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空気の日記

藤倉めぐみ

  • 4月8日(水)

    軒下でメジロが動かずに丸まっていた
    夕方にはいなくなっていたから
    気絶していたのかもしれない

    鳥が巣を作るとへびが寄るんよね
    それがいやなんよ
    女たちがそう話していたのを思い出す
    鳥みたいな音色だった

    目の前のことに触れたくて
    今年初めての山椒を摘んだ
    まだ棘すらも柔らかくて
    冷たくて甘い香りは
    少し気取ってからんでくる
    水洗いして絞った後の手は
    しばらく冷たいままだった

    のどを固くする時間が増えて
    大きい誰かの正しさを
    窓の向こうの散りゆく桜に乗せる
    風に浮かんだ花びらは
    空一面にシャボン玉のように広がって

    ああ
    泡よりも早くて、かすかなことが
    息をのむだけで残ってしまう
    あの一粒たちが残ってしまう

    山桜はピンクの膨らみで
    山をぼふぼふと爆発させる
    春は山笑うと言うけれど
    本当に笑っているね
    山に笑われているね

    始まりの前に
    積み重ねた問題に向かうきみと
    隣り合う

    きみは相変わらずため息をつき
    頭を掻きむしり
    硬直もするけれど
    それでも逃げなかった

    分からなさを繰り返しても
    きみは泣かなくなって
    わたしは怒らなくなった
    わたしたちは育っていると思う

    一粒になるよ
    あの桜の花びらのように
    一粒になるよ
    そこからじゃないと
    わたしたちは手もつなげない

    大分・耶馬渓
  • 5月1日(金)

    元気ですかと尋ねて
    元気ですと聞いても
    重みを持ってしまうのは私の視線で
    人の声は砂のように溜まるのに
    人の視線は岩のように積まれていくことを知った

    私が変わったことなんか
    毎日飲むコーヒーが
    もっといい豆に変わって
    コーヒーの味なんか分からないのに
    多分美味しくなったんだろうなぐらいのことで

    それでも緑を
    迫りくる緑を
    のみこもうとするだけ
    はじいてしまうようで

    思うままにすることの
    何を思いたいのか分からないまま負荷をかけ
    背中を骨に張り付けて
    太ももの水を抜いていく

    4月から様子見をしていた蚊も
    いよいよもって血を吸うようになった

    症状として下痢発熱。
    喉の違和感がたまに。
    37度を越えると発汗。
    味覚と嗅覚は今のとこ平気。
    あなたも気を付けて。

    便りから6日目
    上下する熱を過ぎても
    君は部屋から出られないまま
    新しく届いた椅子を組めないでいる

    大分・耶馬渓
  • 5月24日(日)

    自然がいいなんて少しも思っていなかったのに、草とりは世界を変えるよという母の言葉に習って恐ろしく生命力が強く、どんどん増殖してくキクイモを大量に抜いた。こうしないと畑の栄養を根こそぎもっていくからだ。
    トマトとナスとオクラとサツマイモとゴーヤを母とともに植えた。彼女も私も連日1歳になったばかりの甥っ子の動画をよく見る。

    次に会ったときは一緒に散歩ができるね
    お正月に会ったときは立ったばかりだったのに

    食べることが大好きな彼は
    本を読んでも、おいしい
    階段をのぼっても、おいしい
    本当に食べるときは叫ぶように、おいしいを放つ。
    遠い都市に住む彼の頬に触れる機会を2回見送ってまた新たな算段をつける、そんな未来に足をかけている。

    世の中はハッシュタグでいっぱいで、春先からの刻一刻は、刻刻一刻刻という違うビートで刻まれている。おもちゃをとりあげられ、適切なスパーリングがようやくできて、足がもつれたりしているけれど、それでも青く立上がることに胸はすくし、サンドバッグにつまった濁りきった泥はもう下ろしてほしいと思う。

