100 回聴いて出直してこい、とか、昔のジャズ喫茶の頑固な店主みたいこといいたくなっちゃう、やばいね、でもいまの音楽も大好きだよ、長谷川白紙さんのおととしのアルバムとか 200 回くらい聴いたよ、The 1975 の今年のくそ長いアルバムだってもう 100 回は聴いた、いい音楽はくりかえし聴きたくなるね、再生したくなるよね、わたしは詩集もそういうものだとおもってて、100 回とか 200 回、再生される詩が書きたいたな、詩集をつくりたいな、

    それでレコード聴きながら洗濯機まわしながら部屋のかたづけしながらってうちにあっというまにお昼で、夕方 17 時過ぎから横浜で打ち合わせ、20 時までのとそのあと別のプロジェクトの打ち合わせが 21 時から、の二本立てで、その準備もしつつ、16 時に送ってかなきゃいけなくて、それまではやや時間あって、郵便局に行く用事があって、外に出てみたら土砂降りの雨で、犬や猫みたいな、さっきまで晴れてたのにね、でもいいや、傘さして郵便局に向かう、あ、結局その宛先昨日は書けなくて、今日、この日記書いたらまずそれやらなくちゃだった、はやく日記書き終えないと、

    この日記、つまり 9 月 7 日の日記を書くのに、わたし、9 月 8 日の朝めがさめて、昨夜 21 時半に横浜ではじまった二本目の打ち合わせが、23 時すぎに、つまりわたしの終電が来てしまったので、終わって、そうだオンラインじゃないと、終電ってものがあるんだよね、1 時ころ家に帰ってきて、駅前の松屋で遅い目の夕飯たべて、家に帰って 1 時半くらいだったかな、その移動の間も翻訳の件とかその他のプロジェクトの件でずっとメールとかラインしてるんだけど、帰って、まだ仕事は山積みなんだけど、なにより今日の日記のしめきりがすぎてるんだけど、とりあえず寝ちゃった、
    それで 6 時すぎかな、夢を見て起きた、そうだ、小島ケイタニーラブさんとドライブしてた、ケイタニーさんが運転してくれて、あれ、実際は、おととい、奈良の山村から京都まで二時間、森をぬけて、林さんが運転してくれたのだけど、道中、いろんなこと話した、共通のしりあいもいっぱいいて、せまい業界だね、昨日の打ち合わせその2の一人も、そのひとりだった、

    起きて 3 分もしないうちに日記を書きはじめた、で、いまにいたってる、パソコンの時計をみる、8 時 6 分、途中ちょっと中断されちゃったけど、もう 2 時間もこんな感じで日記書いてるんだ、こんど、24 時間日記を書きつづける、みたいなプロジェクトやってみたいな、このままいまこれをあと 22 時間つづければそうなるんだけどね、なんか、いけそうな気もするけどね、

    あと十数分したらいったんパソコンを離れて送りださなきゃいけない、これはこれでそれなりに流れってものがあるし、日記なんてジャズのインプロヴィゼーションみたいなものだからね、コルトレーンかな、いやちがう、ソニーロリンズかな、ライブ会場だかスタジオだかにくる道すがらにたまたま耳にしたメロディを、その日の演奏によくとりいれたっていうよね、日記っていうのはそもそもインプロヴィゼーションでしか書けないのかもね、中学生のときからジャズ聴いて育ったからさ、家に死ぬほどレコードがあった、とかじゃないぜ、ゼロからぜんぶ自分で集めたんだ、うちの親は哲学者じゃないからね、っていうちょっとしたヒントだけ与えておくよ、これが誰の文体を意識して、それと架空のジャムセッションしてるか、いずれにせよ、ジャズにたとえられると燃えるんだ、

    8 時 12 分、これじゃ日記じゃなくて「分記」だね、日記にはあきあきしてるから、これからは「時記」とか「分記」とか、それにもあきたら「秒記」を書いていこうかな、うん、そんなんなったらそれこそ病気だよね、

    8 時 14 分、ダーティ・プロジェクターズのこないだの金曜に出た EP「スーパー・ジョアン」をこれを書きながらオートリピートでずっと聴いてて、奈良の雨の午前にもおなじようにしてずと聴いてて、昨日の移動中もずっと聴いてたから、一周 11 分とかだから、もう何回聴いたのかな、50 周くらい?これくらい聴くと、耳にしみこんだ気がするね、あと 50 回も聴けばからだにしみこむ、

