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DIALOGUE

2021.01.05

向田和子 × 前田エマ

  • 対談:向田和子・前田エマ
  • テキスト:上條桂子
  • 撮影:大町晃平
  • 衣装協力:ワンピース FOR flowers of romance

数々の名作テレビドラマを世に送り出し、持ち前の好奇心と美的センスを発揮したエッセイで知られる向田邦子さん。1981年に飛行機事故で亡くなり、2021年で40年。1月にはスパイラルで向田邦子没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」が開催されます。邦子さんのエッセイから多大な影響を受けたという前田エマさんが、邦子さんの末妹であり、一緒に小料理屋「ままや」を営み、展覧会の監修を務める和子さんと対談しました。和やかな雰囲気のなか、40年以上の時を経て、色褪せない向田邦子さんの魅力を語りました。

向田邦子没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」

──向田邦子さんの作品はもちろんたくさんの人が知っていると思いますが、前田エマさんの世代の方は、テレビドラマやご本人の姿というよりもお亡くなりになった後に、エッセイや小説、雑誌などで取り上げられているのを読んで邦子さんのことを知っています。今回は、生前の邦子さんをよくご存知の和子さんにお話しをお伺いできるいい機会なので、いろいろお伺いできればと思います。

向田:知らないことは知らないって言いますから、素朴な質問でも何でも聞いてくださいね。

前田:ありがとうございます。和子さんのスカーフ、とても素敵ですね。ブルーが今日のお洋服に映えています。これは何の柄なんですか?

向田:これは姉からもらったものだと思います。今日は、写真写りのいいものを着てきてくださいって言われたからしてきたの。色がきれいでしょう。全部猫の柄が描いてあるんですよ。

前田:とっても可愛いです! 邦子さん、猫がお好きでしたもんね。これは山城隆一先生の絵でしょうか。サインにそう描いてありますね、素敵です。

向田:そうそう。その方の絵本の出版の際のものだったと聞いています。あなた、目のつけどころが早いなあ。

前田:私が向田邦子さんの作品と出会ったのは、大学時代にウィーンに留学している時に読んだエッセイでした。私はテレビドラマはまったく見ていない世代です。友人が日本から、何冊かエッセイ本を送ってきてくれた中のひとつが『夜中の薔薇』でした。黒い水着の話──勤めていた会社のお給料3ヶ月分をつぎ込んで購入してしまったという──を読んで、なんて素敵なんだ、いつか私も黒い水着を買おう、と思いました。でも、当時私は泳げなかったんです。なので、まずは泳げるようにならないとと思って水泳教室に通い始めました。邦子さんが3ヶ月貧乏生活をして水着を手に入れたなら、私は泳げるようになったら手に入れよう、と思って。

向田:えー! 本当ですか? エッセイを読んだというのは些細なことだったと思いますが、それを自分の生活の中に取り入れて、水泳教室まで行ったなんて。初めてそういう方にお会いしました。邦子が聞いたらすごく喜ぶことだと思います。姉は運動神経がよく泳ぎも得意でした。最初に水着を着た時は、ものがない時代でしたので、親の古くなった浴衣を自分で染めて、仕立て直して、水着を作っていました。それで泳いだんですが、染料が布に定着するのって時間がかかるんですよね。姉はせっかちでしたから、たまらなくなって泳いでしまったら、真っ青になってしまった(笑)。そんな恥ずかしい思い出があったので、水着を買う時には体の線が美しく見えるものをという気持ちが働いて、お給料をもらうようになったら買うって決めていたんだと思います。

前田:邦子さんはご自身でもお洋服をたくさん作られていましたよね。私も影響を受けて、お裁縫教室に通ったんです。

向田:えー、感動しちゃいますね。

前田:皇室のお洋服なども作っている方がいて、その人のところに少しだけ通っていたんです。邦子さんの本を読んで、お洋服一着にしても、もの選びにしても、自分の体と生活に合った、一番自分が心地よく暮らしていけることを考えていらしたということを知って。そういうところにすごく憧れていました。なので今日は、和子さんにお会いできてとってもうれしいんです。