    おうちもステイホームも
    とっくのとうにいやになったから
    今日のトレンドの「さよなら」で
    さよなら払う裏腹な世さ
    と回文を作る。

    5月になってから我が家のドアの前に毎日カエルが来る。今日もその子に挨拶して、今日も立ち尽くしてしまう。そっと触れる皮膚は冷たくて骨の感触がよく分かる。無関係な小さい君が安らいでいることが喜びで、少し頭を傾けてほほえんでいるような姿をとどめようとする。

    夏の皮膚を大事にしたくなって、マスクをしないという選択肢を持ってお肉をまとめ買いした。散歩もした。露わになれず出口を失ってニキビを持った肌に従う。芥川龍之介の『羅生門』に出てきた下人はニキビから手を放して少年を通過したけれど、私はニキビそのものを仕方なしとすることに倣えずに顔を覆わなかった。

    大分・耶馬渓
  • 6月16日(火)

    春の季節の外を忘れていたからか夏の甘みが鼻に鮮やかだ。これこそが草いきれ。雨の後の強い日差し、田植え直後の整列した苗を見ても私は弱りの中にたたずんで、ああ、この力の入らなさは怒りなのだなと思う。

    どうせという言葉に触れてしまった。見知らぬ君は、怒っているのに、どうせという言葉に吸い込まれて、君はそれを吐き出してしまった。君は意志を示すことすらしないと、怒ったまま言う。そうさせたのはあなたよりも先に放り出されたわたしたちなのか。

    熟しきった梅のぷわんぷわんとした匂いや小さなアマガエルの午睡を通り過ぎて、窓辺につるされた七夕飾りを見る。
    「やきゅうせんしゅになりたいです」
    ねがいごとはいつだって光り輝くものだと知る。まだ願いの書き方が分からない私は面と向かって息を吐き、息を吸う。態度を示せますようにと。

    有象無象を抱えた境界線は
    夕暮れから青が滲んで
    虫が高らかに鳴きだす
    夜風が 声が
    溶ける

    夜は黒くならずに青くなって
    虫の声に重なって
    青が濃くなるほどにカエルの声も響きだして
    音が空と土を繋いでいく

    青いまま 青いまま
    溶けあって
    山並みも川音に溶け合って星が浮かぶ頃になると
    ぽっ と
    あれは蛍

    星がおりたんだね
    魂がゆれたんだね
    躍りあってるね
    その境目が夏だね
    命の溶けた境目が夏なんだね
    混ざりあうことが夏なんだね

    大分・耶馬渓
  • 7月9日(木)

    雨が日付境界線も溶かすように降って
    もういつから降っていたのかが思い出せない

    土地に流れる川は数年にわたって、
    何度も何度もたくさんの雨を呑み込んで、
    その度に幅も流れも手を加えられ、
    雨は川の中にとりこめるはずだったのに
    またその川が溢れだした

    水が
    道路をえぐることも
    流木を押し流すことも
    ただただ家も人も全てを呑み込んでしまうことも
    もう知っている私は
    またありったけのお金をビニール袋に入れて
    2階の寝室の枕元に置いた

    ダムの貯水率と
    川の水位と
    一つの灯りだけが照らす道路を
    見て
    冠水していないなら夜明けまでは呑み込まないよと

    橋を覆いつくした激流が横に
    地面を打ち付ける雨粒が縦に
    無関係に鳴き続ける虫が膜みたいに
    響いて
    虫が鳴いているなら大丈夫なんじゃないかなと

    何も知らなくて怯えていた頃よりは
    ほんの少しだけ上手に眠ることができるようになった

    濁流が山の木を流して
    橋に引っかかり
    流木が立ち上がり続ける

    あの激流を
    止まらない雨を
    けぶる山を
    現実だと知っている

    この激しさも
    穏やかさも
    潤いも
    育ち行く稲も
    縦横無尽に動くカタツムリも
    オクラの苗に群がるスズメも
    全てだ
    全ての中にここにいるんだ

