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空気の日記

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oblaat

新型コロナウイルスの感染拡大により、街の様子がすっかり変わりました。
多くの人々が、せいぜい悪性のかぜみたいなものだと思っていたのはほんのひと月前で、社会の空気の変化に驚いています。
未曾有の事態なので様々な出来事は記録されていきますが、こういう時こそ、人々の感情の変化の様子をしっかり留めておくべきではないかと思いました。
「空気の日記」は、詩人による輪番制のweb日記です。その日の出来事とその時の感情を簡潔に記していく、いわば「空気の叙事詩」。
2020年4月1日より、1年間のプロジェクトとしてスタートします。

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oblaat(オブラート)は、詩を本の外にひらいていく詩人の集まりです。
http://oblaat.jp/

「空気の日記」執筆者

  • 新井高子
  • 石松佳
  • 覚和歌子
  • 柏木麻里
  • カニエ・ナハ
  • 川口晴美
  • 河野聡子
  • さとう三千魚
  • 白井明大
  • 鈴木一平
  • ジョーダン・A. Y.・スミス
  • 田中庸介
  • 田野倉康一
  • 永方佑樹
  • 藤倉めぐみ
  • 文月悠光
  • 松田朋春
  • 三角みづ紀
  • 峯澤典子
  • 宮尾節子
  • 山田亮太
  • 四元康祐
  • 渡辺玄英

新井高子、石松佳、覚和歌子、柏木麻里、カニエ・ナハ、川口晴美、河野聡子、さとう三千魚、白井明大、鈴木一平、ジョーダン・A. Y.・スミス、田中庸介、田野倉康一、永方佑樹、藤倉めぐみ、文月悠光、松田朋春、三角みづ紀、峯澤典子、宮尾節子、山田亮太、四元康祐、渡辺玄英

  • 7月28日(火)

    ひさしぶりに
    昼ごはんを
    エンダーで食べて

    ドリンクは
    もちろん
    ルートビアを

    沖縄のソウルドリンク
    と言ってもいいくらい
    こどもの頃から飲みつけて
    おいしくて
    大好きなのだけど

    いっしょに
    お昼にしていた
    きみが
    飲むものがない
    、て困ってるから
    あげたのに

    ストローで
    少し吸ったとたん
    横を向いて
    ものすごく深刻そうに
    顔をしかめたのは

    これは
    これはもう
    ソウル そうつまり
    魂の問題ですよ
    これはもう
    とか

    ルートビアは
    よくネタにされて
    サロンパスみたいな味とか
    薬みたいとか

    魂はたぶん
    誰にでもよろこばれる
    味はしない

    わかんないだろうな
    おいしくない
    、て言うだろうな
    、て思いながら
    ぼくは
    わかんないだろう味を
    おいしく感じては
    うれしくて仕方なくて

    もうちょっと飲む?
    、てきみに聞く

    *エンダー…A&W。沖縄のファーストフード店。

    沖縄・那覇
    白井明大
  • 7月27日(月)

    秋の入口みたいな温度計
    こごえながら炊飯器をあける
    足りないから
    洗う
    つぶつぶしたもの

    日々のしこりが残って
    ぜんぶ触りつくした夕方が
    あつまって
    散る

    だれかの詩を読む
    赤い文字を記していく
    感情すら
    わたしが裁いて

    よりそわないまま
    会話をつづける一日のさかいめを失ったとき

    分厚い上着を羽織って
    カーテンを閉める手つきで
    ななめに
    雨が降りはじめて
    それを見ながら
    雨が降っていると
    おもった

    北海道・札幌
    三角みづ紀
  • 7月26日(日)

