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空気の日記

覚和歌子

  • 4月9日(木)

    「世界同時瞑想」に与してみる
    祈りの力は信じない
    知っているだけ

    こういう時は 連帯する 
    日記の列に連なるように

    初めて演歌を作詞する
    未練と怨念または男気 その様式美
    限界突破してサバイブする
    遠ざけてきた肌触りの先に
    会いたい自分がいる

    スーパームーンは十六夜
    コロナちゃんという眩しい名前の子どもたちに
    事後のさいわい あらんことを

    八ヶ岳
  • 5月2日(土)

    玄関先の切り火がいらなくなってひと月
    夫はすっかり鰐である
    好物のKindleを前足で支え 
    ふとんの奥に日がないちにち充実している

    胴のかたちを巣穴に残して
    鰐は時どきいなくなる
    今朝は上がり框に かしいで わだかまっていた
    振り向いてイッテキマスを
    言いたいのだね

    平たい尻尾を かかとでずずずと送り出す
    緑の多い日陰を選んで歩くんだよ
    子どもが近寄ってきたら敷石にまぎれてね
    クール便です 宅配のお兄さんが引戸の前で後ずさる

    熊本産の早生西瓜は陶然と甘く
    先割れスプーンをひるがえすうちに
    「トレインスポッティング」93分が終わっていた
    西瓜の残りを切り分けたら
    友だちを廻って配ってこようか
    時分どきが来る前に

    引戸を開けると
    隣家の生垣の終わるあたりに
    平たい尻尾がまだあった

    東京・目黒
  • 5月25日(月)

    師匠が鰐となるからには 弟⼦もあとを追うしかなく
    27才男⼦は⻘い⼩さな蜥蜴になった

    弟⼦に準備ができたとき 師は現れる
    (と チベット仏教ではいわれる)
    控えめで機敏な気ばたらき
    いるような いないような動作⾳
    そつなく掃除買い物⽫洗いする四肢は
    ときどき柱の途中に貼り付いて
    じっと⼀点を⾒つめている
    寄席の再開が⾒通せないまま
    鍛えようもない技量と度胸 埋めようもない余⽩の真ん中を

    せめて五⽉晴のアスファルトを
    鰐の散歩について⾏く (あ、指が腹が乾いちゃう)
    いちにちごとにまだまだ陽がのびるだろうから
    真打座布団までは 気が遠くなるほどの
    ソーシャル ディスタンス

    弟⼦に準備ができたとき 師は現れる
    ヒトに準備ができぬまま コロナせんせいは現われる
    今夜 緊急事態宣⾔は全⾯解除
    けれど何度でも現れる 顔と名前を変えて
    明るみに出したい⾃分に ヒトが⽬をつぶる限り

    今年は5⽉いっぱいが⺟の⽉だそうれす
    ⼩さい蜥蜴は
    ピンクのカーネーションを⼀輪 差し出した
    それではおやすみなさい と

    東京・目黒
  • 6月17日(水)

    高座は楽しいなあ
    ベランダで伸びをしていた鰐がつぶやいた
    麻に変わった襦袢をたたみながら 青い蜥蜴がうれしそうにする
    指先の球を 陽にみちみちさせて

    寄席が再開しても 忙しさにはほど遠く
    男たちは 爬虫類とヒトを往き来している

    鉢植えの時計草が 日にひとつずつ咲く
    四つ目が咲いて
    近所から惣領弟子が朝ごはんを食べに来る (それは半月の一度のしきたり)
    すでに蜥蜴でやってくるあたり 師匠を心得て

    おかみさんブルーインパルス見ましたか
    綺麗だった 空飛ぶものはずるいんだよ
    つい愛でちゃいますね 意味そっちのけに
    猫とおんなじだね
    北を怒らせたビラって 何書いてあったんですかね
    詩だったんだよ

    銀の蜥蜴は 青よりふたまわり肉が厚い
    みっしり詰まった声で 失われた高座をとりかえす
    散歩させながら稽古してると息子がふてくされちゃって
    おさんどんの合間に配信ライブって切り替え困難じゃないですか

    12 年かけて 個性のような上澄みを洗い晒したあと
    本性だけが残って 輪郭をつくって
    いくつかのトロフィーを 背中のいぼいぼに積み上げて
    縦書きの末尾に連なる きみ