    切り離せるなんて思うのが
    大間違いだ
    そういう中の全部にここにいるんだ

    本当に本当に気を付けてください
    命を守る行動をとってください
    今まで経験したことのない雨がまた来ます
    と言われたその日の朝は晴れていた

    6歳のきいちゃんは
    いつの間にかゴジラの曲を弾けるようになって
    午後になってから強く降り出した雨を
    新しい傘に弾かせて笑っていた

    きいちゃん、道路に出ないでね、危ないよ

    ねえ、雨、楽しいね

    そうだね、でも今日は怖いよ
    すごく怖いよ

    大分・耶馬渓
  • 8月1日(土)

    そぐわなさから遠くしようと思うのに、大きなところから小さな箱が届いて、伝票には
    「品名:布製マスク(荷送人指図不要)送付枚数25枚/60サイズ、案内文1枚」

    止めるって聞いていたのにね
    欲しいなんて言ってないのにね
    こうやって虚ろになっていくね
    おいてけぼりだね

    「あれ、もう」っていつだって何度だって言ってしまうものだけど、雨季の7月が丸々すっぽりと抜け落ちて「あれ、もう8月」となってしまって。

    身体を遠くに運ばない、ざわめかせない時間は、こんなに自分に折り重ならないで、時という枠組みだけが現れるものなんだなと発見をする。
    ああ、これが待つことなのか。

    この先を決めることもなければ寂しさを覚えることもなくて
    涙も足りなければ震えも足りなくて
    その分どこかの誰かに押し寄せているから
    あなたがいなくなってしまうんじゃないかって

    いてほしかった
    あなたにいてほしかった
    あなたがいなくなることは
    交わらない私の喉元に
    ゆっくり指を押し当てていくようで

    滑らかな木肌から伸びる枝先に
    赤い小さな花が
    ぽぽぽぽぽ っと咲いた
    百日紅

    「夏に木から咲く花はすごく少ないから
    今、東京はたくさん百日紅を植えているんですよ
    オリンピックの時に花が映るようにしたくて」

    そう教えてくれた君の
    日に灼けた肌と
    布に守られた肌の
    境目を思い出す

    そちらに花は咲いていますか?

    大分・耶馬渓
  • 8月23日(日)

    昼間の空気は知っている夏よりもさらに苦しい厚みを持っていたけれど、夜に鳴く虫は明らかに秋だと主張して到来を告げている。

    大気の激しさに挟まれてうるわしい緑が自慢のアマガエルはすっかり皮膚を土気色にしてただただ微笑む中、私はどうしてもあの子の命に介入したくなって霧吹きで水を吹き付け凍らせたペットボトルを窓辺に置いていた。どれもこれもが恐らくは過不足であるのに、小さな命はそれを通過して、数週間ぶりにようやく降り出したまともな雨にひたることができた。

    誰とも共にあることのない
    密やかな時間が鮮やかにあって

    にぎりしめた線香花火
    トウモロコシをしゃりしゃりとほおばる音
    フレッド・アステアと一緒に踏んだステップ
    夕空に広がるたくさんのトンボ

    それ以上のことなんてどうしたってないのに

    向けられないまなざしと
    解消されない期待を抱えている子どもが
    ななめにだらけきった口元で
    「別に、なんでもありません」と

    何もかもある声で
    放つのをくらう

    大分・耶馬渓
  • 9月14日(月)

    きちんとした順序を組み立てれば一日で世界一周だって出来るという言葉が忘れられない。浮遊をするということは私にとっては呼吸をすることだったようで、耐えていることもないはずなのに、台風が来て気づく。持ち重りばかりを増やしている。

    今わたしが捕まえようとしていることは捨て去ること放り投げることばかりで、それは私が、むかし街にいたときにずっと考えていたことだった。街の音は積もってしまうから、あんなにたくさんある中からもう少ししかいらないって砂を落とすために書いていた。街からはずっと遠く、今、虫の音が響くこの場所で、もういらないものはいらないんだよねって思ってしまうのは、やっぱり風が吹いたからなのだと思う。