    8 時 16 分、ほんとに分記をやるのかあたしは、分記奮闘記だね、なんてね、そうだそういえばさ、来週キャンプファイヤーって企画があって、若いおもしろいアーティストが一晩集まってパフォーマンスする、もう告知も出てるよね、帰りの新幹線でプロフィール催促されて、あわてて出したんだった、それでそこで、記録をする、ドキュメントする、文章でね、

    8 時 17 分、みんな多かれすくなかれ、映像みるのにつかれちゃってるとおもう、昨日の打ち合わせ1でも、W田さんが、もう映像みれない、っていってた、一日何十時間も見てるんじゃないかな、今年になって、こういう状況になって、そういう二次被害も出てきてる、みんなそれぞれのかたちでむしばまれてるね、

    8 時 19 分、山歩きのために買ったカカオ 72%のチョコレートをほおばる、チョコをたべるとコーヒーが飲みたくなるね、昨日は打ち合わせその1のルノワールで、もう疲れすぎててコーヒー頼む気がしなくて、ハチミツの入ったアイスティーを注文したんだ、なかなかおいしかったな、ルノワールの店員さんって親切だね、2 時間くらいの打ち合わせのあいだに、水、10杯くらいついでくれて、お茶も三杯くらいもってきてくれた、ありがとう、ひとと喋るとのどがかわくね、水くれるとのどもからだもこころもよろこぶね、ありがとう、ルノワールの店員さん、

    8 時 23 分、そろそろしたくしなくちゃね、この日記、じゃなかった、分記も、どこかでふんぎりつけないと、ん、日本語あってる、そろそろ松田さんから進捗伺いのメール来ちゃうんじゃないかな、しめきり、あー、なんかこの日記、じゃなかった、分記、やはりファーストリーダーである松田さんに向けて書いてて、どうして日記の提出が遅れたかってことを説明するための日記、じゃなかった分記、なんじゃないかな、これは、そう見えますか、松田さん?

    8 時 24 分、これだけお世話になってるのだから、そろそろ松田さんのために、というのは松田さんに捧げる詩なんてのも一篇、まじめなやつね、書いてもっていうか書いたほうがいいんじゃなかって気がしてきた、こんないいわけめいた日記、じゃなかった分記じゃなくてね、どうですか、要りますか、松田さん?

    8 時 26 分、ほんとうに、そろそろしたくして送りださないと、しばらくしたら戻ってきますね、ほんとすみません、松田さん、

    8 時 27 分、あと、ルノワールの店員さんのためにも詩を書きたいよね、
    8 時 28 分、では、しばしお待ちを、

    *

    わかった、わかったよ
    きょう、いかなくていいよ
    うえのこも きょうはやすみ あしたも あさっても とおかかん おやすみ

    きのう ひるごろ とつぜんかえってきた
    がっこうのせんせい ころなになっちゃったんだって
    たんにん? たんにんじゃない 
    それでとりあえずきょうはいっせいそうたい
    れんらくがきた むかえにきてください
    とりあえずあしたはおやすみ
    あさっていこうは あとでれんらくします
    けんさひつようなせいとには こべつにれんらくしています
    このじかんまででれんらくがないかたは けんさはふようです
    くがつ じゅうしちにちまで きゅうこうとします
    え、このくそいそがしいのにどうするん?
    なんとかなるか なんとかするしかない しかたない
    しかたないよね
    しかたない いいよ きょうは きみも

    *

    こんな日記、じゃなかった分記をえんえん書いてるあいだに、片付けられた仕事がいくつもあったのだけど、これは大事な日記、じゃなかった分記なんだ。彼女は日記を書くのが趣味であった。日記を書く時間が毎日、すこしずつ長くなっていって、気づけば一日の半分を日記を書くのに費やすようになり、やがて一日の三分の二を日記を書くのに費やすようになり、ついには二十四時間を、日記を書くのに費やすようになった。つまり、寝ている間も、夢の中でも、彼女は日記を書いていて、

    彼女はいつもふたつの日記を書いている、ひとつは現実の日記、もうひとつは夢の中の日記、現実の日記に夢の中のことを書くこともあるし、その逆、つまり夢の中の日記に現実のことを書くこともある、現実の日記の中の夢の記述の註釈が夢の日記に付されていたり、夢の日記の中の現実の記述の英訳が現実の日記に付されていたりもする、

