
COLUMN
2020年12月22日(火)~27日(日)にスパイラルで開催するSPINNER MARKT -OUR GIFT- に合わせ、特別コンテンツを掲載いたします。今回は、出展されている工藤まおりさんによるエッセイ。
オンラインでもご覧いただくとよりいっそうお楽しみいただけます。
洋服に合わせてアイシャドウの色味を変えてみたり。
友達から聞いた評判の良い化粧水を使ってみたり。
一目惚れした下着を身につけてみたり。
外出自粛のため、1週間のうちほとんどをスッピンで過ごす私だけど、「美しいモノ」や「美しくなること」に惹かれる気持ちが消えることはない。いやむしろ、化粧の頻度が下がったことにより、自分を美しくすることが今まで以上に楽しく思えているのかもしれない。
月曜日の朝9時に急遽入った憂鬱な会議も少しだけ「仕方ない、頑張るか」という気持ちにさせてくれるし、彼との記念日デートの前にいつもより少し着飾ることによって心をときめかせてくれる。
「自分を美しくする時間」は、私にとって戦闘前の準備だったり、幸せに満たされる時間でもあるのだ。
しかし、「自分を美しくする活動」は日常生活の中に溶け込んでいるのに対し、「自分の外見を褒められたら否定する」という風潮に昔から疑問を感じる。
先日、渋谷のBARで友人とお酒を楽しんでいた際、近くの席に座っていたそこの店の常連らしい男性に「綺麗ですね」と褒めていただいた。
褒めていただいたら、お礼を言うのが礼儀。私は「ありがとうございます」と言うと、彼が目を見開きながら「否定しないの?!」と私に言ったのだ。
因みに、私は一切ボケたつもりはない。
褒められたことに対してお礼を言っただけ。
彼の予想していた展開では、「いえいえ、私なんて〜」という自分を否定する言葉だったのかもしれない。いや、もしくは私のことを単にからかっていたのかもしれない。どちらにせよ、彼にとって私の感謝の言葉が予想外だったらしい。
その日の夜。
このやりとりが、もし「人」ではなく「モノ」ならどうなんだろう?と考えた。
例えば、自分のお給料を貯めて素敵なバッグを買ったとする。
ウキウキしながらそのバッグを持ってお気に入りのBARに行く。
そしてそこの常連さんから「素敵なバッグですね」と褒めてもらう。
そしたら、「ありがとうございます」と答える。
この一連の流れに対し、不自然に思う人はあまりいないだろう。
「モノ」なら違和感がなく、なぜ褒められた対象が「自分自身」の場合は謙遜するという風潮があるのだろうか。
その時の私は、寝起きの姿よりも確実に綺麗にしていたはずだし、久しぶりに会う友達だったので、多少お洒落もしていた。
通常モードよりおそらく「綺麗」に違いないだろう。
なぜそれをわざわざ否定しなければならないのだろうか?
「日本人は自己肯定感が低い」なんてことが問題視されているが、謙遜することが当たり前になりすぎていたら、自分のことを肯定するのは難しい気がする。
少しだけ綺麗にした自分を、自分で認めても良いのではないだろうか。
頑張った自分を、肯定しても良いのではないだろうか。
結構これらは難易度が高いことで、私は毎日自分のことを好きになろうと奮闘している。だからこそ、せめて自分の口で自分を否定することを求めないでいただきたい。
どうか、「綺麗ですね」に対し、「ありがとうございます」という返答が違和感ない社会になってくれませんか?
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