    雨が続いている

    西の山は
    雲に

    隠れている

    いつも

    隠れている
    連休の最後の日だった

    7月26日
    日曜日

    夜来の雨はやんだが
    また

    降っている

    散歩にも行けない
    居間のソファーにいる

    モコといる

    女は
    エアロビに出かけていった

    仏壇の

    盆飾りを片付けた
    仏間と居間に掃除機をかけた

    もう

    感染者数も
    死者数も

    数えない

    驟雨

    雨は突然
    降りはじめて降り続いて

    やんだ

    雨音に
    モコは震えていた

    震えるモコを抱いた
    あたたかい

    静岡・用宗
    さとう三千魚
  • 7月25日(土)

    いつ目を開けても 雨音の螺旋。
    長雨に吸い込まれて眠りに落ちる。
    今年の梅雨は5年分くらいの重さ。
    “ねむりねこ”が部屋から去らぬまま、
    連休の3日目も過ぎていく。

    「おいときましょうか」
    インターホンから優しい声がして
    咄嗟に「はい置き配で……」と返した。
    オキハイ、という言葉はまだ心もとない。
    玄関前にポツンと置かれたダンボールを開けると、
    カンロ飴の鮮やかなオレンジ色が目に飛び込んできた。
    モニターに映る若いお兄さんが運んできた夏の色彩。

    誕生日を迎えた私へ届く贈りもの。
    一年分のカンロ飴を敷き詰めたら
    栄養ドリンク、ハーブティーのセット、
    ハリネズミのぬいぐるみ。
    さっそく口の中で○を転がしながら
    「20代までに○○」という焦りを舐めとり、奥歯で削る。
    Amazonの箱の底からビニールを剥がす。
    ビニールは私の指に張りついて
    たちまち新しい皮膚にかわり呼吸をはじめた。

    ある劇場での“祝祭”のため、
    友人は「奈落」で暮らしはじめた。
    「奈落で暮らすことにした」と聞いたときは混乱した。
    舞台の地下空間をそう呼ぶことも
    人が暮らせるような、豊かな奈落があることも知らなかった。
    では、「ここ」が奈落である可能性もあるのか?

    私はしっかりめのマスクをつけて
    ダンボールの束を抱えて
    エレベーターで階下に降りていく。
    祝祭だ 祝祭だ
    雨はしきりに拍手している。
    透明なオリンピックが
    雨粒を華麗によけて幕を開ける。

    四月から通いはじめた病院で
    私はまだ医師のマスク姿しか知らない。
    医師も私の素顔を知らない。
    不安を押し隠すように なだめるように
    体温計を服の下に入れたこと。
    その不安な手つきを忘れずにいたい。
    片手にハリネズミを握って
    差し出せるのは、このぬくもりだけ。

    動き出せない お互いにHOUSE
    命じられた犬のように
    互いのテリトリーを出られない。
    「Go To」? 「Stay Home」?
    頭を撫で合う、それぞれの家の中で。
    交わることもなく
    濡れたベランダに立つこともなく。

    東京
    文月悠光
  • 7月24日(金)

