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新型コロナウイルスの感染拡大により、街の様子がすっかり変わりました。
多くの人々が、せいぜい悪性のかぜみたいなものだと思っていたのはほんのひと月前で、社会の空気の変化に驚いています。
未曾有の事態なので様々な出来事は記録されていきますが、こういう時こそ、人々の感情の変化の様子をしっかり留めておくべきではないかと思いました。
「空気の日記」は、詩人による輪番制のweb日記です。その日の出来事とその時の感情を簡潔に記していく、いわば「空気の叙事詩」。
2020年4月1日より、1年間のプロジェクトとしてスタートします。
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oblaat(オブラート)は、詩を本の外にひらいていく詩人の集まりです。
http://oblaat.jp/
「空気の日記」執筆者
- 新井高子
- 石松佳
- 覚和歌子
- 柏木麻里
- カニエ・ナハ
- 川口晴美
- 河野聡子
- さとう三千魚
- 白井明大
- 鈴木一平
- ジョーダン・A. Y.・スミス
- 田中庸介
- 田野倉康一
- 永方佑樹
- 藤倉めぐみ
- 文月悠光
- 松田朋春
- 三角みづ紀
- 峯澤典子
- 宮尾節子
- 山田亮太
- 四元康祐
- 渡辺玄英
新井高子、石松佳、覚和歌子、柏木麻里、カニエ・ナハ、川口晴美、河野聡子、さとう三千魚、白井明大、鈴木一平、ジョーダン・A. Y.・スミス、田中庸介、田野倉康一、永方佑樹、藤倉めぐみ、文月悠光、松田朋春、三角みづ紀、峯澤典子、宮尾節子、山田亮太、四元康祐、渡辺玄英
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1月12日(火)
今日
東京に初雪が降ったらしいけれど
わたしは見ていないおとといの日曜日はわたしの誕生日で
昨日の祝日は成人の日だった
コロナ感染者が急増している状況で成人式を開くのか、とか
出席して大丈夫なのか欠席すべきではないか、とか
せっかくの晴着を着る機会が、とか
論争もあったみたいだけど今朝の新聞にはマスクで着物姿の女の子たち
おめでとう
39年前のわたしは成人式に出席するという発想がなかったから
少し不思議な気持ちです
役所が主催する式におとなしく招かれて並んで祝われるなんて
従順な工業製品として完成させられるみたいでいやだと思っていました
着物を纏うのは古くさい伝統に幾重にも体を縛られることそのもので
息苦しいと勝手に思って憧れたことは一度もありませんでした
遠いあの日
ふつうに大学のレポートのことを考えながら
午後の光射す西武線にゆられていた青くさいわたしを思い出します
――もしもあそこから何かをやり直したら
たどり着く今はこの今とは違っている?そのわたしは今日の初雪を見るだろうか
おそろしい量の雪が積もっている映像が
ここ何日かSNSを開くたびたくさん流れてくる
子どもの頃わたしも何度かそんな雪を見た
福井県小浜市で
朝起きると父が屋根の雪下ろしをしていて
道の両側に除けられた雪が積みあげられ白い壁のように迫っていました
学校へ向かうわたしは眩しくて寒くて何も考えていませんでした
――あそこまで戻って少しずつすべてをやり直した方がいい?