向田:すごいですね。いまの時代、何でも手に入るでしょう。なのに自分で作ろうと思うなんて。姉は人に習うっていうことができなかったので、全部自分で工夫して作っていたんです。私が小さな頃から着ていた服は、すべて姉がつくったものなんですよ。父の古くなったワイシャツとか、レインコートとかを使って、私にいろいろ作ってくれました。いまだったら本屋さんに行けば、型紙もあるし、ある程度のものは手に入りますでしょう? でも当時は何もなかったから、全部自分で考えて作っていたんですね。基礎はありませんでしたが、洋服をほどいてみると、脇の部分にマチがとられていたりして、とっても動きやすい。人の体の動きなどをよく考えて作っていました。どうすれば心地よい服が作れるのか、きっと面白がってアイデアを考えていたのだと思います。でも、そのことをこんなにも年齢の違うお嬢さんに、時を超えて伝わっていたなんて! とても感動しています。お目にかかれて幸せです。

前田:ありがとうございます。邦子さんの「手袋を探す」という話に、気に入った手袋が見つかるまでどんなに寒くても耐えるっていう話がありましたが、私もそれと似た感覚を持っているような気がして。気に入ったものしか絶対に身に付けたくないし、ケチなのでちょっとでも妥協したものに一円もお金を払いたくないんです。

向田:それはケチとは言わないんですよ。自分の価値観に似合わないとつまらない、無駄だしもったいないですよね。そういうことだと思います。

前田:邦子さんがご自身のお洋服を作られていたのは知っていましたが、和子さんのお洋服も作られていたなんて、初めて知りました。どんなものを作っていらしたのでしょうか?

向田:すべてです。中学高校の制服はセーラー服だったんですが、それも卒業するまで全部作ったし、オーバーも作ってくれましたよ。どこの家もそうだと思いますが、うちもそこまで裕福ではありませんでしたし、姉は親に迷惑をかけたくないって思ったんじゃないでしょうか。洋服は全部手作りでした。新しい生地で作ることもありますけど、それがない時は親が着ていた洋服を使って。父のワイシャツは、着ていると襟元が黒くなってしまいますが、背中とかは使えますでしょ。それでブラウスを作ったりしてね。ピンタックを入れるのが好きで、何でもピンタックを入れるんです。世界で一つしかない一点ものですからね、私は得意になって着ていました。

前田:そうやって自分がうれしくなることを、人にすることがすごくお好きだったんでしょうね。

向田:私は作ってくれなんて頼んでいるわけじゃないですよっていうと言葉は悪いですが(笑)。おせっかいなんですよね。あとは長女だから。そういうところがあるのかもわかりません。

前田:私も長女で、7つ離れた弟がいるんです。なので弟のためには何でもしてあげたくなっちゃいます。授業参観にも運動会にも行きましたし、弟が髪を染めたいと言ったら、友だちの美容室を紹介してお金も渡しちゃうし、両親が仕事が忙しかったのでご飯も作りました。毎回弟にご飯を作るたびに「これって味付けはどうした?」と聞かれるんです。厳しいんですよ、なかなか(笑)。弟の反応が毎回鋭くて、今回こそは褒められたいな、と思いながらご飯を作っているんですけど。和子さんが「ままや」(編注:向田邦子さんと和子さんが赤坂に開いた小料理屋。和子さんはおかみとして店頭に立ち、料理を振る舞っていた)をされていたときは、どうだったんですか? お互いアドバイスし合ったり、姉妹で切磋琢磨されていたり、そういうエピソードはありますか?

