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空気の日記

鈴木一平

  • 4月16日(木)

    二度寝して、両方とも夢を見る。一度目は職場で、上半期の実績を報告する夢。目が覚めて、それを夢だと認識する前に眠りに入ったせいか、次の夢でも仕事をしていた。そのうち、さっき伝えたのは夢の実績だったと気がついて、急いで正しい数字を上司に告げると、正しさの感覚だけが、二度目の夢から覚めたあとも残り続けた。
    午前中は実績資料の作成。異常値が出たので、勘で直す。上司に報告後、入浴。昼すぎに取引先と電話。直近の売上を共有したあと、ベランダに集まってくる鳥の話で盛り上がる。その流れで実家の話になり、電話口で伝えられる言葉から、先方の家のようすを組み立てる。
    このあいだ取り壊しがはじまって、バラバラになった木材の画像が両親から送られてきた。天井裏の梁が真っ黒になっている。雨もりを受けて腐ったのか、もともとそういう仕様だったのか。たずねると、屋根が茅葺きだった頃の煤だといわれる。慶応4年から記録がつけられた。150年近くのあいだ、柱まわりを残したまま屋根をすげ替えて、改築をくり返してきたという。茅葺きの屋根は10年ごとに取り替えられて、トタン屋根なら20年ごとに塗り直されるらしい。一度だけ、屋根が黒から赤へ塗り直されるのを見たことがある。地震のときは玄関があたらしく建て直された。家はさまざまな部分からできていて、それそれがちがう寿命を生きている。細胞のように代わる代わる中身が交換されていくなかで、骨組みだけはいちばん早くここにいて、最後まで同じ場所に立っていた。
    夜、プロパーの人に激詰めされる。むかしは外にお風呂があって、よく薪割りを手伝わされたと父から聞いた。庭の隅にコンクリートで埋められた空き地がある。作業スペースかなにかとおもっていたそこは、父にはいつか風呂場だった名残りとして眺められていた。薪はいまでも離れの奥に積んである。

    東京都・高田馬場
  • 5月9日(土)

    昼食を買いに外へ出ると、向かいのアパートの駐車場で、女の人が電話をしながらしずかに泣いていた。会話もなく、ときどき鼻をすすって、向こうの言葉を噛みしめるようにちいさくうなずいている。見ないふりをして通りすぎながら、あれは人が死んだときの泣き方だと、わけもなく納得していた自分におどろく。当時は祖母の一周忌と重なって、そういう目でものを見るようになっていたのかもしれない。ちょうど去年の今ぐらいの時期で、年号が変わる前のことだった。
    午前中は洗濯と爪切り。先日は排水溝が詰まり、水の問題に悩まされたものの、今回は滞りなく終わる。足の爪からにおいが消えていた。やり残した仕事を進めた結果、資料の体裁が崩れはじめたので、部屋の掃除に移行する。すこし前になくしていたスマートウォッチが見つかり、身体のデジタル化に取り組む。体温(36.3)と合わせて脈拍(72)や血圧(126-66)、呼吸数(19)を計測し、同期に報告。体温から今日の感染者数(東京都、36人)を引くと0.3になるね、といわれる。全部足すと289.3-229.3(253.3-193.3)になる。
    瓦礫が取り除かれて、まっしろな更地の上に基礎が組み上がり、いくつもの細い棒に支えられながら、あたらしい家のかたちが浮かび上がってくる。実家から、裏山に生えていたもみの木の画像が届いた。建て替えのついでに切り倒す話になったという。裏山の木のなかでもいちばん背が高く、おそらく家が建つ前からそこにいて、枝から枝へ、たくさんの鳥が鳴きながら飛び移っていた。もみの木は元気そうに見えて、内側が空洞になりやすく、すこしの衝撃でも倒れる可能性がある。暗闇のなかで広がっていく、空っぽの幹の内側について考えた。小さい頃に閉じ込められた蔵のなかを思い浮かべる。耳をすませると、居間のテレビから楽しそうな声がときどき聞こえた。
    クレーン車を使うのにちょうどいい場所がなかったので、根本から一気に切ることにした。まわりに酒と塩をまいて、業者の人がチェーンソーの電源を入れると、刃が踊るように回りはじめる。しばらくして、あたりの杉の枝がバラバラと音を立てて散らばり、空が明るくなった。草の上に開かれた木の断面には、幹のかたちを鏡のように写した年輪が、ぎっしりと詰め込まれていた。