    ジャムを保存していた冷凍庫、顔をうずめたソファ、亡くなった祖父の代からの古釘、いつ手放したってよかったものを外に運び出して、いつかのなんらかの得体のしれない薬品がまだ古い倉庫で笑っているから、古紙を詰めた箱にゆっくりとゆっくりと流し込む。少しずつ少しずつ瓶が空になる。この家にもいたずらに高く積みあがる城があって、それと面と向かおうとするといつも立ち止まってしまう。その高さに、止まらないと動けなくなってしまう。10秒だけ止まっていいよって許しながら、止まって、動き出して、息をどうしたらいいか分からないから、数を数える。1、2、3、4。

    今日もいだイチジクは4つだった。街を遠ざかってから食べ頃のとろりとしたイチジクの見分け方は完璧になった。とっておいたイチジクは砂糖と一緒にくつくつと煮込んでいく。何もかも飛ばしてしまうんじゃないかと思われてた、あの台風の日の翌日は、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12。12個も熟してはじけていた。あのイチジクは台風ですらも待っていたんだ。

    暦通りの温度もなくなれば、いつかという先のことも言えないけれど、秋の風は、あの大風は空を切ったね。切られた空は、切られた先から軽くなっていくんだね。秋が一番好きだっていうことはまだ何も変わっていないから、夢を見て踊ろうか。

    大分・耶馬渓
  • 10月6日(火)

    陽の鋭さはあっても空気は冷たく乾いてきました。わたしはそうやって剥がれ落ちていきます。長袖なんて着てしまう季節は剥がれ落ちていくんです。

    わたしは秋に生まれたので、秋の訪れは、特別な場所で浸み込ませてきました。海の近くに住んでいたので、秋の海を、波の音を浴びていました。海のそばではしがみつきたくなったこと、星が早く動いたことを思い出します。

    秋はきっと贈り物の季節で、不用意な歪みもその中に含まれます。わたしはもう誰かの名前を忘れられるぐらい大人になったので、もう名前を忘れたあの人が「大事な人の贈り物にはおもちゃの蟲を箱いっぱいに詰めて贈りたい。だって面白くないですか」と言ったこと。あの時、おかしみもあたたかさも一欠片として感じなかったのだけれど、もしかしたら今、君からその蟲をひとつまみずつ放り投げられていることがわたしの悲しみの素になっていて、そうやって投げられれば投げられるほど、不用意に簡単に踏み外して君をえぐることがわたしにだって出来てしまうことがとても悲しい。

    そんなことよりも一番大事なのは、本当にすることは、「目の前に立って下さい」ということだけでしかなくて。何よりも真っ先に「目の前に立って下さい」という時に来ているのに、それを難しくさせているものは、何者なんでしょうか。

    今日は夏に作った梅のジャムと、この前作ったイチジクのジャムと、今年出来たばかりのお米と、古米で作ったお味噌と、もぎたてのカボスを、抱えるのがやっとなぐらい詰めて、遠くで笑うあの子に送りました。とても重くてたくさん動き回ったので、今夜はゆっくり眠れそうです。

    大分・耶馬渓
  • 10月28日(水)

    実りを過ぎた地には黄灰色が重なるようになり
    鮮やかさよりも寂しさが濃くなる山に
    遠くから訪れる人も多くなって
    誰も彼も口元も首元も足元も覆わせて
    通り過ぎる

    そういえば昨年の今頃は
    足繁く東京に通い
    連日連夜、映画館に籠り
    8日間で39本
    ただただ銀幕と向かい合わせでいた秋は
    私の届かなさもあの人の届かなさも交差していた
    いつかの秋になった

    今日は小さな映画館で一人
    早々にあの胎内の中で
    ぽうっとまどろんだ

    一瞬を満杯に浸して
    目も耳も鼻も口も皮膚も
    小さく枝分かれさせて
    どれもこれも吸い込ませて
    根は生えていたのだなと
    触れてみる

    かかと
    つちふまず
    つまさき

    かかと
    つちふまず
    つまさき

    この先にまだ根が生えて
    知らない船にも運ばれて
    今はこの足を
    海に浸すことをたくらんでいる

    大分・耶馬渓
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