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空気の日記

「空気の日記」トーク&朗読イベント
“online”開催

9月26日(土)15:00〜16:30
@スパイラルガーデン

1年間のプロジェクトとしてスタートした23人の現代詩人によるリレー詩「空気の日記」が折返しの時期を迎えます。コロナ禍を振り返りながら執筆者が半年間の空気の変化を語り合います。会場ではリモートライフの暗喩する「糸電話」を用いた朗読パフォーマンスの実験を行います。youtubeライブ配信も予定。

WRITER

oblaat

新型コロナウイルスの感染拡大により、街の様子がすっかり変わりました。
多くの人々が、せいぜい悪性のかぜみたいなものだと思っていたのはほんのひと月前で、社会の空気の変化に驚いています。
未曾有の事態なので様々な出来事は記録されていきますが、こういう時こそ、人々の感情の変化の様子をしっかり留めておくべきではないかと思いました。
「空気の日記」は、詩人による輪番制のweb日記です。その日の出来事とその時の感情を簡潔に記していく、いわば「空気の叙事詩」。
2020年4月1日より、1年間のプロジェクトとしてスタートします。

MEMBER

oblaat(オブラート)は、詩を本の外にひらいていく詩人の集まりです。
http://oblaat.jp/

「空気の日記」執筆者

  • 新井高子
  • 石松佳
  • 覚和歌子
  • 柏木麻里
  • カニエ・ナハ
  • 川口晴美
  • 河野聡子
  • さとう三千魚
  • 白井明大
  • 鈴木一平
  • ジョーダン・A. Y.・スミス
  • 田中庸介
  • 田野倉康一
  • 永方佑樹
  • 藤倉めぐみ
  • 文月悠光
  • 松田朋春
  • 三角みづ紀
  • 峯澤典子
  • 宮尾節子
  • 山田亮太
  • 四元康祐
  • 渡辺玄英

新井高子、石松佳、覚和歌子、柏木麻里、カニエ・ナハ、川口晴美、河野聡子、さとう三千魚、白井明大、鈴木一平、ジョーダン・A. Y.・スミス、田中庸介、田野倉康一、永方佑樹、藤倉めぐみ、文月悠光、松田朋春、三角みづ紀、峯澤典子、宮尾節子、山田亮太、四元康祐、渡辺玄英

  • 9月22日(火)