    東京都・高田馬場
  • 6月1日(月)

    堀井一摩『国民国家と不気味なもの』(二〇二〇年、新曜社)によると、山県有朋は明治天皇への意見書「社会破壊主義論」(一九〇八年)のなかで、「社会主義」を《国家社会ノ存立ノ根本》に対する《病毒》と形容している。《今其ノ病根ニ向テ救治ノ策ヲ講スルノ急務ナルト同時ニ其ノ形体ヲ具スル者ニ対シテハ国家社会ノ自衛ノ為ニ最モ厳密ナルノ取締ヲ為シ此ノ病毒ノ瀰慢ヲ防キ之ヲ禁圧根絶セサルヘカラサルナリ》。
    山県は《病》という修辞を用いることで、「社会主義」が国体という巨大な政治的身体に外から入り込み、その全体性を蝕む排除すべき対象であることを仄めかしているが、同書はこの語が選ばれた背景として、貿易により国外からもたらされたコレラの蔓延を指摘している。そして、「伝染病」と「危険思想」の喩的な重ね合わせは、単なる修辞の問題にとどまらない。同書の指摘をさらに続ければ、医療行政は厚生省設置の一九三八年まで内務省の所轄であり、当時のコレラ対策は警察を主体として行われていたという。警察はコレラ患者に対して強制的な隔離措置や監視を行い、文字通り彼らを「犯罪者のように」扱っていたらしい。つまり、防疫対策と「危険思想」対策は、構造的にも認識的にもきわめて類似していたというわけだ。
    「社会破壊主義論」の提出から翌々年の一九一〇年、大逆事件が起きる。明治天皇暗殺計画の疑いによる「社会主義」者らの大検挙は、宮下太吉が爆発物取締罰則違反の疑いで連行された五月二十五日に始まる。三十一日には松室致検事総長が事件を刑法第七十三条(大逆罪)に該当すると認定し、六月一日には幸徳秋水と管野須賀子が逮捕される。最終的に逮捕・起訴された人数は二十六名にのぼり、うち二十四名が死刑判決を受けた(実際の執行は十二名)。なお、当時は社会主義・無政府主義が厳密なかたちで区別されておらず、「社会主義」という語は両者を含意する。
    ところで、スーザン・ソンタグは『隠喩としての病』(一九八二年、みすず書房)のなかで、特定の思想や人種に対して「共通の悪しき敵」のイメージを付与するために《病》の喩を用いるのは、とりわけ《全体主義》的な国家において見られる傾向であると述べている。代表的な例として、彼女はアドルフ・ヒトラーがユダヤ人に対して用いた《結核》の比喩などを挙げているが、果たして《病》という喩にふさわしかったのはどちらの方なのか。そう考えると、山県によって《病毒》と呼ばれた「社会主義」者よりも深刻な《病》に陥ったのは、その後の大日本帝国だったといえるだろう。病名は「超国家主義」と呼ばれる。そこでは国民全員が天皇を頂点とした国家のもとに結びつけられ、個々人の精神が「億兆一心」を体現すべく一点に集約されていく、という形式が取られる。その感染規模は「社会主義」をはるかに越えており、たとえば大逆事件の同時期に誕生した口語自由詩についても例外ではなかった。第二次世界大戦期において発表された口語自由詩は、戦意昂揚詩と呼ばれる病的な熱を帯びた形式を伴い、敗戦を契機として無症状化したものの、その後も一定の間隔を置いてたびたび類似の症状や、それに対するアレルギーのような反応が確認されている。
    ここで《病》という語は、制作者が抱えるゆらぎや複数性を単一的なものへと収束させる判断や表明の形式が持つ力であり、それらによって可視化された精神を意味する。とはいえ、病の比喩に基づく詩史の解釈は、状況そのものを詩の制作主体として中心化するタイプの認識と、そのつどの制作に内在する倫理的・能動的な思考の軽視を招きかねない。加えていえば、そこには解釈者自らの思考が「病んでいない」ことへの無根拠な確信が付随している。
    前日に遅くまで原稿を書いていたため、始業の八分前に起床し、間に合う。五月の実績資料の作成。同僚との共有不足で、まったくおなじ資料を二人でつくっていたことが判明。次回からは事前に担当部分を決めておくことにしたものの、どちらがそれについての相談を切り出すかも、決めておく必要があったような気がする。
    資料を上司へ提出し、入浴。大家に家賃を払いにいくと、一日遅れただけなのに若干の小言をいわれる。隣の部屋の人が先々月から長野の実家に帰っていて、家賃を払うためだけに東京へ来ているという。隣人の気配がなかったのはなんとなく感じていて、その頃から謎の虫を部屋のなかで見かけるようになった。正体を突き止めようとウェブ検索を駆使したが、該当しそうな虫の名前とその名前で出てくる画像が一致せず、ゴキブリ用の駆除スプレーをかけるといなくなるので、ゴキブリの仲間だと判断する。先月から急に虫の数が増えた。原因はいくつかあるとおもう。大家がアパートの周辺に食べ物を撒くようになり、そのせいでハトやスズメやネズミ、やたらとでかいカエルが家の近くをうろついている。食事を買いに外出すると、階段の近くでカエルを踏んでしまったり、脂のようなものでギトギトに毛羽だったハトに追いかけられたりした。
    夜、キーボードを伝って謎の虫が手首に這い上がろうとしてきたので、近所のスーパーでバルサンを二つ購入し、焚く。時間まで近所を歩き回っているうちに、知らない公園を発見する。すべり台が赤いテープでぐるぐる巻きにされていて、乗り越えた跡のようなものがテープのたわみと劣化具合で確認できる。職場から電話があり、資料の内容について確認が入る。外出をとがめられたので理由を話すと、煙で追い出しても根本的な解決にならないといわれる。となりの駅まで歩いてしまう。横断歩道を渡り終えたとき、うしろから大きな声の人がやってきて目の前の人の視界を隠した。頃合いを見て家に戻り、具合がわるくなる。

