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空気の日記

新井高子

  • 4月22日(水)

    ある日、だァるくなって
     足がむくんでしびれて、心臓の止まるもんもあって、
    ある村に、ひとりでて、ふたり、さんにん
     きゅうも、じゅうも、
    だァもの、
    疫病だと思うさねぇ。
    塩まいて、歌うたって、悪い神さま、追ッぱらおうとして、
    にじゅう、さんじゅう
    そうして、ごじゅうで、
    そうして
    ある日、
    気付いたってぇ。
    米ぬか
     だって。
    脚気だったのさ、
    白いごはんを食べるようになって

    ある日、だァるくなって
     咳がでて熱がでて、心臓の止まるもんもあって、
    ある町に、ひとりでて、ふたり、さんにん
     きゅうも、じゅうも、
    だァもの、
    疫病だと思うよねぇ。
    手ぇ洗って、覆面して、悪いウィルス、追ッぱらおうとして、
    にひゃく、さんびゃく
    そうして、ごまんと、
    そうして
    ある日、
    気付くのさ。
    **
     だって。
    遠いか近いかしれない未来に、
    あのころは◯◯ようになって、って

    わかってたかもしれないねぇ
    その村でも、
    うすうす気付いてるかもしれないよねぇ
    この町でも、
     だれかが。
    そのとおりかどうかは

    続いていれば、

          ねぇ、

        ねぇ

      ねぇ、

    続いたんでしょうか、
    その町は、

    遠いある日に。

    神奈川・横浜
  • 5月15日(金)

    どうして欧米でそれは疎んじられたのか。
    カタカナ語がないからさ。
    オペラ座の怪人の仮面も
    どろぼうの覆面も
    ぜんぶ maskだもの、
    かけたくなかったんだよねぇ、マスクだって。

    どうしてこの島でおかみのそれはつまずくのか。
    じつは仮面だからさ。
    おまつりのお面も
    にんじゃの覆面も
    じぶんの キモチだもの、
    かけたくないよねぇ、アベノマスクなんて。

    お能に
    癋見(べしみ)という面があるんだって。
    口を固くむすんで何も言わない仮面だって。
    折口信夫によると
    それは、しじまの面、
    かみに従わない沈黙の精霊の顔。

      ねぇ、
     ねぇ、
    god(神)も、ruler(支配者)も
    ひとしく「(お)かみ」と呼んじゃったニッポンの土俗感覚、
    えらい と思わない?
    何も言わせない覆面なんか
    もらいたくないさ、
    おかみさまに

    じぶんでマスクする、
           わたしたちは
    手作りで、闇市で、ネットオークションで
      宅急便のおじさんも、
     なわとびしてるよっちゃんも、
    陣痛がはじまったおかあさんも、
    マスクをしている
    せかいじゅうの
    おどろく数が、

    演じてる、
    仮面をつけて
    その精霊を、

    へのへのもへじ、
    胸のうちは。

    神奈川・横浜
  • 6月7日(日)

    できるだけしずかなところで
    つぶやいてみてください、
    タマシイ ということばを

    舌が口蓋をたたく「タ」、
    むすんだ唇をあける「マ」、
    タマというとき
    口のなかの小鼓の音が
    下りてくようじゃありませんか、喉という深井戸を
    できるんですよ、
    間(マ)が、からだのおくに

    タマ、タマ、タマ、
    くりかえすほど、腹という沼にたまる響きたち
    それを魔(マ)と呼ぶひとだって、あったでしょう

    そうして
    小声でいってみてください
    そのタマを、
    のせてください
    歯のすきまから漏れる「シイ」に

    タマ、タマシイ、
    タマ、タマシイ、
    白い息に包まれて
    こんどは汲み上げられていくでしょう、沼の魔が
    のぼっていくでしょう、
    そうして
    口から
    尾をひくよ、けむりのように

    タマシイは
    うごくもの、
    うごいていくもの

    “息ができない”

    そのいまわで
    うごくもの、
    うごいて、ひろがるもの

    ※米国ミネアポリスの事件、ジョージ・フロイドの最期の言葉「I can’t breathe」より、“息ができない”。

    神奈川・横浜
  • 6月30日(火)

    うちのベランダで、ゴーヤがそよいでる
    アサガオのタネ蒔きをする鉢に、ことしは
    もしものときは、
    せっぱ詰まった晩春だったから

    だが、違うのだ、ツルの這い方が
    アサガオが、時計と逆まわりにとぐろを巻いていくヘビだとしたら、
    ゴーヤは、ムカデ
    ヒゲのようにかぼそい足を無数にだして、さがしてる、
    つかまる何かを