    目が覚めて、LINEに温度感の高い仕事の話が来ているのに気がつく。午前中は「日記」の制作。昼頃に中華料理屋へ行って、麻婆豆腐とビール。追加で餃子とハイボールを注文する。奥に座っていたおばあさんが、炒飯を半分残したお皿を持ってレジに向かう。店員の人が、――いつもありがとうございます! といって、おばあさんを見送る。しばらくして、おばあさんが空になった皿を持って店に戻ってくる。
    高校の同期からLINEが来て、多磨霊園に集まることになる。産休で休んでいるべつの一人にも声をかけたという。急いで家に戻って風呂に入る。元TOKIOの山口達也が、酒気帯び運転の疑いで逮捕される。待ち合わせにニ十分遅れることを連絡すると、――なんもない駅だよ、と返事が来る。新小金井駅に着くと、本当になにもない駅で、旅行に来たような気分になる。同期の記憶を頼りに道を歩くと、公園が見えてくる。
    ――(同期)虫いたら帰るからね。
    ――(作者)あいつ(もう一人)いつ来るの?
    ――返信来なかった。てかさ~、コンビニどこにもないじゃん!
    ――え、なんも持ってきてないの。
    ――マクドナルドでポテトのL買ってきた。しおしおになったやつ食べる。
    しばらくして、多磨霊園ではなく野川公園であるのに気が付く。川に入ってなにかを採取している親子や、犬を連れて散歩している人が目立つ。遠くで、白い人間が四つん這いで歩いているとおもうほど巨大な犬を連れて歩いている人がいる。テントを張っている人も何人かいる。――これから雨ふるのにけっこう人いるね、とつぶやくと、同期が露骨に帰りたそうな顔をする。曇り空と青空が均等にまざったような空で、あまり見ない天気だとおもう。コンビニを探して歩きまわっているうちに、多磨霊園とは完全に逆方向の道となり、武蔵野の森公園をめざすことになる。
    コンビニでお酒とつまみを買って、空を見上げながら歩く。武蔵野の森公園に着いて、調布飛行場を横目に見ながら芝生のある場所を目指す。遠くで飛行機が何台も並んでいる。蝉が弱々しく鳴いている。ミヤシタパークの屋上で見かけた看板がある。さっきよりも犬の数が格段に増えて、すれちがいざまに近寄られる。自転車に乗った子どもが、――気をつけてください、自転車に乗っています、といいながら去っていくのが、同期のツボに入る。芝生のある広場に着く。レジャーシートを広げて酒を飲む。遠くの木の近くに座っていた子ども二人が、交互にこちらの方に走ってきて戻っていく。途中でやたらと大きい人が走ってきたかとおもうと、おそらく二人の父親らしく、同期のツボに入る。フリスビーを飛ばしあう二人組がいて、片方のコントロールの良さに感動していると、もう片方がどんどん公園の奥へと離れていく。そのうち、数百メートル単位の距離でフリスビーを飛ばすようになり、同期のツボに入る。ゆっくりと暗くなってきて、あたりをコウモリが飛び交うようになったので、公園を出ることにする。同期がトイレに行っているあいだに、残ったハイボールを飲む。足もとでビニール袋がガサガサと音を立てている。生ゴミといっしょに閉じ込められたネズミが、袋を食いやぶって顔を出していた。袋を足で動かすと、ネズミはすこしだけ身をよじり、空を見つめたままガサガサと足を動かすだけで、逃げずにいる。帰るまでに雨がふらなくて、よかったとおもう。
    「日記」を完成させて、後輩(添削担当)に送る。前回の「日記」を掲載した日から今日までのあいだで、カレーを食べた日に起きた出来事について書いたもの。後輩から、作中に登場する「みんなのミヤシタパーク2」(注:9月13日にミヤシタパーク前で行われたデモについての詩)内の引用部分に関する確認と、それとはべつの箇所で、プライバシー保護の観点からいくつかの指摘をもらう。数日にわたって書いたので、題名を「9月22日(火)へ」に変えて、松田さんに送る。酒を飲んだせいで眠くなり、一時間ほど寝る。しばらくして、松田さんから原稿の再考について返信が来る。
    ・「日記」は《昨日でも明日でもない、今日の空気の記録》を主題として参加を呼びかけた企画であり、それについてはこだわりたい
    ・数日にわたって書くのも感覚的に理解できるが、記述の時間の幅があると、他の担当者と重複する部分が出てくる
    ・(注:数日にわたって書いてしまうと?)全体がばらばらになっていく感じがあるので危うい
    ・今回の「日記」が「前回の日記の空気」をそのまま引き継いで書いていて、《今日の空気》とはちがう力点が置かれている
    ・そういうところがタイトルの表記にも出ているとおもう
    まとめは作者の判断なので、誤解がある可能性は否定できないものの、以上の理由から原稿を再考してほしい、といわれる。他にも同様の依頼をして、再考を許諾してくれた人がいるらしい。素材を増やすために、できる限り毎日カレーを食べていたことを後悔する。
    後輩(添削担当)にその旨を連絡すると、笑いながら電話がかかってくる。
    ――(後輩)あ~、そんなのあるんだね。よかったじゃないですか! 検閲を受けたって書けますよ。
    ――(作者)怒られるかな。
    ――だめだったら欠番になるだけなんじゃないですか? やりにくい詩人だとは、確実におもわれるでしょうね。
    ――え~、嫌なんだけど。
    ――やりやすい詩人になりたいなら書くのやめたら? だいたい、日付割り振られてるのにカレー食った日のこと何日も書いて、おかしいとおもわないのがおかしいとおもいます。
    べつのところから、ひと月寝かせていた原稿の催促が来て、対応する。
    ――(後輩)今回の「日記」についての話は、日にちの問題もそうですけど、「《今日の空気》が入ってない」と暗にいわれてしまったところがいいですね。
    ――(作者)《今日の空気》って、もうすこし日にち的な幅があるとおもってたんだよね……。
    ――べつに日数の問題をいわれてるわけじゃなくない? 《今日の空気》が強く感じられていれば、もしかしたら問題なく載ったのかもしれない、とかね。ちょっと話題ズレますけど、情動が政治的判断と密接に関わってくる感じが、かなり興味深いとおもいました。日記っていう表現形式のあり方も含めた話で、テキストが真偽の区別を破棄した次元で成立し、人間の情動を駆動させる装置として用いられるという事態について考えさせられましたね。これは政治的状況に向けて語られるタイプの議論ですが、けっこう抒情詩の問題でもあるとおもうんですよ。表現形式としての日記から、詩の話にもつなげられる気がしています。
    今年はたぶん類を観ないほどたくさんの日記が書かれた年です。それはコロナの流行がなかったら起きなかったことなので、一平さんが前に書いていたことですけど、コロナとの「共同制作」なんですよね。いろんな書き手による日記がいろんな媒体で発表されましたが、そこでは基本的に「その日に起きた出来事」が連続して書かれてあって、実際にかなり事実らしく読めるものが多い。でも、読み手はテキスト内部の情報に対する真偽の判断以上に、その「事実らしきもの」をとおして語られるものに注目してしまう。そのうちのひとつとして、「今・ここ」みたいな特定の場所と時間を伴った記述がもたらす、同期性を伴った抒情的な知覚が挙げられるとおもいます。つまり、《今日の空気》ですね。とはいえ、これは当たり前の話で、もともと日記は書き手自身のために書かれるものとしてあって、そこで日記は何ごとかを忘れないために、もしくは思い出すために書かれます。言い換えると、日記を書くことはそれを読んで思い出す過程、想起という行為が強く関わってくる。事実がそこに書かれてあることは必ずしも必要ではなくて、感情的な言葉だけがひたすら書かれていてもいい。そこには日付とのセットが重要な意味を持つのはいうまでもありませんが、想起が日記という表現形式の成立において不可欠な要素であるのなら、日記は記述から喚起される行為や感情の方をむしろ主題としている。
    ところで、この日記から完全に事実らしさへの装いというか、真偽の区別の判断を働かせる要素が完全に取り除かれたとき、その表現はおそらく抒情詩に近いものなのではないかとおもっています。だからこそ、最初に話した「真偽の区別を破棄した次元で成立し、人間の情動を駆動させる装置」としてのテキスト、について考えたくなったわけです。日記をめぐる話から、なにかを引き出せる気がしましたね。なんというかここしばらくのあいだ、みんなで思いおもいに詩を書いて興奮してるんだな~って。
    ――(作者)後半に関していうと、オレが前に飲み会で話したことと重なってる気もするな~。今はまだ、うまく断言できないとおもう。
    ――(和合亮一)いいのか 無かったことにされちまうぞ※
    ――(作者)正直、デモの詩は載せたかったな……。
    ――(後輩)どこかべつのところに載せたらいいんじゃないですか?
    「日記」用に書いたテキストを削除して、深夜まで今日の出来事を書き起こしながら、ZOOMの打ち合わせに参加する。半分酔っぱらっていたので、余計な発言をしないようにミュートをしながら議論を聞く。後半で発言できそうな話題が出てきたので発言すると、そもそも参加していたことに対しておどろかれる。
    ※書き直し前の「日記」で引用していた和合亮一(@wago2828)のツイート。
    (https://twitter.com/wago2828/status/1306948885495963649、2020年9月22日閲覧)