    たまにそうなるのだけど、この数日間、ひたすらに眠くて眠たくてしかたがない。そもそも、普段から頭痛薬を手ばなすことができず、バファリンかイヴを毎日最低6錠は飲んでいる。しかもこう雨がつづくと痛みがなおさらひどく、頭痛薬を飲むと痛みはおさまるがぼーっとしてしまう。眠い。眠たい。コーヒーでバファリンを流し込む。まだ眠い。眠たい。眠たいんだ。こないだからグレタ・ガーウィグ関連の映画を順に見なおしている中で、グレタが俳優として出演してる、20th Century Womenを何年かぶりに見て、うとうとしながら見て、ホームパーティの食卓で、グレタがひとり、テーブルにつっぷして眠っている。アネット・ベニングがグレタのとなりの席の息子に命じてグレタを起こさせると、不機嫌なグレタは、いまmenstruatingだから眠たいの、という。アネットが、そんなことみんなの前でいうもんじゃない、とたしなめると、そういう考えは時代遅れよと(ここで描かれているのは1979年で)、みんなもっと口に出していうべきと、menstruation、あなたも云って、と、となりの15歳の少年に口にさせる、mens…truation……、そんなおびえたように云わないで、もっと普通に、menstruation、あなたも、と向いの席の黒人の青年にも云わせる、mens…truation、目が泳いでる、ちゃんとこっち見て云って、menstruation、はす向かいのおじさんにも、menstruation?、語尾を上げないで、menstruation、じゃ、みんな一緒に、menstruation、menstruation、わたしも、語学の勉強のように口にする、menstruation、menstruation、そのあと、エル・ファニングが自分の14歳の初体験について語りはじめる。それをいまにも机につっぷしそうになりながら聴くともなく聴いている。眠い。眠たい。眠たくて。頭痛薬を飲み込んですこしすると、錠剤が溶けていくように、視界がつかのま、白濁する。耳鳴りと雨音とが溶け合って、骨まですこし溶けていくような気がする。meditationしてるようなきもちになる。
    何日か前、コルトレーンの命日で、思い立ってコルトレーンの吹くMy Favorite Thingsを、1960年の同名のアルバムに入っている最初の録音のものから、new portのライブ盤、half noteのライブ盤、village vanguardのライブ盤、日本の厚生年金会館でのライブ盤、最後のolatunjiでのライブ盤…と順に聴いていってみる。meditationしてるようなきもちになる。
    それにしてもそうだ、京都いきたいなあ!
    20時に全国の120箇所でいっせいに花火が打ち上げられるという。今日はもともとオリンピックが始まる予定だった日とのこと。先日NHK BSプレミアムでやってた「建築王国物語」という番組で、オリンピックに向けて新しく建てられたいくつかの建築について、会期に間に合わせるために、職人たちが、いかに智恵を絞り、力を合わせて、未知の建築物の施工に取り組んだかについて描かれていて、選手だけでなく、こういったひとたちにとっても、どんなに残念なことだろう、とおもった。
    出来上がった新しい、誰もいない競技場の、建築家や職人が力を結集させて造った屋根を、花火がシルエットにして浮かび上がらせていた。
    花火の音かとおもったそれはタップダンスの靴音で、生のライブを見たのは一体いつぶりだったろう?そのタップダンスの、靴音はもとより、振動が伝わってくる、鼓膜がふるえる、皮膚がふるえる、その内側の臓器たちがふるえる。演者の息づかいや、それを見まもる観客の呼吸など(10名ほどの少人数に抑えられているのだが)、全身で感じる。みんな生きてここにいる。これがライブだったなあ、などと圧倒されてぼんやりしたあたまでおもう。タップダンサーの米澤一平さんとコンテンポラリーダンサーの水村里奈さんの二人によるライブで、米澤さんが四谷三丁目の綜合藝術茶房喫茶茶会記というお店で数年にわたって、もう六十回以上継続されているプロジェクトで、毎回いろいろなジャンルのゲスト一人とコラボレーション公演をしている。その、しばし中断していた、久し振りに再開された回だった。水村さんの手の足の指先が微動している。線香花火みたいに。その細かい動きの震動が空気を細かくふるわせている。しばらくダンス作品なども映像でしか見られなかったので、生のライブだと自分で見たいところにフォーカスできること、しかし、米澤さんと水村さんが離れた場所でおのおの踊っていると、両方を同時に見ることはできない。また、そもそも坐った席の位置によって全然見え方が違う。すべてを見切ることができない。しかもこれらはたった一度しか起こらない。ぜんぜん見切ることができない。そのもどかしさがライブなのだった。途中、撮り下ろしの映像作品も上映される。米澤さんがインタビューをして水村さんが答えている。その答えの声だけをトリミングしてつなげた音声が詩の朗読のようで、それを聴きながら、映像のなかで、街中を踊りながら歩く水村さんを見ている。それを撮影しているのは米澤さんで、はんたいに水村さんが撮影した、タップダンサーの視点を想像して撮影したという映像作品も流れる。まちにあふれるさまざまなモノの音や声が聴こえてくる。