向田:切磋琢磨なんていうことは全然ないんですよ。姉は姉の道をどうぞ行ってくださいという感じで、私と姉は性格が全然違ったんです。きっと同じものを見て、感じていたんだと思いますが、姉は行動に起こすタイプで、私はぼーっとしていて実行しないタイプ。いま考えると、それがよかったのかもしれません。一緒にご飯を食べに行くでしょう、すると姉から「これ、和子ちゃん作れるよね?」って言われるんです。しばらく作らないでいると、突然電話がかかってきて「こないだの、あれ作った? 評判はどうだった?」と聞かれるんです。それから慌てて作ったりして、油断できないですよね(笑)。そんなことを繰り返していたので、ご飯を食べる時に、全部を再現はしませんが、どんな調味料が入っているのかなっていうことを考える習慣がつきました。

前田:邦子さんと和子さんの関係性は、我が家とは逆かもしれません。私はのんきなんですが、弟の方が年上みたいに私のお尻を叩いてくるんです。7歳も年下なんですけどね。

向田:弟さんはお姉さんを愛しているんだけど、ちょっと面白がってるところもあるかもしれませんね。私も姉が優れものだと思いながらも、おっちょこちょいだったりとかっていう欠点をいじりたくなるっていうところはありますね。そういうところがあって。それもお互いにあうんの呼吸で楽しんでいたのかもわからないなって、いまは思います。

前田:邦子さんは、いろんな人にご飯を振る舞っているエピソードがよく出てきますよね。私の家にも友だちがよく遊びに来てご飯を食べて帰ります。私は全然料理が好きでもうまくもないのですが、みんな地方から出てきて頑張っていたり、一人で暮らしているんだろうなと思うと、作ってあげなきゃっていう気持ちになって頑張ってしまうんです。

向田:きっとあなたの顔を見たりお話を聞いたりしたいから、みんな来るんじゃないかしら。料理を食べに来ているだけじゃないわね、きっと。

前田:そうだったら嬉しいのですが、私は人の話を聞くのが大好きなので、友だちから話を聞きたいから友だちを招いているのだと思います。話を聞きながらいろんなことを想像するのが楽しいんですよね。私自身も、すごくおしゃべりだけれど。

向田:お互いにそういう気持ちがあるから、あなたのところに行きたくなるんだと思う。いま話していても、とっても楽しいもの。何十歳違うかなんて考えなくなっちゃった(笑)。

前田:邦子さんのところにもそうやって人が集まってきたんじゃないですか?

向田:それほど人がよくないのよ(笑)。でも、せっかく家に寄っていただいたら、あるものでお腹が空いている人にはお腹いっぱいになるようなものを食べていただきたい、そういう気持ちはあったんだと思う。お構いなしに人を誘うわけではないのだけど、例えば編集者の方が待っている間にお腹が空きそうだから、これを食べなさいとささっと作って出す。ものがない時代に生きていたので、飢えに対してはすごく敏感だったんだと思います。あとは、新しい食べ物を食べてもらって感想を聞いたりね。食べ物って空気が和むし、お腹いっぱいになったらみんなニコニコするでしょう? それがよかったんですよね。でも、そんな若さで人に食事を振る舞うことができるなんて素敵ですね。あなたは人の気持ちを和らげることができる方だと思います。

前田:うれしいです。ありがとうございます。和子さんが営まれていた「ままや」も、きっといろんな人の気持ちを和らげていたのでしょうね。本で読みましたが、メニューも敷居が低くて、親しみやすくて。ワカメの炒め物とか、ベーコンとじゃがいもの炒めものとか、トマトと青じそのサラダとか、いくつか作ってみましたが、ほっとする味でしたね。

向田:お店で出すと、「なんだこれこれでお金取るのかよ」とか「そんなもの売ってもいいの?」って言われ方もしたんですけどね。平凡だけど、作る人によって味がちょっとずつ違うようなメニューでしたが、最初から最後まで皆さんに愛され続けてましたね。面白いもんですね。

前田:「ままや」のお店を立ち上げるときに、どういうメニューにされようかとか器はどうされようとか、邦子さんと和子さんでどうやって決めていかれたんですか?