    マクドナルドのハッピーセットのおまけだとおもうのだけど、おもちゃのドラえもんの人形の、帽子がぬげていて、ドラえもんの青くてまるい、頭頂から紐が出ていて、その紐を帽子に開いている穴に通さないと帽子を被れないのだが、それがなかなか通らない、

    現実の日記と夢の日記の間にもほそい穴が開いていて、往来することもできるのだが、それは細い糸なので、意外と通するのが、通るのが難しい、

    *

    13 時 58 分(9 月 7 日)、このあと打ち合わせのスタッフのN島さんからライン来て、今日 W 田さんとわたしが在宅に切り替えたので、Kエさんも横浜まで来てもらうのあれなので、東京駅あたりでどうですか、といった内容で、わたしは、せっかく在宅に切り替えたのだからオンラインでどうですか?と聞いたのだけど、きょうは対面で、ということになって、その理由はあとでわかったのだけど、W 田さんがもうモニターが見れないのだったし、やはり対面だといろいろなことがするする決まる、そういえば、この W 田さん、N 島さん、S 藤さんと、オンラインではずっとひんぱんに会っていたのだけど、現実で会うのはいつぶりだったろう、何か月ぶり?もはや現実とオンラインの区別がつかなくなっている、現実と夢の区別がつかないみたいに、

    17 時 33 分(9 月 7 日)、打ち合わせ場所に指定してくれた、有楽町のルノワールにつくと、N 島さんすでにパソコンひろげてて、現実ではひさしぶりに会った、会えた、あとから S 藤さんも W 田さんもやってきて、ひさしぶりに会えた、うれしいな、うれしかったな、顔がつかれてますねーっていわれて、疲れてるよーって、つかれすぎててコーヒー飲む気しないもん、それで、ハチミツの入ったアイスティー注文して、ルノワールの店員さん、お水なくなるとすぐにあたらしく注いでくれる、そのうちお茶もくれる、ひとと話すと喉がかわくね、たくさん話すと、するする決まるね、実際あうと、あえてうれしかったよ、水、いっぱい注いでくれて、うれしかったよ、

    20 時 16 分、日比谷駅発の日比谷線に乗って、横浜、日本大通りに向かう、電車の中でさっき頼んだ翻訳の件で、今朝送った原稿の件で、C さん、Y 木さんにメール、ライン、着いたら象の鼻テラスでつぎの打ち合わせ、結局この時間に、このためだけに横浜に行くことになったけど、このためだけだったらリスケしてくれてよかったのにって恐縮されちゃったけど、横浜に行きたかったんだ、海が見たくてね、ほら、この三日間、山ばかり見てたから、山ばかり見てると海が見たくなるよね、逆もしかりだよね、

    21 時 15 分、日本大通り駅について、象の鼻テラスに向かう、大さん橋に入る道を左に折れると、赤レンガ越しに、みなとみらいの夜景が広がっていて、きれいだね、なつかしいね、

    9 時 3 分(9 月 8 日)、あ、それでおもいだしたよ、なつかさんの、草野なつかさんの映画の一日だけの上映会、池袋の、昨日オンライン予約しようとして、途中で時間なくなっちゃって、そのままになっちゃってて、まだ席あるかな、いまから予約しちゃおうかな、いやでも、この日記、じゃなかった分記、そろそろ書き終えて松田さんに送らないと、ですよね、松田さん?

    9 時 4 分、昨日の 21 時 23 分、象の鼻テラスに向かいながら、わたしもう、くたくただったんだど、横浜の、みなとみらいの、夜景がめちゃくちゃきれいでさ、夜の海、夜の海にみなとみらいの夜景が映って、夜の海のみなとみらいのひかりたち、ゆらゆらゆれてて、たゆたっていて、みらいのいろとりどりのひかりたち、きれいだね、

    9 時 7 分、って書いたところで、冗談みたいなほんとの話なんだけどさ、うんちでちゃったって、おむつかえなくちゃって、ちょっと、いってくるね、ついでに一本電話もかけとかないと、

    *

    9 時 28 分、おむつかえたら、なんととつぜん、ひるがえって、いくって、いってくれて、いまかえってきた、よかった、いま、9 時 28 分、もうすぐ 29 分か、そろそろこれ書き終えて、松田さんに送って、仕事しないと、てか、これもうかれこれ起き抜けから 3 時間くらい書いてるんじゃないか、あー、日記書くことが仕事になったらいいのにね!