この今はあまりにも間違っている気がするから初雪を見たかったわけじゃない
感染者数が1000人単位で増えていくのなんて見たくなかった
間違っても謝らず責任を取らない政治家たちの跳梁跋扈も見たくなかった
言葉を雑に扱って歪ませる大人たちを見たくなかった
医療を受けられないまま死んでいく人を見たくない
――どこからやり直せばいいのだろう
1年あったのにほとんど何も対策されていないみたいだから
もっとずっと遡らないとたぶん無理だし
時間は巻き戻せないし
歴史改変はやっちゃいけない
知ってる
たとえループできたって今日のわたしは初雪を見ない
おめでとう
59歳のわたし
ここは緩やかな地獄です
いつか見たかったものを見るためにここから
やり直していけますように東京・神宮前
川口晴美 -
1月11日(月)
花がなくなると
葉が赤くなって葉っぱが散ると
赤い実をつけてきびしいなかにも
少しずつでも
うれしいを絶やさない草木の
自然に学ぶことは
多いうつむいて歩く
冬枯れの小道にぽつぽつ
ともる
藪柑子の赤い実ちらちら
のぞく
龍の髭の青い実あ
と見つけた瞬間の
我を忘れる、たのしさひと
と会わないほうが
いいから、できるだけ
ひとの道を避けて、歩くあのひと
と会わないほうが
いいから、できるだけ
恋の道も避けて? 歩くこの道は
だれの道だろう一都三県に
二度目の緊急事態宣言が出た
東京の感染者は3日連続2000人を超えて
埼玉も500オーバーになったときどき吐きそうになる
はねあがる数字の向こうに人がいる
そのことに想像が間に合わなくて涙とか嘔吐は
きっと
からだの緊急事態宣言なのだろう緊急事態にはことばも間に合わなくて
白いマスクに隠れて、おとなしく
春を待っている*
最多を更新する感染拡大・寒波による積雪被害と
重苦しいニュースが繰り広げられるテレビで
ひとところ、春の光が射すように
コロナ対策に成功している国として台湾
のことが紹介されていた最年少で台湾初のトランスジェンダーの大臣
オードリー・タン氏の
ほっこりした笑顔を、画面いっぱいに広げてニュースキャスターにも笑顔は感染して
「台湾の政治家のことばには
血が通っている」と感想をのべた日本と台湾のちがいは
なんだろう、と考えたわたしを助けようとしたひと
と
あなたを助けようとしたひと
の
差ではないかしらそれとも、あなたの中に
わたしを見出せるひとと
そうでない、ひとの差かなそうそう
タン氏が講演の最後に「わたしのだいすきな詩」として
紹介されていたレナード・コーエンのことばを
わたしの
新年のあいさつにかえて、ここに「すべてのものには割れ目がある
そこから光が差す」分断をつなぐのは
ことばのひかり*
今年もよろしく。
埼玉・飯能
宮尾節子 -
1月10日(日)
昼まで月曜締め切りの原稿と、三野新・いぬのせなか座写真/演劇プロジェクト「クバへ/クバから」の座談会の手直し。昨日の夜に久しぶりに偏頭痛を起こした。前兆があったので薬を探したものの、見つからなかったので近所の薬局に行った。飲みかけのコーヒーで薬を飲んで、部屋の電気を消す。じっとしていると、会社の先輩から仕事の指示が入る。作業を終えて、原稿も手直しもせずにそのまま寝た。
洗濯と昼食(富士そば・ビール・日本酒)。洗い終えて、体で乾かす。高校の同期から凧あげに誘われて、三鷹へ。三鷹SCOOLのビルの1階にあるおもちゃ屋でポケモンの凧を購入。近くの居酒屋で酒を飲む。前に行った武蔵野の森公園では凧あげが禁止されていたので、ワインとスナック菓子を買ってバスに乗り、武蔵野中央公園へ。凧をあげている子どもたちが何人かいる。凧を持って全力で走り、呼吸器が破壊される。ワインを飲んでいるうちに頭が痛くなってくる。
夕方には解散し、高田馬場へ。本屋で文芸誌を立ち読みしていると、隣にいた二人組(?)が、――来月の特集マーサ・ナカムラじゃん、という。驚いてふり向くと、今月の現代詩手帖を読んでいた。月曜締め切りの原稿を思い出して、暗い気持ちになる。夜に、イギリスに行ったなまけとMさんの二人と電話する。遅れて山本が参加。なまけは家でひたすら料理をつくっているらしい。向こうの時間は、午前10時を回ったところ。昨日は在留カードを取りに行った帰りに酒を買って年齢確認をされたという。昔から未成年に見られることが多かったけれど、29歳にもなって確認が入るとはおもわなかった。
――(作者)どこに住んでるの?
――(なまけ)ロンドンを馬場だとしたら、三鷹みたいなところ。
――(作者)マジかよ!