向田:それ聞かれると困っちゃうんですけど、何にも決めてないの。何にも決めてなくて、よく店を開いちゃったなって思います(笑)。ぼーっとしていたので、姉からはよく家に運んでいた「レバーのしょうが煮なら、和子ちゃんできるでしょ? じゃあ採用!」とか言われて。器も全然考えていなかったんですが、姉から「瀬戸に知っている人がいるから行こう」と言われて、遊び半分で一緒に行ったりしましたね。

前田:瀬戸まで行っておつくりになられたというエピソードを読みましたが、その時の様子がすごく楽しそうだった印象がありました。

向田:私は今でものんきなんですけど、昔はもっとのんきで、どんな事でもどうにかなるって本当に思っていて。姉も私がそういう性格なのはわかっていたはずなんですけど、お店を一緒にやるなんて言い出してね。

前田:お姉さんと和子さん、性格が正反対で、逆にバランスがよかったんじゃないでしょうか。

向田:お店を始める時までは一緒にやったんですけど、いざ店を開けてみたら、一切姉は何も口を出さなかったですね。板前さんがいたんですが、納得がいかなくて、2週間くらいで辞めていただいたんです。そういう時、その先のことを全然考えていなくて。しばらくは築地の河岸に通いまして、仕入れも自分でやって、メニューも私ができるものだけでお店を開けてしまいました(笑)。お客さんもびっくりしていましたよ。でも、新しい板前さんが来るまでこのメニューですって言ったら、皆さん来てくださいましたね。また、板前を探していることを築地で話したら、皆さん協力してくださって、2週間後には新しい板前さんが来てくれることになったんです。いざとなったら、ずうずうしいっていうか、人が考えられないことをやっちゃうんです。

前田:思い切りがいいですね(笑)。でも、そんな和子さんのことを皆さん知っていらっしゃって、お客さんや周りの方が助けたくなってしまうのかもしれないですね。

向田:そういうところもあるかもしれませんね。お店でも大学生の男の子を雇っていたんですが、酔っ払いが来たときの対応とか全部やってくれました。アルバイト生に育ててもらったようなものなんです。最初始めたのは五反田の喫茶店だったんですが、最初の頃、お客さんが帰るときに「ありがとうございました」じゃなくて「ごちそうさまでした」って言って、すごく笑われました(笑)。その店でも、お客さんが漫画本があった方がいいと持ってきてくださったり、フレッシュジュースがメニューにあったらいいと言って作り方を教えてくださったり、空いている時間にわざわざ来てくださったり。お客様に育てられましたね。

前田:きっと、和子さんのお人柄がよかったんですね。邦子さんが和子さんにおせっかいを焼くというお話をされていましたが、それは和子さんが助けてあげたくなる可愛らしい感じだったのかもしれないですね。

向田:あんまりのんきだから。学校の宿題とかもよく手伝ってくれていましたね。お洋服を作る宿題をやっていて、ボタンホールを作ろうとして失敗して背中まで穴が空いてしまったことがあったんです。提出日が明日なのにどうしようって困って、姉の帰りを待っていました。姉に相談すると、パッとアイデアがひらめいたようで「残り布を持っていらっしゃい」と言って、ちゃんと方法を考えてくれるんです。バイアステープをつけて、そこにボタンをつけたらアクセントになると思うけどできる?と。姉はアイデアを言うだけで、実際にやってくれるわけじゃないんです。あとは私がやりたいようにやって提出しました。その後は、出来栄えも聞かないんです。あとで、出来たものを見せると「いいじゃん!」って言われるだけ。どうなったの?とかは聞かない。

前田:押し付けがましさが一切ない。カッコいいですね。

向田:作文も書きたがりましたね。でも、あんまりにうまいからバレたら嫌だなと思って、途中からやってもらうのを止めました(笑)。学校を卒業した後、美容師さんの秘書が辞めたから来ないかという誘いを受けて、その面接で宿題が出たんです。ある写真に英語とフランス語とドイツ語の文章が添えてあったんですが、そこに日本語の文章を200文字で添えなさいというものでした。困ったなと思って、姉に辞書を借りにいったんです。そこで理由を話したら、うれしそうに「私、書いてあげる」って言うんですよ(笑)。でも、うまく書かれて私が採用されたら、困るのは私ですから(笑)。断りました。そうしたらすごく悲しそうな顔をしてね。ひとつアイデアをくれたんですよ。何でもいいから単語を3つ4つ調べてみて、その言葉と写真をたよりに連想して200文字で書けばいいって言ってくれたんです。なるほど、全部訳さないでいいんだと思って。それで採用になったんです。

前田:和子さんが書いたものに対してご指導されるようなことはなかったのですか?