    じゃ行きます 幼稚園、短縮営業なんで迎えに
    一緒に出かけようか
    戻りつつある日常に逆らって 私も山に入る
    蜥蜴たちの膚は
    明日からの雨が濡らしてくれる

    八ヶ岳
  • 7月10日(金)

    オレンジのTシャツにしたのは
    今日も曇り空だから
    柔らかい色の方を選んだのは
    灰色の川と折れた泥の柱と 笑おうとしてゆがんだ顔が
    のどを塞いでいたから

    雨の合間を盗むわたしたちの歩幅は広い 
    先導される暗渠の歩道は
    緑が深くて鰐が棲めそう
    途切れ目なく続く湿った背の高い茎たちを
    指先で追いながらついてゆくけれど

    花の名まえをたくさん知っているせいで
    立ち止まる背中を
    なんども追い越してしまうから
    少し先のベンチで待つ間
    病院の窓にいた小さな女の子と目が合った気がして
    どちらからともなく手を振り合う

    聴こえていたのは あの子のハミングではないだろう
    (子どもは振る手を下ろすタイミングに悩まない)

    見慣れた後ろ姿は
    暗渠の切れ目をいくつも渡る
    何年間も歩きながらの呟き稽古で塗りつぶした
    自らの王国を案内するかのように
    確乎と見えるものを 
    いつでも残らず瓦礫にしてしまえる
    水の力の その流れの音を
    足のすぐ下に聞いて

    感染最多記録が更新されていく
    並木の梢には 鈴なりの枇杷
    祝福は残されている 

    オレンジのTシャツにしたのは
    この実に招ばれたからだった

    注) 夫は落語家(入船亭扇辰)で通いの弟子が三名います。今さらの注釈、ご容赦を。

    目黒
  • 8月2日(日)

    この陽射しを
    もう疑わなくていい
    つかの間かもしれないと
    身がまえなくていい

    山に来た六日まえ
    特急の雨の窓には まだ
    葡萄畑の緑がけむっているのに
    空調の効きは 覚悟が必要
    何枚はおっても からだがこわばって

    動けなくなる四肢を
    動いてしまう心に
    かかえ続けるということを思った

    静かな死を願ったひとと
    その願いを叶えたひとは
    もう一日をこらえようとする仲間を離れたとき
    何にうつむいていたろうか

    いつでも銃爪を引ける拳銃を
    枕元に置いておけたら
    それを引かない自由を選べるのだろうか

    自分ならどうするか
    と 問わない者はいなくて けれど
    垂れ込めた雲の下では 
    ちがうこたえを出してしまわないように
    考えてはいけないのだったから

    明日月曜の数字は きっとまた増えるけれど
    林では 蝉たちがいっせいに鳴き出して
    どん底を見た力士が 誉れを手にして
    路の上に 光は強く動いてゆく

    昨日から鰐している夫が 電話をくれて
    どこかで財布を無くしてさ というぼやきが
    夏の響きだ

    八ヶ岳
  • 8月24日(月)

    自粛を自縛にはしないよ。政権が最長を記録した今日夜遅く、お湯の中の東京をあとにして、あなたが山に来た。仕事場から新宿駅まではヒトだったが、特急に乗ってすぐ指に水かきが張り、県境あたりで完全鰐と化したらしい。

    車両には他に誰もいなくて、さらには座席にすわるとタテにとぐろが巻かれて腰にくるから、床にほふくさせてもらったそうだ。車掌が胴をまたぐとき帽子を取ってあいさつしてくれた。JR にも思うところがこの時節さまざまある。

    夜汽車は本がよく読める。気づくと寝ていたり目が覚めてまた続きを読んだり。降りる駅ですかとゆり起こされると車掌の顔が間近にあって、ああ、ありがとうございます、そう言いながら、つい手のひらで口をかくそうとしたという。

    近距離会話の動作が、ならいせになっていたから。けれど鰐では腕が顔まで届かない。それを忘れたまま気づけば大きく裂けた口の両はしに水かきの手をあてがっていて、思いがけずかわいいポーズになってしまったとため息をつく。

    こっちの夜は風があるねえ。流れ星見えた? ネオなんとか彗星。それがね晴れてたのに見えなかったの。眼が悪くなってて星が特定できなかった。ふうん。でも平気だよ。かわりに別の感覚が冴えていくよ。嗅覚とか予知能力とか。

    特急でわざとがまんしたビールを飲んでいる。おいしいね。ありがたいね。大きな口の端からこぼれないようにのどを立てて。みんなが取り戻したいと言う「元どおり」。鰐変化をくりかえしても、あなたの心とことばは変わらない。