    東京・高田馬場
    鈴木一平
  • 9月21日(月)

    毎年恒例の
    若いアーティストたちが作品を発表するイベントをみた
    密にならないように
    出展作家を絞っていて
    その分クオリティも高い
    今年変わったのは
    見ている自分で
    理屈の作品やデジタルの作品には全然反応できない
    写真には
    被写体の実在を感じる
    知らない素材には
    作家という他者を介した
    実在との出会いを感じる

    写真のなかの
    小さな人
    その
    遠さに
    こころが矢のように向かっていく

    福島の原発がだめになって
    毎日線量を見守った
    だがいつのまにか
    忘れた

    秋の連休は大勢のにぎわい
    そして次の巣篭もりの入り口
    すべてを忘れてきた我々に
    それを許さない
    みえないなにか

    東京・表参道
    松田朋春
  • 9月20日(日)

    これから船が出ます。
    完全避難マニュアルに従い避難してから10年。
    桟橋までの道はガラスと石の建物に囲まれていました。
    QRコードで感染リスク通知サービスに登録しました。
    10年前、何から避難しようとしたのか、もう思い出せません。
    道は変わりましたが、桟橋はほとんど変わっていませんでした。
    広場で三重の十字が輝いています。
    白と青色の船には赤い花の名前がついています。
    名は体をあらわさない。
    それではこれから船に乗ります。

    東京・竹芝桟橋
    河野聡子
  • 9月19日(土)

    深夜三時におきる
    窓をまず開けて星をたしかめる(月はみえないまだ月齢二日
    南東にひときわ明るく輝く星があって
    あそこから地球を見ている人
    のことを想像する
    (ここからは見えないが木星は射手座付近を順行しているらしい

    ぼくが窓辺に立つといつのまにか
    猫がよこに坐って
    やはり外を見ている
    じっと耳をすまして闇の向こうの気配を観測している
    もう秋の虫が鳴いているけれど
    ぼくには聞こえないものが猫には聞こえているのかもしれない

    (今週から授業が始まり(でも遠隔なので(学生たちはホントにいるのか?
    (観測はできるが(ホントにいるのか? きみたちは

    目に見える夜空も星も虫たちも
    本当にそこにあるものなのか確かめようがない
    星は輝くだけ 虫は鳴くだけ
    (むろんそれでもかまわないが(見えない木星が今も刻々と順行している
    目に見えるものさえ不確かだとしたら
    ぼくはどれほどの確かさでここで夜空を見上げているのか
    ここで夜空を見上げているぼくの心は誰からも観測されはしない