向田:ありませんでした。お世話になった方への礼状を出してと言われたときも、何でもいいから自分で書きなさいと住所を渡されただけです。どう書いた?とかは何も言わない。その後、出しました?と聞かれて、出しましたというとありがとうというだけ、そこは潔いですよね。

前田:一緒にお店に行かれた際に邦子さんから感想を求められたり、邦子さんが書いた文章を和子さんに読ませたり…そういうエピソードを聞くと、邦子さんは和子さんの目を信用していらしたんじゃないのかなと思えます。

向田:そんなことはまったくないんです。ただ、小さな頃からよく遊んではくれましたね。9歳離れていますでしょう。子どもの頃の9歳ってすごく離れているように感じられるんですが、姉は私と同じ目線でものを見ていました。私が四つ葉のクローバーを探していたら、姉も同じ目線で面白がっていて。あ、同じものを見ているなという喜びがとてもありましたね。子ども扱いすることなく、同じ心で感じている。それが姉の一番好きなところなんです。

前田:それはきっと、無理やり目線を合わせているんじゃありませんよね。私も弟とよく一緒に遊びましたが、本当に一緒の目線でした。同じ時間を楽しんでいたのだと思います。

向田:そうですね。私は戦争を体験しているんですが、すごくショックを受けた経験がありました。3月10日(東京大空襲があった日)に、家の前にわりと大きな道路があったんですが、そこに、おばあさんを乗せたリンゴ箱を置いていってしまった人がいたんです。当時7歳の私は兄と逃げるところだったんですが、そのおばあさんの背中がとても悲しそうで、忘れられなかったんですね。そのことは誰にも言わず、ずーっと心に思っていたんです。しばらく経って中学生の頃に、姉が突然「あなた戦争で一番記憶に残ったことはなあに?」と聞いてきたんです。私はパッと「おばあさんの背中」と答えたら、姉はものすごく驚いた表情で「あなたそれを見てたの?」って言って、そのおばあさんがどういう着物を着ていてどういう様子だったか、丸い背中ですごく悲しそうだったという説明をしてくれたんです。その時に「あ、お姉ちゃんも一緒に見ていたんだ」と思ったんです。その時、私は一人で集団疎開に行くって決めたんです。

3月10日は空が真っ赤で、犬も野生に返っていて狼みたいな遠吠えをして、すごい顔をしていました。火事や何かになると、父が逃げなさい!と言って大きなリュックに夏掛けの布団を入れて、その上から水をかぶって逃げて。姉は16歳くらいだったと思いますが、大人のような動きをしていました。情報をどこかから手に入れて、こっちへ行ったほうがいいと家族に指示を出したりして。その時は、うちの庭に焼夷弾のかけらが残っていて、私たちは先に逃げましたが、父と母と姉が残って周囲の火を全部消して逃げようしていました。そんなバタバタの中で、おばあさんの背中を見たのはほんの一呼吸の間だったんです。

おばあちゃんを見たとき、これは私だなって思いました。足手まといという言葉は知りませんでしたし、家では末娘だったので一番大切にされていましたが、これは私だと。それで集団疎開に行くって言ったんだと思います。子どもって侮れないですよね。親はすごく心配しましたが、私は頑固でしたから。その後疎開に行くことになりました。

同じものを見ていても、全然違う思いをするっていうこともありますよね。だけど、姉と同じものを見て、同じように戦争の悲しさや人生の末路の悲しさを感じたということがすごくうれしかった。戦争はもちろん嫌ですが、そうした体験をしたからこそ感じられるものもあるのだと思います。これは些細なことかもしれませんが、私のなかで大きな自信になりました。勉強はできませんでしたが、生きていくっていうことはそういうことではないと思うんです。長くなってしまってごめんなさいね。