    コロナよりずっと前から私たちはおだやかな非常時を暮らしている。いつでもこの日々を成仏して終えられるように、手放すものを手放せることを救いにして。投げ上げるときの放物線がめぐらせてくれた結界の内側で。

    今夜からは鰐がいるので窓を開けて眠れる。みんななぜ猫を飼うのだろう、鰐にすればいいのに。ヒトが神の似姿につくられる前の地球では、龍神に似せて鰐が生まれたという。遠雷が途切れない。龍が吼えている。水の匂いがする。

    八ヶ岳
  • 9月15日(火)

    こめかみの内がわを信号が途切れない
    耳鳴りより淡い血流の音を知ったのはいつだろう
    この音が聴きたくて山に来てしまう
    夏は消えながらまだそこにいて 首すじにはうっすらと汗をかく

    ときどき林道を通り過ぎる車は
    遠くからきてまた遠のく波の音
    からだの重みでたわむキャンパス地が舟のかたちになって
    東京はもういいな と思った

    大昔はじけたときから宇宙は無口だった
    カリフォルニアも火星になったのだから
    ようやくみんなかえるところを思い出せるだろう

    やわらかくしずまる自分を聴いている 
    大切な人とトカゲたちが待っているのでなければ
    東京は もういい

    八ヶ岳
  • 10月7 日(水)

    からだの左がわに湧き水の気配がする
    1メートル半ほどの龍がいるようだ

    数日前に歩いた関西の山深い村では
    橋に窟に空にまで
    水神の守護がしるされていて
    マスクをあごに引っかけた人たちは
    山伏とインバウンドが減ってねと
    ほがらかに嘆いた
    まっすぐに天地をつなぐ木々が
    途切れない水音をささえて
    透んだ気をとどまらずにめぐらせて

    そこから龍はついてきた
    わたしの詩となって 

    玄関の引き戸から小路へ
    わたしの歩幅に合わせて
    身がゆるく蛇行すると
    金木犀の匂いのなかに
    冷たい川すじがとおっていく

    西洋では人をおびやかす役まわりの龍
    数日で打ち負かしたという老勇者が
    タラップをおりた
    BGMのマントをまとって

    半月前からにぎやかになった壁のカレンダー
    男たちはヒトの指で手帖をめくる

    わたしによりそう龍の気配に
    ときどき目を泳がせながら

    東京・目黒
  • 10月29日(木)

    父母は手を繋いで面会室にやってくる
    すべりの良すぎるドアには
    いつまでたっても慣れることがない
    マスクの顔に一瞬戸惑ってから
    あいさつの声でひとり娘だとわかってくれて
    ありがと おかあさん

    元気にしてるの? 
    たっちゃんは変わりないの? 
    今書いてるのはなあに?
    そんなことよりおかあさん
    今日はおとうさんの誕生日だよ
    あらそうだっけ 
    あなたは元気なの? 
    たっちゃんはどう? 
    今なに書いてるの?
    たっちゃんは時どき鰐になってるよ
    なにそれ わかんない
    休みが多いから寝ころんで本読むの
    そうするとだんだん鰐になってくの
    ちょっと おかあさんを混乱させるようなことを
    言うのはやめなさい
    えー、 私だって同じ会話は飽きちゃうじゃん
    ねえたっちゃんは元気にしてるの?
    あなた今どんなの書いてるの?

    いつものループがはじまるまえに
    そろそろ歌おうか おかあさん
    心配いらないよ おとうさん
    アクリル板ごしに向かい合うから 
    小さい小さい声をマスクにひそめるから

    記憶は2分で蒸発するのに
    歌はどこか深いところに
    しみるみたいにしまわれている
    おかあさんが帰りたいあの家には 
    大好きな絵も花器もお茶碗ももうないけど
    知らない誰かがもうすぐ住むけど
    おぼえた歌は なくさないから
    死ぬときも持って行ってもらえるから
    わたし歌を作るひとになってよかったよ

    いつ帰れるの は
    決まっておとうさんを困らせる夕方の質問
    デンセンビョウがおさまるまで
    もう少しここにいてよ   
    おかあさんのたった今がうれしいなら
    わたしいっぱい嘘をつく
    作り話をする
    いっしょに歌う

    制限時間は15分
    夕焼けと
    歌ふたつ分                     

    東京・目黒
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