    その翌週だったか、米澤さんと中目黒の居酒屋の、角の窓辺の席に居て、すぐそこを目黒川が流れていて、全開にした窓からはいってくる川風が心地よい。来月の公演に向けていろいろな話をする。席は満席で、中目黒の名物だというレモンサワーを、米澤さんと幾杯も飲みかわしながら、わたしの終電の時間まで打ち合わせというかお喋りというかをしていたのだった。途中、雨が降ってきて、雨のにおいが、なつかしい夏のあの感じがした。窓をはんぶんほど閉じる。もうだいぶ前、去年の12月か今年の1月くらいだったか、この話をいただいたあと、とりいそぎ公演のタイトルを、インスピレーションで、と云われて、とっさに、手元にあったアンリ・ミショーの詩集から、その中の一篇のタイトルから引いて、「寝台の中のスポーツマン」としたのだった。
    そのときにはまだオリンピックが中止になるなんて話はまったく出てなくて、しかしこうなってしまうと、このタイトルをミショーから引っぱってきた当初とはまた全然違った響き方をしてしまうのだった。
    ひさしぶりに居酒屋などに行って、名物のレモンサワーがおいしく、米澤さんの話がおもしろく、ついつい飲み過ぎてしまう。
    雨が頭痛薬を溶かしてあたまの窓ガラスを白い水滴が流れていく。
    眠たいのになかなか眠れず、眠ってもじきに目が覚めてしまい、しかしなかなか目覚めることができない。
    いつも見ているNHKの手話の番組で、耳の聴こえないひとは寝言のかわりに寝手話をする、という話がでてきて、そういえば私も寝手話をしているひとを見たことがあったし、私自身も寝手話をしたことがあったのだった。
    手話を読み取るとき、また手話をつかわないひとに対しても、口のかたちを読みとっているひとが多いので、こうみんながマスクをしていては、みんな不便しているだろうなとおもった。
    それで、いま調べて見たら、やはり口もとを読み取れるように、透明マスクというものがすでに考案されているのだった。
    いっそ、みんな透明マスクにすればいいのにね。
    不透明である普通のマスクで、顔の半分が隠されてしまっていては、表情が読み取れなくて、ほとんどのひとたちがみなそういう状態でまちにいることは、それは自覚できている以上にどこか悪夢じみていて、ひとの表情というものが、すくなくともその半分が、世界に欠落している。
    送られてきたハガキの文面の半分以上が、雨か何かで流れてしまい、欠落している、その欠けてしまった部分の文面をああでもない、こうでもないと、何十枚も記したものが並べられている、installationで、その作品のもとになった、文面が半分欠落したハガキのコピーが展覧会のDMにもなっている、藤村豪さんの個展「誰かの主題歌を歌うときに」(KANA KAWANISHI GARELLY)を見た。金曜日に行って、一週間会期が延長されたので、翌週の最終日の土曜日にもう一回訪れた。奥の映像作品《同じ質問を繰り返す/同じことを繰り返し思い出す(どうして離婚したの?)》では、友人が離婚した理由を、6年間にもわたって断続的に、なんども質問し、なんども語り直してもらう。入口の映像作品《左手が左手を作る(左のための再演)》では、左手の指が短く生まれてきた、息子さんの左手を、自分の利き手でない左手で、手さぐりで、粘土で再現しようとする(藤村さん自身は、「再演」という言葉をつかっている)。つくる手とつくられる手とが重なり、対話をしているように見える。それは距離を埋めようとしているようにも、他者とのあいだにどうしようもなく欠けているもの、あるいは欠けてしまうものを、治癒し、あるいはべつのもので補おうとするこころみのようにも見える。すくなくとも、それをぼんやりと見ているわたしのこころのやわらかいところに、触れてくるものがある。やがて、ふいに息子さんが帰ってきて、「色ぬったほうがいいよ」というようなことを藤村さんに云う。
    それら映像自体はオートリピートでくりかえされるのだけど、はじめに見にいったときにはギャラリーの河西さんと見て、つぎに行ったときには藤村さんと河西さんと河西さんが抱っこしている河西さんの息子さんと見たのだった。おなじ映像ですら、おなじように見ることは二度とできないのだった。
    いま、ここまで書いて、藤村さんの個展についても米澤さんと水村さんのライブについても、全然うまくも、じゅうぶんにも、語れていないもどかしさがあるのだけど、藤村さんの作品のように、また別のとき、別の機会に、何度でも語り直せばいいじゃないか、やり直せばいいじゃないか、「再演」すれば、というふうに、励まされてもいるのだった。
    そうおもいつくと、すこし安心して、わたしは今日のいっせいの花火を見ることができなかったので、寝台によこたわって、寝手話のように、花火の手話を、いくつも打ちあげてみる。
    記憶の暗やみを、手話の花火が、これまでのわたしの花火にまつわるさまざまのことを照らしている。手が覚えてもいる。
    ね、なにいろの花火がすき?
    わたしは白い花火がすきなんだ。
    いまおっこちた線香花火を逆向きに再生させることも、わたしの、わたしたちの手はできる。
    できるんだよ