前田:いえいえ、すごくいい話を聞かせてくださり、ありがとうございます。邦子さんと和子さんは、性格こそ違っていたのかもしれませんが、感受性の部分で同じものを持っていらしたんですね。

向田:兄、次姉もいまして、姉としてはみんな平等に接してはいたと思いますし、それぞれのよさがあるとは思いますが、やっぱりどこかで近いものを感じてはいましたね。

前田:邦子さんから「いろんなものを見なさい」と一緒に街へ出かけたり、お買い物に連れ出されたというお話はすごくいいなあと思いました。

向田:買い物に行きながらも、いっぱい遊びがありましたね。すごく楽しくて、バカバカしいことなんだけど姉妹で共有できるような。当時、姉はテレビドラマの脚本を書いていた時期で、ものすごく忙しかったのだと思いますが、私に会う時には童心に帰っていたというか。同じ子どものような感性で話をしたり、話さなくてもわかることもありますし、面白がっていたのだと思います。銀座の骨董屋さんや着物屋さんを覗いて、いろいろ巡って帰り際にもう一度同じ店に戻ろうと姉が言うので、ついていったら私がさっき見ていたものをサッと買ってくれたり。たまらないでしょ(笑)?

前田:たまりませんね(笑)。こんな恋人がいたらいいなっていう理想像を、現実にしたような方だったのですね。しかも姉妹でそんなことをできるなんて…羨ましいです。

向田:私のいいところをちゃんと見てくれるっていう安心感もある。買ってもらったのは、すごく高いものでもなくて、ふと気に入ったものを、あなたに似合いそうって言って買ってくれると、記憶に残りますよ。例えば、姉も父も文房具が好きだったんですが、銀座の伊東屋さんで父への買い物をしていて、その時私もいいなあと思うものがあったんですが、特に何も言わずに帰宅して。すると一ヶ月後くらいに、突然「あなたこれ見ていたでしょ」ってプレゼントしてくれるんです。すごいでしょう。もちろんしょっちゅう買ってくれるわけじゃないんだけど、そういう貰い方をするから記憶に残っているんです。

前田:プレゼントをもらうことももちろんうれしいですが、それを通して自分が愛されていることを感じられるということが、本当に素敵ですね。

向田:年がら年中いただいたことはないんですが、そういう貰い方をすると一生記憶に残っちゃう。だからこうやってお話ができるんです。覚えていようって思っているわけじゃないんですが、体の中に喜びの気持ちが刻まれているんですね。その気持ちがあるから、姉が亡くなって40年になりますが、こうやってお話をすることができるんです。私は作り話はできませんからね(笑)。また、今回エマさんから、身近なエピソードを聞かせていただいたことがとってもうれしかった。だから、きっと私もこんな話をしたくなったんだと思います。初めてお会いしたんだとは思えない、素敵な笑顔にリラックスしてお話できました。

前田:ありがとうございます。それは、邦子さんや和子さんのエッセイが私たちにとって遠い話じゃなくて、身近なことを書いてくれていたからなんだと思います。だから何十年経っても、自分の話の続きのような感覚で読むことができるんです。展覧会も楽しみにしています。ありがとうございました。

向田邦子没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」

(対談 2020年12月実施)

PROFILE

  • 向田和子

    邦子の9歳下の末妹。1978 年、東京赤坂に惣菜・酒の店「ままや」を開店(1998年に閉店)。著書に『かけがえのない贈り物 ままやと姉・邦子』『向田邦子の青春』(ともに文藝春秋)、『向田邦子の恋文』(新潮社)等。

  • モデル
    前田エマ

    1992年神奈川県出身。東京造形大学在学中からモデル、エッセイ、写真、ペインティングなど幅広い分野での活動が注目を集める。
    現在は雑誌、WEB等でアート・服など様々なジャンルをテーマに連載を担当している他、ラジオパーソナリティも務める。

  • 空気の日記
  • エマらじお
  • わたし自炊はじめました
  • 交換日記 凪
  • utakata
  • Spiral Schole
  • 妄想ヴォイスシアター
  • アトリエおよばれ
  • TEXTILE JAPAN FOR SPINNER
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CREDIT