    (そういえばぼくは地球という惑星をじかに見たことがない
    星が星であり星でない
    虫の音が虫の音であり虫の音でない
    ように ぼくはぼくでありぼくではないとしたら

    いつのまにか
    猫は瞑目している
    ちいさなスフィンクス

    福岡市・薬院
    渡辺玄英
  • 9月18日(金)

    暑さを続ける空から
    いつの間にか秋が露出している
    いつの間にか総理も変わっているし
    いつの間にかGo toに東京が加わって
    我々は流行が収束に向かっていると
    いつの間にか気をゆるめている

    この間久しぶりに新幹線に乗った
    互いの顔すら見ない
    配慮された孤立の中で
    マスクをはずし
    弁当を食べると前と同じ
    美味い

    遠くうつくしいままの山の中で
    寺院は変わらず
    時間の縦糸に追従していた
    歩き果てた私が
    汗で濡れた帽子を脱ぎ
    立ち止まって疲れをほどくと
    霧が纏わるように山すそに立ちこめて
    忍従から突きはなたれた
    心はいっとき離散を忘れた

    旅から戻ると
    海が荒れている
    秋雨前線が発生していて
    やはりもう秋だった
    遊びをやめかねた人たちが
    波の荒さにおびえたように
    薄着の身体を寄せあっていて
    波か風か
    運ばれてきたちいさな枝が
    浜のあちこちにつき刺さっていた


                                 

    神奈川県片瀬海岸・江の島
    永方佑樹
  • 9月17日(木)

    高熱の静けさ
    夢とのけだるい綱引き 
    外で囁く鈴
    宅配バイクのエンジン

    るんるん るるんぶ
    るるんぶ るるん
    つんつん つるんぶ
    つるんぶ つるん

    時代の手の長細い指が
    小さな症状から存在の制限まで 
    一本の線をなぞる
    たった一つの体に閉じ込められたまま
    生まれて死んでいく

    るんるん るるんぶ
    るるんぶ るるん
    つんつん つるんぶ
    つるんぶ つるん

    同じ空気で
    同じ水で
    同じ土で
    皆の体がつながっている

    るんるん るるんぶ
    るるんぶ るるん
    つんつん つるんぶ
    つるんぶ つるん

    蛙がないた
    人間もそう

  • 9月16日(水)

    青い袋には燃えぬもの(月一回第三月曜日)
    黄色い袋にはペットボトルにガラス瓶(月一回第一月曜日)
    赤い袋にはそのほかの全てを入れる(毎週火、金)
    プラスチックも生ゴミも古紙も
    燃えるものなら一切合切
    九州は豪放磊落だ

    だがこの世に
    燃えないものなんてあるんだろうか?
    原初の星の溶鉱炉
    水素ヘリウムぺちかと爆ぜて
    炭素誕生!

    フューネラルホーム彩苑は永遠なるイオンの真向かい
    担当の林君はどこからともなく現れいでて
    重い原子で人の姿を象る

    「タメタカ様は疫病が流行っても夜な夜な女のもとへ通いつめ
    案の定その年の十月に感染、翌年六月にはお亡くなりになりました。『栄花物語』の
    鳥辺野巻に『このほどは新中納言・和泉式部などにおぼしつきて、
    あさましきまでおはしまつる』とございます」

    あさましきまで
    おぼしつきて果てるは本望
    食べれなくなった人はげっそり頬が削げ落ち
    皮下注射で水分のみの補給(胃瘻は事前の本人確認により拒絶)
    分からなくなった人は
    日が暮れるたびに空を仰いで慌てふためき
    暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせアリセプト錠

    石破れて山河あり
    corruptという語の訳には
    腐敗ではなく畸型と暴走のニュアンスが欲しい
    自分たちの苗字の多くに自然が宿っているということを
    日本人自身はどう受け止めているのか
    NHKの画面上部に流れる災害情報は絶えずして
    しかももとの国にはあらず
    こんなにも空を見上げて過ごした夏は生まれて初めてだったと
    肩を組んで述懐する小学生たち

    遅かれ早かれ太陽は膨張し
    僕らの全てを呑みこんだ揚げ句内側へと崩れ落ちる
    一握の炭素の吐息だけをキラキラさせて
    究極の赤いゴミ袋だナ
    燃えるものならなんでもかんでも放り込む
    プラスチックも生ゴミも古紙も
    皮も肉も血も涙も

    青いゴミ袋には何入れようか
    言葉、重力、それともあさましきまでの愛……?
    骨壺の値段について(五寸か六寸、全て有田焼でございます)
    しめやかに語る林君の淡い影を見ている

    ​​​​

    ​​​​​​​福岡・東区
    四元康祐
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