    東京・深川
    カニエ・ナハ
  • 7月23日(木)

    なんの気なしに
    手をのばした青葉の裏がわで
    みっしりと、
    おどろくほど規則的に赤茶の斑点がならび、
    覗きこめば
    どの葉も、どの葉も、どの葉も、

    そのとき四歳だった
    熱がでて、寝かされていた
    ふと起きて、母の鏡台のまえに立てば、
    むごい斑点が
    顔にも、首にも、手足にも、
    口紅をぬれば、おそろしくはみ出したっけ

    泣いても、泣いても、泣いても、
    見てはいけないものは消えなかった

    この怖さはなんだろうか
    この感染症の怖さはなんだろうか
    と 問いかけて、
    浮かんできたのだ、こころのこのマダラ模様が

    ほんとうは、見えているんじゃないか、
    ウィルスを
    赤茶色のその斑点を
    突風が運んできた瞬間だって

    見えているんだよ、
    だから
    怖いのさ

    泣いても、泣いても、泣いても、
    消えなくて

    顔にも、首にも、手足にも、

    神奈川・横浜
    新井高子
  • 7月22日(水)

    感染者数がふたたび増え
    さまざまな予定や思いがずれはじめた街で
    ずれた時間と時間のあいだに
    映画館に入った

    わたしの席は一番後ろの列の右端
    前の列の左端に
    マスクをつけた白髪のひとが座った
    わたしたちの目の前には誰もいない

    観客はふたりだけ、の上映は
    学生のとき以来だ
    そのときは
    途中から友人は眠ったため
    一本の映画を最後まで観たのは
    わたしと映写機のそばにいるひとだけだった

    上映のあと 部屋のあかりをつけたひとは
    つい寝てしまった、と笑う友人に
    ときどき眠りながら観るのも楽しいものです、と言った

    今日の
    前列の白髪のひとも
    少しうつむいて
    ひそかに
    眠っているのかもしれない

    とまる と すすむ をくりかえし
    またふりだしにもどっては すすむ
    そんな歩行にも慣れてきた
    と思っていた

    けれど 数日前に
    予定がまだ立てられないことをあるひとに伝えたとき
    いいよ あわてないで
    だって わたしたち 疲れているよね
    とメールが返ってきた

    あなたでもなく
    わたしでもなく
    わたしたち
    そう
    わたしたち 疲れているんだ

    だから
    マスクをつけたまま
    椅子に深くこしかけて
    眠ってもいい

    いま
    スクリーンの前の
    やさしい暗がりのなかで眠るのは
    あなたでもなく
    わたしでもなく
    わたしたち

    せめて
    まだ降りつづく
    雨と雨のあいだ だけでも

    東京・吉祥寺
    峯澤典子
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