    いや、かぎりない触角というほうがいい
    どこへ行こうか、かぜに揺れつづけているそのヒゲは
    どこへ行こうか、においを嗅ぎつづけている虫のそれと
    そっくりで、
    じぶんでうごくとか、うごかないとか、
    じつは、どうってことないんじゃないか

    きょう、咲いたよ
    かわいい花がひらいたよ
    いや、それは、黄色い肛門のようでもあって、
    ひかりとあめとつちを
    舐めつくした果ての、出口が、
    ようやっと、あらわれて

    でてくるよ、
    みどりいろのヘビも
    もうじき、
    いぼいぼのかたいヤツが、でてくるよ
    その朝、ドアをしめるかどうか、
    じつは、どうってことないんじゃないか

    ねぇ、
    咲いたよ
    かわいいのがひらいたよ
    やがて、わたしの黄ばんだ肛門からも
    でていくのだから、それは

    ながいながいヘビじゃないのか、
    時を逆まわりにたどるなら
    すべての因果は、

    どこへ行こうか
    どこへ行こうか

    神奈川・横浜
  • 7月23日(木)

    なんの気なしに
    手をのばした青葉の裏がわで
    みっしりと、
    おどろくほど規則的に赤茶の斑点がならび、
    覗きこめば
    どの葉も、どの葉も、どの葉も、

    そのとき四歳だった
    熱がでて、寝かされていた
    ふと起きて、母の鏡台のまえに立てば、
    むごい斑点が
    顔にも、首にも、手足にも、
    口紅をぬれば、おそろしくはみ出したっけ

    泣いても、泣いても、泣いても、
    見てはいけないものは消えなかった

    この怖さはなんだろうか
    この感染症の怖さはなんだろうか
    と 問いかけて、
    浮かんできたのだ、こころのこのマダラ模様が

    ほんとうは、見えているんじゃないか、
    ウィルスを
    赤茶色のその斑点を
    突風が運んできた瞬間だって

    見えているんだよ、
    だから
    怖いのさ

    泣いても、泣いても、泣いても、
    消えなくて

    顔にも、首にも、手足にも、

    神奈川・横浜
  • 8月15日(土)

    よく名付けたもの、
    液晶とは
    液体の結晶とは

    そこで話すわたしを
    野生動物がみたら
    水鏡と、
    たわむれてる、
    そう思うんじゃないかしら

    ちぃちゃくてふかい池だよ
    水面がうつす顔たちを
    覗きこんで
    会議したり講義したり
    笑ったり
    たまには、缶ビールを開けてみたり、

    じぶんの顔もうつるんだもの、
    鏡のくにだよ

    ポンッと
    その底へ抛ってしまった金の斧は
    あいづち、
    じゃないかしら
    小きざみに波が立つのがうるさくて
    もっぱら黙って、
    あいての話を聞くようになりました

    うん、そうそう、
    へぇー、はぁ、
    ほう、さぁ、
    ふーーん、
    書き出してみれば
    サ行とハ行とン、
    つまり、呼吸音のだし入れを
    やめたってことか

    いらないものね
    水面の像たちに、
    息は

    いらないものね
    黄泉の顔たちだって、
    息は

    お線香をあげましょうか
    地下の三途も、
    地上の水辺も、
    蝉しぐれだよ

    神奈川・横浜
  • 9月6日(日)

    ある晩、子ダヌキに出会った
    マンションの入口の階段で
    ネコかと思ったら、目の下にくまが
    おどろきもせず、みどりの瞳でわたしを見返し、
    ひょっとあたまを掻いてから、植込みへもぐった
    しばらく並んで歩いたのさ
    尾っぽのふさが覗けたよ、草のすき間から
    横浜市街で、いまタヌキと散歩しているのは
    わたしだけ、と有頂天になったが、

    ベランダの手すりにとまる雄々しいトンビ
    プランターの葉を食べにきた青ヒゲのカミキリムシ
    公園には、顔なじみのハシブトガラスの親子もいて、
    旅をしないコロナ禍の夏
    近所のいきものが、ようやく、身に染みるようになって、

    貧しい自然
    殺伐なほどコンクリートにおとしめられたが、
    どう足掻こうと
    どこであろうと、その「内側」なんじゃないのか

    穴ポコだらけの石山さ、
    湾岸に立つマンションの大群も
    つつましく寝起きするなりわいが
    サボテンみたいに、はびこって、

    ゆうべ、コオロギが鳴いたよ
    高層階のベランダで、空気をうるおすように、
    ステイホームがにわかに増やした植木鉢を
    つたってきたんじゃないか
    よじ登ってきたんだよ、この石山を