酒を買いに行って戻ると、なまけのうしろで、Mさんが椅子の上に立ってサックスを吹いていた。音量が大きすぎてなまけの声が聞こえない。向こうでも気になったらしく、しばらくしてフルートを吹き始めた。どちらもMさんの持ち物で、東京の部屋にサックスを置いて先にイギリスに行った。年末に羽田空港までなまけを見送りに行ったとき、なまけは荷物といっしょにサックスを持っていて、明らかに海外公演に行くサックス奏者にしか見えなかった。搭乗便のクルーにもサックスを持った男がいることが事前に共有されたらしく、ほかの乗客よりも優先して飛行機に乗せてもらって、――ふだんはどこで活動されているんですか、と聞かれたらしい。東京・高田馬場
鈴木一平 -
1月9日(土)
10月18日のメモに
「悲観には祈りがあり 楽観には黙殺がある」
と書いてあった
もう思い出しにくい
go toキャンペーンは大盛況で
人と会うにも気楽さがあった年明けからあっけなく陽性者2000人中盤
2021年がどんな年になるかを誰もが理解したトランプがけしかけたとされる議会への乱入は
何度聴いても驚きがある
警官1名もなくなっていて死亡は5名となった
今日、トランプはTwitterから永久追放された
他方、すべて謀略だとしてこれを擁護する声を
知り合いがSNSであげている
愛と自由と世界平和のために勇気をもってコロナから回復した医師が
病状急変の恐怖と医療現場の逼迫を語り
また別の医師は
データを背景にコロナへの社会の過剰反応と
医療のミスマッチを説いている緊急事態宣言のテロップはNHKだけ
日経平均は発熱したように上がり続けている
責任を問われる立場の人が危機を叫ぶが
STAY HOMEという言葉は使われなくなった
もう家に閉じこもっていることはできないのではないか緊急事態宣言の延長と東京五輪の断念が伝えられるころ
社会のあちこちで諦めが解禁されるだろう
その時の空気は何色だろう瞼を押さえたときに現れる
明暗の幾何学模様のように
地と図が入れ替わり続けている
たえまなく
醒めない夢のよう
黙殺はもはや悲観のなかにあり
楽観は祈りの産物東京・世田谷
松田朋春 -
1月8日(金)
TOLTA『新しい手洗いのために』(2020年11月22日発行)の特設サイト
https://spark.adobe.com/page/Pga8Tqgk03Ajt/
記載の文章(2020年11月記)に修正と追記を施す。新しい手洗いのために
2020年1月以来、世界史に残る全人類的出来事となった新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは私たちの生活を大きく変えました。2020年4月から5月の「緊急事態宣言」の直前から、私たちは仕事や生活のありかたを変えざるをえなくなり、今ではこの感染症に適応した「新しい生活」を呼びかける言葉があちこちに掲示されるようになっています。
移動の自粛、在宅ワークの推進、三密を避ける環境をつくる、大勢が密集する場所ではできるだけ話をしない、大声を出さない。不特定多数の人に会う時はマスクをつけ、触ったものは消毒をする。感染症に対応するためのさまざまな方策がとられると同時に、日々、経済的・文化的な影響が積み重なっていきます。音楽フェスティバルや演劇、芸術祭、同人誌即売会、スポーツイベントなど、人と人が直接顔をあわせ、空間を共有することが前提となる祝祭が長期にわたり中止や延期となり、再開されても以前と同じようにはいかない。家の中からウェブの画面を通じて世界と向きあう時間がいやおうなく増えていく。全体的な変化(外出の際のマスクの装着といったこと)が、個人のレベルにおける変化(トイレットペーパーの数を気にするといった小さなことから、失業などで収入や身分を失うといった大きなことまで)と平行して起きていく。
これらの変化は同時に、2020年までに「できあがっていた」日本社会のさまざまな仕組みを目に見える形であらわにしたように思います。
私たちの暮らし――会社や学校や家庭や趣味の暮らし、そこにはもともとうまく機能していないことがいくつもあります。逆にとてもいい感じに働いて、私たちを豊かに、幸福な気持ちにさせていることもあります。生きるというのは、多かれ少なかれ、自分がおかれた環境に適応し慣れてしまう、ということです。豊かさにも貧しさにも便利さにも不便さにも私たちはすぐに適応し、自分がどんな仕組みによって生きているのか、生かされているのかに鈍感になります。
ところが「新しい感染症」は良くも悪くもこのような従来の仕組みを日々の生活で実感させるものでした。インターネットを通じたコミュニケーションや情報共有はこの感染症の影響で加速したとはいえ、私たちはまだ、新型コロナウイルス感染症によって生まれた「新しい社会」に適応できていません。
2021年1月、政治家の出席する会食には制限が加えられることが検討されましたが、政治家は政治家のあいだではルールを決められないと結論を出しました。会食を制限するルールを決めるなど、たとえこの感染症で急死した現職議員がいたとしても、できるわけがない。政治家には新しい生活様式など不可能だ。この社会では、政治家の判断する、人々の生活をまもるためのもっとも重要な決定は、夜子供のそばにいる父親や母親、ダブルワークで一日中働いている人々、介護のために家から離れられない人々が、参加することはおろか見ることも聴くこともできない、閉ざされた「夜の会食」で行われているのだから。夜の会食ができなくなれば、政治家は政治家の本分を達成できない。政治家は夜に生きる。政治家はけっして感染症にかからない。リーダーシップ! リーダーシップ!
