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空気の日記

渡辺玄英

  • 4月13日(月)

    ウイルスは私に感染されました
    ムスーのウイルス、顔のないウイルスが私に冒されていく
    窓の向こうには散る桜(2020年4月13日の散る桜の花びら
    吹雪いている こごえるほど吹雪いている
    (あなたが私を怖れていることはわかっている

    白い花びら 一片ひとひらも私に感染して色褪せていく
    自然の景観はこれほど容易に表情を変えるのだった
    その内側を荒々しく喰いちらしているのは私だ
    私は容易に色褪せていく私の夢を見ている
    (私が私を怖れていることはわかっている

    光の冠をもつウイルスも急激に色褪せていく
    生はけっして輝いているばかりではない
    暗い部屋で息をひそめる生もあるではないか
    私に感染されているのだから時は意味を失う
    (それはヒトの作り出した概念だから
    世界は容易に色褪せてくずれていく

    もう昨日までの街の喧騒はどこにもない
    校庭に子らの声も途絶えている
    (ときおり名のない草がゆれる
    こうして世界は終わりました
    たかが世界が終わっただけです
    わたしはここで元気に増殖してます

    福岡市・薬院
  • 5月6日(水)

    今日という日が終らない
    明日はどうすれば始まるのか
    手を洗っても洗っても拭えない汚れがあり  
    蛇口から流れつづける今日という一日が
    ずっと水飴状に透明な均質さで引き延ばされていく
    夜の息苦しさの底でわたしはかすかに発光している

    洗っても洗っても夢は汚されていった
    溺れるように今日の渦に耐えていたが誰の夢なのかは分かりはしない
    今日もいくつかのドラマで何人かの人が殺された
    何人かの犯人がいて何人かのわたしが目撃した
    何人かのわたしが今日も何人かのわたしを殺めると
    それは輪郭を失ってまた最初から始まるのだった

    肺呼吸がすたれていってタバコから煙がのぼらなくなった
    陸に這いあがって進化の過程に入っていたがまだ夜だった
    絶滅した男たちの細かな癖に気づいていたのはわたしだけかもしれない
    右の人差し指で顎のあたりを掻く何気なく
    この仕草をわたしは今日何度となく繰り返していた
    その手は汚れている洗わなくては

    夜明の時刻になっても
    それから30分過ぎても
    ついに夜は明けなかった

    福岡市薬院
  • 5月29日(金)

    馬鹿野郎、みんなコロナで死んでしまえ!(などと口にしてはいけない
    オレの中のコーモリが騒ぐ(という事はあり得ないかもしれない
    オレの中のオオカミが吠える(という事もあり得ないかもしれない
    ここは誰のものでもないだだっ広い街だ(というがホントは分からない
    誰のものでもないびっくりの青空だ(というがホントだろうか
    風が吹きぬけたら爽快だ(というが気のせいかもしれない
    胡坐かいてやがるぴよすけは殲滅だ!(などと書いてはならない
    みんなみんな死んでしまえ!(などと間違っても書いてはならない

    馬鹿野郎、もう世界の半分はくたばった!(などと口にしてはいけない
    ねずみに血を吐かさせてくたばった(という事はあり得ないかもしれない
    おかげで世界は真っ二つだ(というのも嘘にちがいない
    だけど風は吹きぬけていく爽快だ(というがホントだろうか
    オレの中でねずみが血を吐きウイルスは爆発する(などという事は気の迷いかもしれない
    オレの中で遺伝子がざわめく(などと遺伝子を見たこともないくせに
    祭りは終わりだ(などと言うと傷つく人がいるから言ってはいけない
    あとは遺伝子と模倣種だけがくるくる踊る(という事はありえない
    みんなみんなくたばってしまえ!(などと書いては絶対にいけない

    殺セ殺セと囁くのはオレだ(などと酷い事を書いてはいけない
    おまえが生まれる前から耳元で囁き続けている(のは当然嘘に決まっている
    いくら耳をふさいでもオレ達はちゃんとここにいるゾ(それは気のせいだ
    耳の奥の巻貝の化石が罅割れているゾ(それも気のせいだ
    もうすぐ世界は脱色されて 太陽は輝く(ホントにあるわけないだろう
    おまえは今はヒトのふりをしているがおまえではない(意味不明な事を言うな
    もうすぐおまえはオレ達の中に還ってくるゾ

    福岡市 薬院
  • 6月21日(日)

    昨日まで地球の夢を見ていた
    ちょうど雨期がはじまり
    一日中溺れるように雨の音ばかりきいていた
    骨は真っ白で さらに透明でなくてはならない
    (生きていればそうなる(さりさりと
    今夜の新月の闇のなかを雨水が循環している
    あのころ水の惑星は地球だった(眠りの岬をめぐり
    はるかむかしの蜃気楼の都市の夢を見ていた

     雨の匂いとか空気の震えとか
     見えないものを受信している
     ふと窓に目をあげると
     窓に映る机上のガラスの花瓶さえ
     前世のすがたを思い出そうとしている
     どこかへ漕ぎ出そうとして
     (さりとて花はなく、水は枯れはてて

    雨につつまれると
    電話の声は水の被膜におおわれて聞こえるという
    昨日までの地球から届くあなたの声は
    漂泊してすでに途切れがちだ(った
    (衛星軌道(から地平線の(かなたに沈む(玻璃の浮舟
    「いとはかなげなるものと明け暮れ見出だす小さな舟に乗りたまひて……」
    水没した記憶のようにGPSは現在地を表示しない
    そのとき過去の私がふいにマップに点灯する

    福岡市 薬院
  • 7月14日(火)

    雨が世界を打擲する
    この世の半分が流されていく
    災害の危険が切迫しており、自治体が強く避難を求めています
    洪水警報避難指示が連呼される夜
    ひとりで
    ラジオの災害速報を聴いている
    豪雨でたくさんの土地が流された
    人もたくさん流されていった
    見覚えのある看板や家屋
    たいせつなものが数多流されて消えた

    チューニングが乱れてノイズの向こうから
    ふるい深夜ラジオの音声が流れてきた
    氾濫した濁流に押し流されてきた前世紀の電波だった
    断続的なノイズの連鎖に(波打ち際の星がまだ青かったころの記憶
    口のない者の声は
    波の音によく似ている
    こうして余白から瓦礫が
    耳鳴りのように打ち寄せられるのだった
    失われたものがおびただしく漂着する
    目をそらしていたもの(たとえば死せる魂や盲目の恐怖
    かれらが背後から見つめている
    黒い影こそが寄り添っている黒い影だ、と

    激しい雨音の向こうからだれかが
    昨日まで地球の夢を見ていただろとささやくのだった

    福岡市・薬院
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