    9 時 30 分、それでどこまで書いたんだったったっけ、さっきのとこ読み返すよ、えっと、

    9 時 31 分、昨日の 21 時 29 分、象の鼻テラスについて、今日の打ち合わせその 2、H もとさんと N ぐもさんと、ちゃんとまじめに打ち合わせしてちゃくちゃくと決まっていくのだけど、あれこれ脱線して、なんだかめちゃくちゃ笑ったな、さっきのルノワールもだけど、めちゃくちゃ笑ったよ、顔あわせてのうちあわせっていいね、 ZOOM でもけっこう笑ってるけどさ、なにがそんなにおかしいんだろうね、ひとと会うだけでおかしいんだよ、楽しいんだよ、ね、楽しいと嬉しいって手話、おんなじなんだ、そんな話もきのうしてたよね、楽しくて嬉しかったよ、

    9 時 34 分、それで終電の時間調べたら、23 時 16 分で、23 時 5 分くらいにあわてて象の鼻をとびだして、雨はもう降ってなかった、またねって、ひきつづきよろしくおねがいしますって、松田さんほら、これ、この昨夜の横浜のうちあわせ、象の鼻のお仕事なんで!

    9 時 36 分、昨日の 23 時 16 分、それでみなとみらい線にのって、横浜からそのまま東急東横線に変わるんだけど、そのまま乗ってれば、しばらく乗ってると中目黒につく、中目黒で乗り換えて、日比谷線、日比谷線で茅場町、茅場町で東西線に乗り換えて、あとひと駅でうちの駅で、東急東横線で、おおきな川を渡る、潜らないで渡る、あれは多摩川かな、多摩川を渡る。茅場町と門前仲町のあいだでは、隅田川を渡る、渡るっていうか潜る、潜って渡る、

    23 時 59 分、9 月 7 日の日記のラストシーンにあたるのだけど、私はその時刻はもう日比谷線かな、日比谷線にのってて、六本木か神谷町のあたりかな、わたしはもう疲れ切ってて、もうメールもラインも送る元気もなくて、バッグに4,5冊入ってる本をひらく元気もなくて、ただぼけーっと電車にゆられてて、そうだ、

    24 時 00 分、日記のしめきりが来てしまう、しかしいまの私に日記を書く元気がなくて、だってまだ夕食だって食べてないんだ、いったん寝て、起きぬけにがんばろうとおもう、

    24 時 27 分、駅前の松屋に入って牛丼を注文する、

    9 時 43 分、そろそろこの日記、というか分記を書き終えて、松田さんに送らなくてはいけないのだが、これ、読み返したほうがいいんだろうか、読み返さずにそのまま出しちゃおうか、そのままでいっか、こんな日記だれが読むのか、あー、わたしももっとしゅっとした日記を書いたなら、アナウンサーに読んでもらったり、新聞記事に引用されたりしてもらえるんだろうか、でもいいんだ、これがわたしの日記なんだ、わたしの日記をわたしが書かなくてだれが書く?わたしの日記はわたしにしか書けない、あたりまえだけどね、アナウンサーの日記をわたしが書けないように、新聞記者の日記をわたしが書けないように、だから、わたしはアナウンサーの日記が、新聞記者の日記が読みたいな、日記っていうか、分記みたいな、彼女たち彼たちの、どうでもいい、ささいなことが知りたいんだ、どんなことが気になって、どんなふうに時間に追われて、どんなことが楽しくて、どんなことが嬉しいか、詩のふりした気取った「日記」じゃなくってさ、そのひとの声が聞こえてくるような、あなたの声が聞きたいんだ、あなたたちの素の声が、だけどなかなか聞こえこなくてさ、うん、だったら自分から先にこころをひらかないとなって、たぶんそんなようなことをかんがえてるんだよ、最近ね、昔は無口で有名だったんだけど、すっかりおしゃべりになっちゃった、そう、先週四十になったんだよ、四十になると、なにかのタガが外れるのかな、じっかんとしてはさ、四十っていうより、自分のなかに二十歳がふたりいるってかんじかな、あるいは二十歳のやつと、十七のやつと、五つくらいのやつが、同居してるって感じかな、あれ、計算あってる?