さて、私たちはこの状況のなかで、誰も否定しない本をつくりたいと思いました。
肩こりにはシップを貼るとよい。感染症対策には手洗いをするとよい。感染症および公衆衛生対策の基本は「接触の管理」にあります。そのための基本的な方法は「手を洗うこと」です。新型コロナウイルスCovid-19においては飛沫感染を防ぐためのマスクが重要とされていますが、はっきり目にみえる一方で顔の大部分を隠してしまうマスクの装着は、文化や体質によってなかなか受け入れられないこともあります。一方で、手洗いはほとんどの場合、目にみえません。手洗いは他人にアピールする行為ではなく、自分自身で完結する行動です。
多くの場合視覚優位な生き物である人間は、とかく、目に見えるものから問題にしがちです。しかし私たちの目は顕微鏡ではない。多くの場合洗った手も洗っていない手も私たちには区別がつきません。だからこそ私たちは、手洗いについて考えることにしました。
『新しい手洗いのために』は、手を洗うという行為についての叙事詩です。手を洗うためのハウツーであり、手を洗うことの歴史であり、手を洗うことの物語です。東京・つつじが丘
河野聡子 -
1月7日(木)
もうすぐ雪が降る
わたしの
半分は嘘で 他の二割は信じられない
そして残りは
自分にも(わからない ことばかりそれを聞く あなたにとって
わたしは あたることのない天気予報
声は 三分後には 忘れられている(だろう
未来はいつも 雪が降るか 降らないかに 分かれていき
あとは 震えて 遠い夕陽や 無機質なLEDの
光に(かくれてしまう
もうすぐ雪が降る北の国では
いま 猛烈に雪が降っている
という 知らない人の声
けれどここでは そんなことは(わからない
わかっているのは
もうすぐ雪が降る と呟いているわたしが
もうすぐ降る雪を まっているのか まっていないのか
と いうことだけ(うそだけどもうすぐ雪が降る
マスクで顔を半分隠して
肺からの 呼気で 声帯を震わせている
(五秒に一二度 まばたきして
自分の声の 波長がいつも よそよそしくて
だからもう一度 ちいさく呟いて
もうすぐ雪が降る の間の
不連続の間にだけ
わたしはいる頑張れないよね これ以上
ずっと窮地を 耐えてきたのに
逃げたくても逃げる所が 地球上にはないのだから
やっぱり通過する 列車に引き寄せられるのって 怖いよね
死ぬつもり なんかないのに 引き寄せられて
勝手にからだが 前にすすんでいくのもうすぐ雪が降る
だれも聞く人はいない
もうすぐ雪だけど福岡市・薬院
渡辺玄英 -
1月6日(水)
月日を病に射抜かれた2020年
希望の2021年へと
人々が座を移す年末年始に
東京では感染者が
1000人を幾度も超えて
今日は過去最高の1591人
だから明日
2度目の緊急事態宣言が出る私たちは知っている
きっとふたたび
あらゆる言語の強権が
私たちの不屈を
手ひどく挫いてゆくのだろう
剪定されてゆく
とぼしいラングの中で
私たちはふたたび無口に還ってゆくのだろう
そうしていつしか諦めを
うつくしいと詐称するのだろう(幾度も見た
それらは波のように
とおいところからやってきて
冷笑に出迎えられては
音もなく姿を崩していった)私たちはこれからも
生き続けなければならない
生存のために
家にこもらなければならない
だけど私たちは
労働しなくてはならない
家賃を払うため
食費をまかなうために
明日も明後日も来週も
ひそひそ外に出なくてはならない神奈川県片瀬海岸・江の島
永方佑樹
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