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連載:One day in New York

2020.06.16

知らないということ


ニューヨークと東京でアートに関わる活動をする戸塚憲太郎が、ニューヨークの日常で感じること、手がけるプロジェクト、その他諸々を不定期にお伝えします。

6月最初の週末。週明けの6月8日からいよいよニューヨーク市でも80日に及んだ外出制限が段階的に解除され、経済再開の第一フェーズ(製造業、農業、建設業などから順次再開)に入ろうという時、私は高校生の時に夢中になった授業を思い出していた。

札幌で高校生活を送っていた私は、倫理という特に受験にも関係ない地味な授業を毎週楽しみにしていた。担当教諭は仏頂面でクスリとも笑わない初老の男性。その先生が淡々とソクラテスやプラトンの話をするのでもちろん人気もない。しかし私は遠い昔に思想家や哲学者と呼ばれる人たちがなぜ答えのないような問いに人生を捧げたのか、さらにその問いが長い間語り継がれ、今も考え続けられていることに不思議な魅力を感じていた。

その中でとても印象的だったのは「私が知っているのは、私は何も知らないということ」というソクラテスの言葉だ。知らないことを知っているというのは逆説的であり、矛盾も孕むなんとも不思議な思考のループのようだった。私は2020年6月最初の週末、ブルックリンでこの言葉を考えていた。今までの価値観や常識を覆す出来事が起きている最中、また別の出来事をきっかけにその輪が波紋のように広がっている。一体何が起きているのか、情報やイメージを貪る中で(それこそ高校で習ったような)様々な言葉や歴史に出会うが、それは途方もない深さを持っていることに改めて気づく。

多くの情報や知識を得てもなお「物事を完全に理解すること、知ることはできない」と言えば当然のように聞こえるが、果たしてそれを受け入れて日々を生きているだろうか。早いスピードで変化する日常や、複雑に絡んだ文化や歴史の全てを知ることはできないという直接的な解釈はもちろん、かつて(数百年前であれ数日前であれ)は普通だったことが、今は到底受け入れられない(または受け入れられる)というような「時代の変化」としても表れる。技術の発達により多くの人が大量の知識や情報を瞬時に共有できるようになり、その変化のスピードはかつてないほど早くなっている。

ニューヨークに住んでいると、この街の魅力について聞かれることが多い。いつも答えるのは「都市の新陳代謝が活発である」ということ。今回もニューヨークはまた新たな姿を見せようとしている。コロナ以前のニューヨークではなく、クオモ州知事の言葉を借りれば「ただ再建するのではなく、より善く再建する」、更新版のニューヨーク。

日々の出来事というより、歴史的瞬間に立ち会っているといっても過言ではないここ数週間、「私が知っているのは、私は何も知らないということ」を改めて考えながら、変化についていくことに忙しい。

(写真は全てブルックリンで行われた黒人差別問題に対する平和的なファミリー・プロテストの様子。小さな子連れの家族が目立つ。6月8日筆者撮影)

PROFILE

  • 戸塚憲太郎

    1974年、札幌生まれ。武蔵野美大卒業後、彫刻家を目指し渡米。2004年、アッシュ・ペー・フランス入社。同社が運営するクリエイティブイベント「rooms」のディレクターを経て、2007年表参道にhpgrp GALLERY TOKYOを開設。若手アーティストの為の新たな市場を作るべく、独自のアートフェアや商業施設でのアートプロジェクトなどを多数プロデュース。現在はニューヨークを拠点に、展覧会キュレーションやアートプロジェクトのディレクションなどを手がける。

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