    9 時 50 分、日記を書くのにももうほとほと疲れちゃってたんだけど、分記だったら書けるね、とりあえずいくらでも書いてられるよ、いくらでも書いてないで、とっとと松田さんに送りなさいよ、

    9 時 53 分、そろそろ仕事はじめるよ、こんな感じでさ、お喋りするみたいな感じで、メールも気楽に打てたらいいのにね、とりあえず午前中に十五本くらい、送れるかな、待ってて、この日記、じゃなかった分記は読み返さないでそのまま送ります、ライブレコーディングね、昨日出した 800 字くらいの原稿は 5 時間くらいかけて 50 回くらい読み返したんだけどね、まあ、そうやってバランスとってるってわけ、え、ぜんぜんとれてないじゃん?って、うん、じぶんでもそうおもうよ、なんだか、昨日のことがひどくなつかしいな、あ、

    9 時 54 分、そうだった、なつかさんの映画の予約!

    東京・深川
  • 9月29日(火)

    テーブルの牛乳瓶にゆっくりと光の線が滑り落ちゆく音がしている

    長袖で半袖をたたむ仕舞いこむ詩型を替える準備をしている

    比喩でなく手紙を2通書く3つ先の駅へと投函しにいく

    湖が青い雲が白いカーテンが揺れる窓べで何もしなかった一日のようなそれは信号待ちでした

    電話は電話でわたしはわたしで話しかけられるのを待っているのだ

    クローゼットがものであふれてむこうへとわたしはとおりぬけられなくて

    テーブルのコロナビールの空き瓶にコスモス挿してコスモス愛す

    東京・深川
  • 10月21日(水)

    なにもないひとひほとりにたたずみてとまったままの大観覧車

    コスモスをさがすあなたが未だしらぬ無数の花が宇宙に未だある

    CDは光を音にCDの光がここにあることをなんどもなんども再生させる

    無事です、と告げるかわりのそっけない「謹呈」の文字。無事でよかった

    読み差しの詩集を、洗いかけの食器を、書きかけのメールを、生きていることを

    飛行機の光を星とまちがえてなんどもいちばん星を見つける

    東京・深川
  • 11月12日(木)

    午前、座談会の文字起こしをチェック、多少の加筆・修正。詩集本文の最終チェック。午後、さいたま。ハンドアウトの印刷、補充。併せて昨日に引き続きハンドアウトに加筆、あわせて署名。60枚程。夜、詩集の装画来る。1~7まであり直感で選んでください、と。まず1、4、6、7に絞り、おすすめは?と聞くと、1か4という。5分考えて、4に決める。ついでに背、裏表紙、表2、3の色を相談、勧められたもので決定。表紙データ作成。明朝、一式いま一度見直すべし。明日は午前詩集最終チェック→入稿、戻って来次第座談会ゲラチェック。昼過ぎからさいたまアテンド2件。早く寝るべし。日記のこと思い出す。時間がない。なるべく簡潔に記すべし。

    *

    ある展覧会を訪れて、途中でこの展覧会はこれまでにすでに2度、訪れた展覧会であることに気づく。つまり、これで3度目。そのことを完全に忘れているひとに、ひっしに思い出させようとしているうち、やがてふっと思い出し、安堵する気持ちもあるものの、それよりも記憶というか忘却ということの、恐ろしさばかりが後味として残った。

    それが朝の4時で、ほんとうは起きあがって、日付でいうと一昨日返ってきて今日の午前いっぱいで返さなければならない、文字起こしされた座談会のチェックをしなくてはならないのだけど(それは3段組みで20頁にも及ぶのでなかなかに骨が折れそうなのだ)、疲れ過ぎていて起きあがることができない。つぎに気づいたときには6時過ぎで、今度は夢は見なかった。

    出品している、さいたまと奈良の展覧会がまもなく同時に終わってしまう、そのことが未明のああいった夢を見させたのだとおもう。展示している期間はいつもどこか落ち着かなく、それはそもそも生きていることそのものがそうであるのかもしれなかった。感染者数がまた増えつつある。このまま無事に会期末を迎えることができるとよいのだけど。

    *

    作業をしながらジョン・レノンの、今出てる「レコード・コレクターズ」最新号のレノン特集のベストソングス80をプレイリストにしたものを再生していたら、突然ジョンが日本語で歌いはじめて、「あいすません」以外でそんなのあったっけ?と吃驚したのだが、確かに「あー場は川、干せ干せ。」とくりかえし歌っている。「#9 Dream」にて。

    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。

    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。

    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。
    あー場は川、干せ干せ。

    あるいは場は馬なのかもしれない。いずれにせよ、ジョンってやはり凄い詩人だな、と感心する。

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