    そうさ、おどろかなかった
    タヌキも、トンビも、
    かれらは、とうにこっちを見ていた

    手も足もでない
    手も足もない
    サボテンたちは、うなされる
    いつか、
    すべてが、
    狸穴(まみあな)にかえる夢
    草ぼうぼうぼう

    神奈川・横浜
  • 9月28日(月)

    夏が落ち、
    浮かんでくるのは、あのおじさん
    コロナ猛暑の8月のある日、
    閉じこもったからだが、むしょうに太陽に飢えて

    川沿いを歩いた
    長梅雨のあと、一滴の夕立さえ来なかった水面は、むしろ澄み、
    何匹もボラが泳いでいた
    イシガメが仕留めたカエルをつついていた

    炎天下とは
    焼けつく太陽だけでなく、
    それが昇らす陽炎(かげろう)のことじゃないのか、
    アスファルトが蒸し返すひかりの褶曲をひきずりながら
    坂道をのぼった
    このあたりは、かつては山のすそ野だったから

    と、てっぺんから、駆け下りてくる自転車
    海パン一丁のやせっぽちのおじさん
    ギンギンの日焼け肌は、赤銅をこえて紫紺
    蛍光オレンジとイエローのブリーフ
    黒めがねの鼻すじは冴え、
    すれ違いざま、ニヤッと笑ってくれた気がするが、
    パンチパーマの伸び髪は
    あたまの左右にゴム結び、
    まるで、花粉まみれの触覚みたいに
    まるで、熱帯の毒虫ライダーみたいに

    がに股でペダルを踏むおじさん
    裸の背なかが小さくなるのを、立ちすくんで見送りながら、
    愉快になってきたのだった、ぶくぶくと
    なぜに、祭りで、歯痛をよぶケバ色菓子をかじるのか
    なぜに、タレべったりのイカ焼きでわざわざシャツを汚すのか
    なぜに、けっきょく、にんげんは、薬より毒のほうが面白いのか

    花火も盆踊りもなかった季節
    たったひとりで、祭りだったおじさん、
    出かけても出かけても
    一度しか会えなかった、
            あなたは

    陽炎であったか
    灼熱の薄羽蜉蝣であったか

    夏の底から、

    神奈川・横浜
  • 10月20日(火)

    あれは、十歳(とお)くらいだった
    肝だめしに行った
    白いきもののお化けとか、そんなに怖くなかったが、
    こんにゃくに頬っぺたを撫でられたとき、
    震え上がった
    竹竿から糸で吊るって振りまわしていることくらい
    とうじだって察していたのに、
    ぬるっとした
    あの冷たさ、
    それがまさしくやって来たとき、
    恐怖なるものの実体のひとつが
    わかったのではないか
    ほんとうに恐ろしいのは
    裂けた口でも血まなこでもなく、
    なんのやりとりもできない
    のっぺらぼうですらない
    ただの冷やかさであること、
    わたしは知ったのではないか

    目と鼻があったって
    そのベロが、
    血の通わないこんにゃくならば、
    冷蔵庫だよ
      耳も、こころも、

    はいいろで
     いんしつで
      同語反復で
    先っぽが割れた二枚舌もあるぞ
    巷をなめようと
    ぬらり、
    高く吊るされて、

    ずいぶん寒いね
    季節も、頬っぺも、

    ひとっ走りして
    焼きいも、
    食べようか

    神奈川・横浜
  • 11月11日(水)

    足の爪は、はやい
    手のほうは、おんなじ
    かみの毛はもともとスケベ根性だったし、
    垢のぽろぽろは、ちと遅くなった気がする

    わたしばかりじゃないだろう、
    からだに向きあうじかんが増えたのは

    なぜに足の爪ばかりがむやみか、
    夫にたずねると
    運動するとのびるのだと、
    ならば、コロナ禍なわたしは
    足をやたらと動かし、
    (心当たりはなく、
     眠りながら走っていたとしか思えないが)
    あたまと手はどうにかで、
    汗のかき方がなってない、ということか

    ぶぶん、ぶぶん、
    じつは、違うじかんのなかを生きてるのか、
    とも思う
    わかいのは脚力、
    頭脳や指さきは月並みで、
    みるみる肌が老けてるのかも
    (それは、こわいね)
    でも、時間論からすれば逆じゃない?
    (それも、こわいよ)

    八本足のそれぞれが、
    べつべつの砂時計をにぎっている蛸、
    あんがい、
    生きてるからだの真実ではありませんか

    もっぱら肺を狙うウィルスも
    爪をのばし、
    駆けってて

    神奈川・横浜
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