    東京都・高田馬場
  • 6月24日(水)

    いつもより早く目が覚めたので、遠くのコンビニで揚げあんぱんとエナジードリンクを買う。家に戻ると、公園のベンチのひじ掛けに食べかけのリンゴと食パンが置いてあった。コンビニに行くときはなかったとおもう。こしあんと炭酸の食べ合わせが悪かったのか、胃をやられる。シャワーを浴びてすこし眠り、スーツに着替えたあとで家を出る。東西線へ。アパートの前に飲み物をこぼしてできたような、うっすらと白い線が引かれてあって、近くを通りがかる人がそれを踏み越えるたび、あたりに散らばっていた虫の脱け殻がひとつに集まった。
    母親が勤めている病院の駐車場に熊が出る。親とはぐれたらしい小熊だった。小熊は車と車のあいだを隠れるように渡って、薬局の脇にある茂みのほうに消えていった。昔、友だちの家に遊びにいく途中、坂道で熊とすれちがったことがある。地元の熊は体毛が固くバサバサしていて、強いにおいがいつまでも消えずにあたりに残る。同じ年、妹の同級生が神楽の稽古の帰り道で小さな熊に追いかけられた。それから一〇年後、実家の近くにある美術館でやっていた岡崎乾二郎展を観に行って、人間の理性や芸術についての講演を聞いていたとき、窓の向こうをふつうサイズの熊が歩いているのを見た。帰りに警察が来る。道沿いの竹やぶが破壊されていた。裏手の山には崖をのぼるカボチャの蔓や四角く掘られた穴があって、金色のトンボが何匹も飛び交っていた。
    仕事終わりに会社をやめた先輩と食事。職場を出て駅に向かう途中、同期から仕事が嫌すぎる、三歳になりたい、と連絡がくる。道のあちこちで、割れた石が花のように咲いている。おたがいに暗いことを言い合っているうちに、窓のなかで抱き合っている人の姿が通りから見えた。ワンタンとビール。先輩が待ち合わせに三〇分ほど遅れる。店が閉まったあと、地下の喫茶店に移動。赤ワインのグラスを倒されて下半身が真っ赤になり、先輩の家で洗濯してもらう。シャワーを借りて、大理石の床みたいな石鹸で体を洗う。豆菓子とビール。ハングルのパッケージで味の説明が読めず、甘いことだけがわかる。寝室に天井近くまで背が伸びている木があって、先輩がテレビに話しかけると、焚き火の動画が流れはじめた。タバコをもらうと急に酒が回り、気持ちわるくなってきたので目をつぶる。翌朝、頭痛で目を覚ます。寝間着に借りたTシャツと下着、着替えを入れる用のトートバッグをもらって、代わりに昼食代を出す。親子丼。その頃になって、先輩がずっと斜め向かいの席についていたのに気がついた。駅の改札口で別れたあと、焚き火の光に照らされながら眠っている自分の写真が送られてくる。
    前回の「日記」で引用したソンタグの著作について、大学の後輩から指摘が入る。調べなおすと、該当箇所では《人種》についての記述があまり強調されていない。というより、《人種》をめぐる問いとして解釈するのは、すこし強引だったとおもう。《結核》についても同様で、ソンタグがユダヤ人に対する病の比喩も、そのあとで述べられる《癌》のほうが(ナチス・ドイツによって用いられた語として)適切だった。いわれたとおり、たしかにミスリードだったと答えると、――おつかれさまです。結局、鈴木さんも《病気》だったんですよ! とフォローされる。話の流れで、今回から書き上げた「日記」とメモを知り合いに送り、添削してもらうことになった。

    東京都・飯田橋
  • 7月17日(金)

    昨日食べた麻婆豆腐が効いたのか、痛みで目を覚ます。提案資料作成、あんかけうどん。処理が重くなった端末の整理していると、十年前に書いた文章が出てくる。小さい頃に父親から聞いた家の話を思い出しながら、いつか小説を書くときのためにまとめておいたもの。《二百年ほど前に大きな飢饉が起きて、当時この家に住んでいた人が庭に降りてきた鶴を食べて呪われたせいで、子どもが生まれなくなった。親戚の子や身寄りのない子を養子に迎えて、大人になって所帯を持つと、またべつの家から子どもをもらってくる。それを何代かくり返して、ようやく子どもができるようになったのは、曾祖父のひとつ前の代からだという》。いまなら庭に鶴が降りてくることがあっても、捕まえて食べようとはしない。もっとささやかに取り返しのつかない出来事で、解けない呪いに見舞われることもあるだろう。ゆるくなったドアノブのネジを閉め直したとき、中にいた虫を閉じ込めてしまうとか? 妹が帰省を親に打診して、断られる。前に住んでいた人たちが残していった部屋が蔵の近くにいくつかあって、入り口は木の板でふさがれていたとおもう。最後まで外の空気を吸うことなく、取り壊しに巻き込まれてしまったのだろうか。
    後輩(添削担当)から連絡がきて、手直しされた「日記」が送られてくる。すこし話したあとで、『現代詩手帖』で発表したテキストについての感想をもらう。
    ――自分は一平さんのよい読者にはなれないとおもいました。表現のなかで明示も暗示もされないこと、《無症候性》によって不可避的に表現されてしまうものとしてのコロナの《形象》という見立ては、けっこう説得的ですね。でも、この指摘は書き手の側での批判可能性を事前に牽制してしまうというか、それこそ表現の「自粛要請」をしている気がする。
    ――やっぱりそういうとこあるよね……。
    ――全体的にはおもしろかったです。山本さんも言ってましたけど、最後こう来るかっていうおどろきはたしかにありますね! でも、動員のくだりはそんなこと言われても……って感じになりました。一平さん自身がこの問題をどう引き受けていくかなんですよね。なのに、それを書き手全員の《具体的な行為の水準》を持ち出して「一般化」してしまうのは、けっこう抑圧的ですよ。
    ――詩でなにが語れるか、みたいな気持ちになれなくて。
    ――そういえば手よくなりました? よくなったら、今度みんなで集まりましょう。
    右手が突然ふくれ出したのは、六月の半ば、梅雨空の暑い日差しを避けて、台所に敷いた布団の上で昼寝をしているときだった。手のひらに熱っぽさを感じて目を覚ますと、手首の付け根のあたりから寸胴にふくれている。虫刺されの跡のようなものがまん中にできていたので、謎の虫に刺されたのだとおもう。皮膚の下には冬瓜のような青っぽい色味が入っていた。夏になるといつも体のどこかがおかしくなる。何年か前に詩集の刊行記念会を開いたときは、当日の朝に左腕の肘のあたりが紫色にただれて、笑っている顔のような模様ができた。薬をぬって包帯を巻く。会社の同期の家に泊まりにいって、その汁は抜いたほうがいいといわれる。裁縫針に除菌スプレーをかけて刺してみると、ぱっと手のひらの上に水のようなものが広がった。なめてみるとすこしだけ鉄の味がして、小学校の水飲み場の蛇口から出てくる水みたいな味だと同期がいう。夏場は外を走り回っていた子どもたちが列を組んで、順番に水を飲み干していった。

    東京都・高田馬場
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